どんな人々が暮らしているの?台湾の多民族社会をざっくり解説
Voicyへのコメントで、こんなご質問をいただきました。
うーん、確かにすごく大まかに言えばそうとも言えるのかもしれません。
でも、これだとあまりにも現状とかけ離れすぎていて、「台湾がどういう多様性社会なのか」が伝わらないのではないか。
そんな貴重な気付きをいただいたので、今日はそれについて書いてみたいと思います。
そしてこのテーマを書こうとしてはじめて、しっかり解説しているフリーのコンテンツがネット上にほとんどないことに気付き、「台湾は多様性社会」という発信をする立場なのに、その裏付けをしっかりお伝えしてこなかったことに、責任を感じました。
オランダ、スペイン、鄭成功、清朝、日本、そして中国大陸から移ってきた中華民国…。ずっと他者により支配され続けてきた歴史を持つ台湾が、「自分たちは台湾人である」「そもそも台湾ってどんなものだろう?」と、アイデンティティを強く模索するようになったのも、ここ数十年でのことです。まだ議論は続いており、「これ」という単一的な答えがないのが現状です。
ただ、台湾の歴史の研究者たちが一般の人にも分かりやすく書かれた書籍などで台湾史の扉を広く開こうとされています。
個人的に、「台湾の歴史は日本の歴史の一部なのに、日本が今、台湾を国として認めていないという現状から、日本で生まれ育った人たちはほとんどその過去を知らない」というとても残念な現状があるように思います。
詳細を知りたいと思われた方は、ぜひ一緒に勉強していきましょう。
台湾の外交部の公開資料もかなりざっくり
台湾でよく使われるエスニックグループ
ざっくりとまとめてみますが、かなり個人的な興味関心によるバイアスが働いております。「これも入れるべき」などご意見あれば、ぜひコメントなどでお知らせください。
本省人
戦前から台湾に住む漢民族系の移民たち。「 閩南人」と「 客家人」を指します。
日本統治時代(後期)には、日本政府によって「皇民化政策」が推し進められました。
具体的には、台湾の演劇の禁止・台湾語の禁止・台湾語ラジオの終了・日本式の姓名への改名・神社への強制参拝・旧暦の年越しや正月を過ごすことを禁止などが行われました。
(「皇民化政策」については:國史館臺灣文獻館「清除殖民印記-光復初期回復姓名(文/蕭碧珍)」を拙訳。)
【個人の感想】
人のアイデンティティを奪って上書きするには、名前や言葉、文化やメディア、信仰、風俗を奪うのが有効だと日本政府が考えていたのでしょうね。改めて、それら一つひとつが自分にとってどのような意義があるのかを考えさせられます。
- 閩南(福佬)人
清朝時代の17世紀以降に中国大陸の福建省から来た閩南人のこと。
閩南人とともに台湾に土着した「閩南語」は、一般的に「台湾語」と呼ばれています。
台湾に土着した「閩南語」の中には、日本による統治の影響で、日本語が混ざっているものもあります(例:「オートバイ」など)。
【個人的な感想的補足】
「閩南語」を「台湾語」とすることは、閩南人よりも以前から台湾で暮らしてきた台湾原住民族を軽視しているのではないかという疑問の声もあるようです。
ただ、そもそも台湾原住民族は政府が認めているだけで16あり、そのうちのどれを台湾語と設定するかはかなり難しいような気もしますし、台湾政府が「閩南語」を「台湾語」と設定して、義務教育の場でも取り入れていること、それと同時に台湾原住民族のそれぞれの言葉の継承・教育も推進していることなどから、個人的にはそれが台湾原住民族の軽視にはつながらないようにも思えますが…。
どちらにしても、台湾で使われている言葉もまた折を見て、別途noteでまとめてみようと思います。
- 客家人
漢民族のなかでも、客家語を話す人々のこと。
中国大陸で移動・定住を繰り返した後、世界各地に散らばって暮らしていますが、Wikipediaによると、主な居住地域は下記の通り。
台湾でも各地で客家文化が守られ、継承されています。
【個人的な感想的補足】
台湾で暮らしていると、客家専門のテレビチャンネルもあったり、前文化部長を客家の方が務められていたりと、客家の文化を非常に尊重しているように感じていました。私もよく、台湾人の友人たちと一緒に客家の故郷へ旅行したりしています。
客家は勤勉な商売人であり、独特の食文化も人気があります。発酵食品やお漬物などは私も個人的に大好きです。
ちょっと古いですが、2019年に日台交流協会が当時の客家委員主任委員の李永得さんをインタビューしたものがインターネット上で公開されていました。非常に興味深いので、一部抜粋・引用させていただきます。
外省人
第二次世界大戦で敗戦した日本が台湾統治を終了(1945年)した後、1911年の「辛亥革命」により、翌年中国・南京で「中華民国」を設立した「中国国民党(通称:国民党)」政府が中国大陸から台湾に国体を遷移させたことで、台湾に渡ってきた人々を指します。台湾では少数派。
当初は「反攻大陸(中国大陸を取り戻す)」ための一時的な生活空間として、下級兵士を中心に、「眷村」と呼ばれるエリアに集まって暮らしていました。彼らの多くは貧しい生活を強いられていたといいます。
エドワード・ヤン監督の映画 『牯嶺街少年殺人事件』が、眷村で暮らす外省人たちの暮らしを教えてくれます。
【個人の感想的な補足】
戦後、日本人に代わり統治者に君臨した少数派の外省人と、統治される側で多数派の本省人との間には数多くの葛藤が見られましたが、時代の経過とともに通婚の事例も増え、外省人三世、四世の代となっている現在では、対立はかなり緩和してきているように感じます。
また、オードリー・タンさんのお父様・唐光華さんは眷村で育った方で、本省人のお母様と、外省人のお父様という珍しいルーツをお持ちの方です。さらにお二人は二二八事件(1947年)が起きた数年後という、本省人と外省人の関係が最も悪かった時期に結婚されています。
唐光華さんは、ご自身が幼い頃に暮らしていた眷村では、本省人と外省人たちが仲良く暮らしていたと話してくださいました。
唐光華さんのお母様の自伝『追尋(「追憶」といった意味)』にはそうしたことがはっきりと書かれており、この自伝の日本語翻訳をボランティアで行う許可をご本人やご家族からいただいております。こちらはでき次第、また告知させていただきます。
台湾原住民族(日本語の「先住民」に相当)
漢民族が移住してくるよりもずっと前から、台湾で暮らしてきた人々。
政府が認定するだけで16があるものの、実際にはもっと多く存在しています。それぞれの民族ごとに受け継がれている伝統や文化があります。
原住民族側には、後から入ってきた民族から受けた虐殺と経済的搾取などによる負の感情がありました。
なかには、日本統治時代に民族の言葉を使うことを禁じられたことで、文化の継承が難しくなっているといったように、日本が深く関係しているものもあります。
「原住民族重大歴史事件」と認定されている「霧社事件(1930年)」は、原住民が日本人の弾圧的な差別などに対し蜂起したものとして、多くの日本人が知るべき史実です。
霧社事件を映画化した『セデック・バレ』は、日本語字幕版もあるのでぜひ観てほしいと思います。
【呼称についての補足】
台湾では「先住民」という言葉が「すでに滅びた」というニュアンスをもって使われるため、“元来その地域で暮らしてきた”という意味で「原住民族」と呼ぶことを政府が定めています。
(個人的な補足:台湾には日本語世代を含め、日本語で情報を取得する人も多く、その方々が見た時に不快な思いをされないよう、日本語で執筆する際には「台湾原住民族」などといった固有名詞のような形で使用+注釈を付けることで、日台それぞれの読者からの誤解を回避したいと考えています。)
台湾原住民族は、オーストロネシア語族に属します。
新住民
近年増加している「新住民」は、台湾人と結婚した外国籍の人たちや、その子どもたちのことを指します。
2019年に日台交流協会が立法委員を務められ(当時)、新住民に関連した政策を推進されていた林麗蝉さんにインタビューされていました。一部抜粋・引用させていただきます。
新住民に関しては、彼らの子どもたちの言語教育について、台湾の言葉と、もう片方の両親の母国語の教育も行う必要があるといった課題があり、義務教育において制度が整えられてきています。
現在は「新住民言語」として、最も人口の多いベトナム、インドネシア、タイ、ミャンマー、カンボジア、フィリピンの七カ国語を選択できます。
(参考:教育部 2019-06-29)
【個人の感想的な補足】
台湾人と結婚して子育て中の私と全く同じ状況だと思いながら、いつも関連のニュースを見ています。
参考になると思われるリンク
Wikipedia「臺灣族群」
台湾外交部Taiwan Today「オーストロネシア語族と台湾が融合した特殊な外交関係を発展させよう」(2016/11/28)
台湾外交部Taiwan Today「苦労に負けない台湾客家人とは?」(2012/04/06)
台湾の公共交通機関では、主に4言語で放送が行われる
台湾の地下鉄や新幹線など、公共の交通機関などでは、台湾華語(台湾で使われている中国語)、台湾語、客家語で地名が放送されることがよくあります。台湾に旅行に来られた際に、こうした放送からも多民族社会が感じられるかもしれません。
という感じで、ざっくりまとめてみましたが、いかがでしょうか?
抜け漏れありましたら、ぜひコメント欄などでご指摘いただければ幸いです。
そしてエスニックグループについて書いていると、やはり言語についても書きたくなってきますね。それについてはまた!
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