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どんな人々が暮らしているの?台湾の多民族社会をざっくり解説

Voicyへのコメントで、こんなご質問をいただきました。

台湾の方は、蒋介石率いる中国大陸の方と
元々の台湾在住の方との混ざった方々だと思っています。
合っていますか?

うーん、確かにすごく大まかに言えばそうとも言えるのかもしれません。
でも、これだとあまりにも現状とかけ離れすぎていて、「台湾がどういう多様性社会なのか」が伝わらないのではないか。

そんな貴重な気付きをいただいたので、今日はそれについて書いてみたいと思います。

そしてこのテーマを書こうとしてはじめて、しっかり解説しているフリーのコンテンツがネット上にほとんどないことに気付き、「台湾は多様性社会」という発信をする立場なのに、その裏付けをしっかりお伝えしてこなかったことに、責任を感じました。

オランダ、スペイン、鄭成功、清朝、日本、そして中国大陸から移ってきた中華民国…。ずっと他者により支配され続けてきた歴史を持つ台湾が、「自分たちは台湾人である」「そもそも台湾ってどんなものだろう?」と、アイデンティティを強く模索するようになったのも、ここ数十年でのことです。まだ議論は続いており、「これ」という単一的な答えがないのが現状です。

ただ、台湾の歴史の研究者たちが一般の人にも分かりやすく書かれた書籍などで台湾史の扉を広く開こうとされています。

個人的に、「台湾の歴史は日本の歴史の一部なのに、日本が今、台湾を国として認めていないという現状から、日本で生まれ育った人たちはほとんどその過去を知らない」というとても残念な現状があるように思います。

詳細を知りたいと思われた方は、ぜひ一緒に勉強していきましょう。

台湾の外交部の公開資料もかなりざっくり

台湾外交部発行「台湾のしおり2022-2023

台湾は、漢民族が圧倒的多数(95%以上)を占める社会だと思われるだろうが、ここに伝わる文化は実際にはそのように概括できるほど単純ではない。

17世紀以降、継続的に台湾に移住してきた華人は、それぞれ異なる言語と習慣を持つ多様なサブグループに分けられる。しかし、その後の婚姻や華語(マンダリン)の普及などにより、今日の台湾では、それらサブグループ間の相違は曖昧になっている。

台湾には多様な漢民族のサブグループだけでなく、マレー・ポリネシア系の先住民族と世界各地からの移住者によって多文化社会が形成されている。

近年では中国や東南アジアから主に婚姻による流入もみられ、このような移住者「新住民」の数は現時点で57万人を超える。

オーストロネシア語族に属する、16の公式に認められた先住民族は全人口の約2パーセント強を構成し、社会的にその文化遺産に対する認識や評価が高まっている。

政府や民間の機関は、先住民の言語や文化の復興に力を注いでおり、先住民族テレビ局が設立されたり、「先住民族基本法」が制定されたりしている。
こうしたヒューマニズムの潮流に伴う融合と相互作用は、台湾社会が世界中の多様な文明要素を調和のとれた方法で吸収し、率直で前向きな社会になるよう促している。

出典:台湾外交部発行「台湾のしおり2022-2023
(改行は筆者による。)

台湾でよく使われるエスニックグループ

ざっくりとまとめてみますが、かなり個人的な興味関心によるバイアスが働いております。「これも入れるべき」などご意見あれば、ぜひコメントなどでお知らせください。

台湾のエスニックグループの変化
出典:中央研究院週報 第1448期 掲載
「官方文獻中 臺灣「族群」分類類屬的歷史變化」(社會學研究所 王甫昌研究員)

ほんしょう

戦前から台湾に住む漢民族系の移民たち。「 びんなん人」と「 客家はっか人」を指します。

日本統治時代(後期)には、日本政府によって「皇民化政策」が推し進められました。
具体的には、台湾の演劇の禁止・台湾語の禁止・台湾語ラジオの終了・日本式の姓名への改名・神社への強制参拝・旧暦の年越しや正月を過ごすことを禁止などが行われました。
(「皇民化政策」については:國史館臺灣文獻館「清除殖民印記-光復初期回復姓名(文/蕭碧珍)」を拙訳。)

【個人の感想】
人のアイデンティティを奪って上書きするには、名前や言葉、文化やメディア、信仰、風俗を奪うのが有効だと日本政府が考えていたのでしょうね。改めて、それら一つひとつが自分にとってどのような意義があるのかを考えさせられます。

- びんなんふくりょう)人

清朝時代の17世紀以降に中国大陸の福建省から来たびんなん人のこと。
閩南人とともに台湾に土着した「閩南語」は、一般的に「台湾語」と呼ばれています。
台湾に土着した「閩南語」の中には、日本による統治の影響で、日本語が混ざっているものもあります(例:「オートバイ」など)。

【個人的な感想的補足】
「閩南語」を「台湾語」とすることは、閩南人よりも以前から台湾で暮らしてきた台湾原住民族を軽視しているのではないかという疑問の声もあるようです。
ただ、そもそも台湾原住民族は政府が認めているだけで16あり、そのうちのどれを台湾語と設定するかはかなり難しいような気もしますし、台湾政府が「閩南語」を「台湾語」と設定して、義務教育の場でも取り入れていること、それと同時に台湾原住民族のそれぞれの言葉の継承・教育も推進していることなどから、個人的にはそれが台湾原住民族の軽視にはつながらないようにも思えますが…。

どちらにしても、台湾で使われている言葉もまた折を見て、別途noteでまとめてみようと思います。

- 客家はっか

漢民族のなかでも、客家語を話す人々のこと。
中国大陸で移動・定住を繰り返した後、世界各地に散らばって暮らしていますが、Wikipediaによると、主な居住地域は下記の通り。

主な居住地域は、中国広東省・福建省・江西省など山間部であり、梅州、恵州、汀州、贛州は客家四州と呼ばれる。在外華僑・華人としてタイ、マレーシア、シンガポールなどの東南アジア諸国に暮らす者も多く、華人の3分の1は客家人である。

出典:Wikipedia「客家」
出典:「The 5 Hakka Chinese Migrations」(Sdcheung)CC -4.0

台湾でも各地で客家文化が守られ、継承されています。

出典:「客家重點發展區」行政院客家委員会

【個人的な感想的補足】
台湾で暮らしていると、客家専門のテレビチャンネルもあったり、前文化部長を客家の方が務められていたりと、客家の文化を非常に尊重しているように感じていました。私もよく、台湾人の友人たちと一緒に客家の故郷へ旅行したりしています。

客家は勤勉な商売人であり、独特の食文化も人気があります。発酵食品やお漬物などは私も個人的に大好きです。

ちょっと古いですが、2019年に日台交流協会が当時の客家委員主任委員の李永得さんをインタビューしたものがインターネット上で公開されていました。非常に興味深いので、一部抜粋・引用させていただきます。

「客家」とは何か。客家アイデンティティの基は客家文化にあり、客家文化の最大の要素は「客家語」にあると言えます。
民族的に異なる原住民族とは違い、同じく漢民族である客家人とミンナン人(閩南人)、外省人とは外見上では殆ど区別することができません。そのため、客家人意識の根底には独自の言語があり、言語が客家文化の核心的要素であると言えます。客家人は「客家語がなければ、客家人は存在し得ない。」とよく言いますが、言語は他のエスニシティとの最大の違いなのです。

出典:日本台湾交流協会台北事務所による
李永得・客家委員主任委員インタビューより(2019年当時)

(改行は筆者による。)

客家委員会は設立以来、客家語の普及のため様々な努力を行ってきました。その努力の成果については以下の2つの面から述べることができると思います。まず、客家語普及活動を通じて、客家人の間で客家人意識を向上させることができました。20 年以上前は、多くの客家人にとって、自分が客家人であることはなかなか公言することができませんでした。

それは、客家人であることで当時の(国民党)政府から様々な不利益を受け、また台湾の人口の七割を占めるミンナン人とも歴史的に様々な軋轢が生じていたためです。

実際、ミンナン人と客家人の間には深い対立の歴史があり、かつては客家人がミンナン人と結婚すると言うと、客家人の両親や親族に強く反対されることがよくありました。

こうした状況が変化し、客家人意識が台頭する契機となったのは、2000 年の民進党政権の発足です。国民党時代には「国語」を話す人間がエリートとの刷り込みが行われましたが、民進党政権の発足を契機に文化の多様性が重じられ、「客家語」を含む台湾土着の言語も重視されるようになりました。こうした政策の変化によって、人々の間で意識変革が生じ、客家人は自身が客家人であることを堂々と公言できるようになったのです。

その一方で、政府の施策が衰退の一途にある客家語の普及にどれほどの効果があったかについては、率直に言って「入不敷出(※プラスもあるが、
マイナス分の方が大きいとの意味)」と言わざるを得ない状況です。

政府として多くの努力を行ってきましたが、客家語の衰退のスピードはそれ以上に早く、衰退の速度を緩めることはできても、衰退自体を食い止めるまでには至っていません。

出典:日本台湾交流協会台北事務所による
李永得・客家委員主任委員インタビューより(2019年当時)

(改行は筆者による。)

がいしょう

第二次世界大戦で敗戦した日本が台湾統治を終了(1945年)した後、1911年の「辛亥革命」により、翌年中国・南京で「中華民国」を設立した「中国国民党(通称:国民党)」政府が中国大陸から台湾に国体を遷移させたことで、台湾に渡ってきた人々を指します。台湾では少数派。

当初は「反攻大陸(中国大陸を取り戻す)」ための一時的な生活空間として、下級兵士を中心に、「けんそん」と呼ばれるエリアに集まって暮らしていました。彼らの多くは貧しい生活を強いられていたといいます。

エドワード・ヤン監督の映画 『牯嶺街クーリンチェ少年殺人事件』が、けんそんで暮らす外省人たちの暮らしを教えてくれます。

【個人の感想的な補足】
戦後、日本人に代わり統治者に君臨した少数派の外省人と、統治される側で多数派の本省人との間には数多くの葛藤が見られましたが、時代の経過とともに通婚の事例も増え、外省人三世、四世の代となっている現在では、対立はかなり緩和してきているように感じます。

また、オードリー・タンさんのお父様・唐光華さんはけんそんで育った方で、本省人のお母様と、外省人のお父様という珍しいルーツをお持ちの方です。さらにお二人は二二八事件(1947年)が起きた数年後という、本省人と外省人の関係が最も悪かった時期に結婚されています。

唐光華さんは、ご自身が幼い頃に暮らしていたけんそんでは、本省人と外省人たちが仲良く暮らしていたと話してくださいました。

唐光華さんのお母様の自伝『追尋ツゥイシュン(「追憶」といった意味)』にはそうしたことがはっきりと書かれており、この自伝の日本語翻訳をボランティアで行う許可をご本人やご家族からいただいております。こちらはでき次第、また告知させていただきます。

台湾原住民げんじゅうみん族(日本語の「先住民せんじゅうみん」に相当)

漢民族が移住してくるよりもずっと前から、台湾で暮らしてきた人々。
政府が認定するだけで16があるものの、実際にはもっと多く存在しています。それぞれの民族ごとに受け継がれている伝統や文化があります。

原住民族歷史正義與轉型正義委員會「原住民族地區16族分布圖

原住民族側には、後から入ってきた民族から受けた虐殺と経済的搾取などによる負の感情がありました。

なかには、日本統治時代に民族の言葉を使うことを禁じられたことで、文化の継承が難しくなっているといったように、日本が深く関係しているものもあります。

原住民族重大歴史事件」と認定されている「霧社事件(1930年)」は、原住民が日本人の弾圧的な差別などに対し蜂起ほうきしたものとして、多くの日本人が知るべき史実です。

霧社事件を映画化した『セデック・バレ』は、日本語字幕版もあるのでぜひ観てほしいと思います。

【呼称についての補足】
台湾では「先住民」という言葉が「すでに滅びた」というニュアンスをもって使われるため、“元来その地域で暮らしてきた”という意味で「原住民族」と呼ぶことを政府が定めています。

(個人的な補足:台湾には日本語世代を含め、日本語で情報を取得する人も多く、その方々が見た時に不快な思いをされないよう、日本語で執筆する際には「台湾原住民族」などといった固有名詞のような形で使用+注釈を付けることで、日台それぞれの読者からの誤解を回避したいと考えています。)

台湾原住民族は、オーストロネシア語族に属します。

Localization of the Austronesian languages」(Maulucioni)CC BY-SA 4.0

新住民

近年増加している「新住民」は、台湾人と結婚した外国籍の人たちや、その子どもたちのことを指します。

2019年に日台交流協会が立法委員を務められ(当時)、新住民に関連した政策を推進されていた林麗蝉さんにインタビューされていました。一部抜粋・引用させていただきます。

新住民とは、国際結婚や様々な理由により、中国大陸や東南アジアを始めとする各地から台湾に渡り、台湾籍を取得した人々のことを指します。
新住民という言葉が政府の中で使用されたのは、2012 年の李鴻源・内政部長が最初だと思います。そのため、今でこそ良く聞く言葉ですが、新住民という用語は非常に新しい概念なのです。

新住民が急増したのは 1990 年代に入ってからのことです。特に中心となったのは、東南アジア及び中国大陸からの移民です。
李登輝元総統は、90 年代初頭に「南向政策」を打ち出し、東南アジア地域との経済的連携の強化が図られましたが、東南アジア諸国との経済関係が深化するにつれ、双方間の人的往来が活発化し、結果として東南アジア地域から台湾に移住する人が急増しました。
中国大陸との関係においても、特に 90 年代に両岸の間の経済的往来が増えたことにより、台湾に渡る人が増加しました。

出典:日本台湾交流協会台北事務所による
林麗蝉・立法委員インタビューより(2019年当時)

(改行は筆者による。)

新住民に関しては、彼らの子どもたちの言語教育について、台湾の言葉と、もう片方の両親の母国語の教育も行う必要があるといった課題があり、義務教育において制度が整えられてきています。

現在は「新住民言語」として、最も人口の多いベトナム、インドネシア、タイ、ミャンマー、カンボジア、フィリピンの七カ国語を選択できます。
(参考:教育部 2019-06-29

【個人の感想的な補足】
台湾人と結婚して子育て中の私と全く同じ状況だと思いながら、いつも関連のニュースを見ています。

参考になると思われるリンク

台湾の公共交通機関では、主に4言語で放送が行われる

台湾の地下鉄や新幹線など、公共の交通機関などでは、台湾華語(台湾で使われている中国語)、台湾語、客家語で地名が放送されることがよくあります。台湾に旅行に来られた際に、こうした放送からも多民族社会が感じられるかもしれません。

という感じで、ざっくりまとめてみましたが、いかがでしょうか?
抜け漏れありましたら、ぜひコメント欄などでご指摘いただければ幸いです。

そしてエスニックグループについて書いていると、やはり言語についても書きたくなってきますね。それについてはまた!

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