新約聖書と旧約聖書の違い
5/9尾久キリスト教会の牧師である高橋武夫先生の説教。この週はペンテコステの前週に当たるので、マルコ伝2章18〜22節がテーマ。「新しい葡萄酒は新しい皮袋に」で有名な下りである。そこで新旧というモチーフから、クリスチャンにとっての旧約聖書と新訳聖書の位置付けの違いを講釈された。
そもそも旧約聖書はユダヤ教の教典、そしてキリスト教の教典は新訳聖書である。クリスチャンとして読む旧約聖書には、正直言って違和感が大きい。新約聖書が愛と慈しみと寛容に満ちていることに対して、旧約聖書は怒りと嫉みに縛られた審判である。読んでいて不信心な民衆を滅ぼしたり、何の罪もない子供たちが虐殺されたり、読んで首を捻る箇所がいくつもあった。これはキリスト教がユダヤ教から派生はしているが、別の宗教に変化したことを意味する。ちょうど恐竜たちを生んだ爬虫類が絶滅後に鳥類を生んだように、起源は同じくしても別種の生物となったことと同じ現象である。そして旧約聖書を同じ出発点としていることは、同じ神を崇めているということでもある。そのことはユダヤ教とキリスト教だけではなく、発生の地域を同じくするイスラム教にも共通している。ただし、捉え方が違うだけなのである。単一教であり、拝一教であることも、三つの宗教は同じである。そのあたりが親神を上帝として抱く天理教などと違うところ。
ペンテコステは聖霊降臨祭と訳される。イエス・キリストの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事のこと。同じ神を巡って異なる宗教が生まれ、クリスチャンがキリスト教の恩寵に預かれたのも聖霊の働きによるものである。「知る」ということは、知っていれば信仰とは言えないが、知らないと信仰とも言えない。「知る」には二つの意味があり、一つは知識として、もう一つは交わるということである。
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