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鏑木蓮『水葬』

鏑木蓮「水葬」(徳間書店)。https://www.amazon.co.jp/dp/B08TR1MCJY/
 OLの初井希美は、婚約者である千住光一を、実の父親的存在の叔父と母親に会わせるために待ち合わせをしていた。光一は限界集落をテーマに撮影するフリーカメラマンだった。しかし約束の場に光一は現れなかった。連絡の取れなくなった光一を案じて、警察に捜索を要請したが、腰を上げてもらえない。希美はカメラマン仲間の網島や母に紹介された元刑事の後藤の協力を得て、光一の妹である菊池美彩と共に、光一の行方を自主的に捜索を始める。待ち合わせ前に、光一は島根県邑南町に出張していた。そこには光一が尊敬する弘永徳蔵が興した弘永開発による「水の郷ニュータウン」があった。邑南町の美しい湧水を利用した野菜工場を核とした地域おこしだった。戦災孤児であった弘永徳蔵を救った恩人の大畑喜平村長への大恩に報いるための、生涯を賭けた事業であった。「水の郷ニュータウン」は、光一が希美と新居を構えることを希望していた場所でもあった。しかしここには光一の元カノである下槻優子が、弘永開発のグループ会社である飲料水事業会社HIRONAGAの顧問を務めていた。行方が知れなくなっていたのは光一だけでなく、優子の消息も消えていた。
 この作品には、二つの時代と物語が重なり合っている。影の主人公である弘永徳蔵が、戦災孤児として過ごしたエピソード。導火線となった戦後混乱期の生きるか死ぬかの、壮絶なサバイバル。殺伐とした毎日の中にも、生まれた仲間との絆。ピンチに訪れた神の救いの手。そしてやがて徳蔵は社会的にも成功をおさめる。ここまでの話だけでも充分に感動できる。しかし本筋は、真の主人公である希美の婚約者探しの旅。冴えないOLで、決して優秀でもない希美。ただただ光一との結婚に逃げ道を求めていた。光一の行方を追う過程で、自分の知らない婚約者の顔や過去を知り煩悶する。元カノの登場にも激しく動揺する。しかし希美の愛と信じる心は、彼女を一変させた。周囲の多くの人の心を動かして、やがて真実は扉を開ける。エンディングは、まさに慟哭。この作品では登場する全ての人物が魅力的である。それでいながら、それぞれのどこかに弱みや陰を抱えている。それが著者の描く、この物語の最高の素晴らしさであろう。

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