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大下英治「陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎」

政治ノンフィクション電子復刻。大下英治「陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎」(徳間文庫)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08LVP5YMF/
「政治と金」「普天間基地移設」で支持率が2割を切った鳩山由紀夫内閣は、小沢一郎幹事長体制と共に辞任。その後を継いだ菅直人体制を仙谷由人官房長官が支えた。この時、菅vs.小沢、仙石vs.小沢という対立構造となった。しかし菅首相の消費税増税発言で参院選を大敗。ここで小沢側が逆襲に転じたが、陸山会事件の「政治と金」が響いて、菅が逃げ切った。その後は粛正の仙石人事であった。そして「脱小沢」は民主党の分解の始まりでもあった。
 菅内閣は、新たな陳情制度を敷いたりして、官僚打破の政治主導路線を目指した。一方で外交的には未熟さが目立ち、特に尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件では対中外交の弱腰と責任回避で批判を浴びた。また政権の裏側で小沢一郎は陸山会事件で検察審議会に強制起訴で、身動きができない状況に追い込まれていた。そして菅政権はTPP推進をぶち上げた。しかしこれは製造業に歓迎される反面で、農業から激しい反発があった。民主党が意気込んで取り組んだ行政改革「事業仕分け」も第三弾を迎えた。特にブラックボックスとなっていた特別会計にメスを入れて、一般会計繰入れを目指した。特に治水・道路・港湾などの社会資本整備授業だった。公共事業から社会福祉への転換が狙いだった。しかし現実には八ツ場ダムの工事中止の棚上げなどで紛糾した。結局のところ実戦部隊を持たない民主党政権は、官僚に飲み込まれるだけだった。
 一方で国会は与党民主党の参院選惨敗で、衆参両院のねじれ国会となっていた。新たに国対委員長に就任した鉢呂吉雄は閣外協力による連立を目指した。そこで菅と仙谷は公明党に接近したが、思うような協力は得られなかった。その結果、法案成立率が過去二番目に低い政権となってしまった。菅政権は仙谷由人に頼りきって、もはや仙谷内閣となっていた。政権の行き詰まりから、小沢一郎グループも反菅反仙谷への反撃の狼煙をあげ続けた。動きが鈍い鳩山グループでは、海江田万里の動きが目立つ。樽床伸二も「青山会」を、原口一博や小沢鋭仁も勉強会を立ち上げ。民主党は支持率を下げ、自民党も浮上せず。そういう時には、またぞろ民主党と自民党に大連立の話が亡霊のように登場する。なりふり構わない菅首相は、社民党にも秋波を送る。

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