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球辞苑「打撃投手」

 記録フェチの男性としてはNHK「どすこい研(相撲)」と、もう一つ「球辞苑(野球)」という好きな番組がある。6月6日に放送された「打撃投手」(3/22の再放送)を観たが、裏方に焦点を当てた素晴らしい企画だった。

 総じて元プロ野球の投手出身者が多い。現役選手時代は打者に打たれないように投げていた。しかし打撃投手に転身してからは、打者に気持ち良く打たせるように工夫する。そのためには140〜150km/hで投げていたボールを100〜110km/hと、40〜50km/h落として投げる。そして投げる以上はボールでなくストライクでなければならない。自然に投げるより速度を落として、コントロールに正確を期すことがなかなか難しいそうだ。そのため投球フォームもピッチングマシーンのアームのように腕を縦回転させたり、ゆっくりしてペースで投げたり工夫を凝らすとのこと。

 主な仕事は打者の打撃練習に投げることだが、だいたい1日に100〜150球も投げるそうだ。もちろん打ち取るためでなく、打者がテンポ良く打てるように、相手が打ちやすいポイントに投げる。また時には打者が変化球を打つ練習をするために、打者から変化球を要請されることもあり、その要望に応じる。第二にトスバッティング。打者がポンポン打つために1日に150〜200球ほどもトスする。もちろん打撃練習のための準備も行う。ネットやボールを用意したり、片付けたり。

 大リーグMLBの65歳の打撃投手デーブ・ヤウス(メッツベンチコーチ)は、昨年に大谷翔平が出場したMLBオールスターゲームのホームランダービーで優勝者であるピート・アロンソ選手(メッツ)の相手を務めた。それによれば、審判が上げた腕を下ろしたら打撃投手は投げていいそうだが、腕を下ろし始めた瞬間に投げたそうだ。これはホームランダービーが時間内に何本ホームランを打てるかという競争なので、少しでも打者のバッティング機会を増やせるかという工夫だったそうだ。なるほど相手の立場に立っており、理屈にかなっている。長嶋巨人支えた伝説の打撃投手である白井正勝氏が語る極意。「一流選手には真剣に投げなかった。むしろこれからという選手の時は厳しい球を投げたりした」。その真意は「一流バッターは既に打撃が完成している。しかし例えば坂本選手や中井選手が台頭してくる頃には、彼らの弱点を克服させるように仕向ける」とのこと。これはベテランならではの、もう打撃コーチの域の観点である。

 とにかく自分が主役ではない。いかに打者が良いバッティングができるかというアシストが仕事である。これは自分が元職場の社長を降りた後に、平社員時代に戻った時のことを思い出させた。社長は大変なことも多いが、一方で内外からチヤホヤされる。しかしそういう境遇から平社員に転じる時の役割は違う。チームの先頭に立って引っ張ることではなく、歯車の一部としてフォア・ザ・チームに徹することだ。打撃投手も同じ。花形だった現役投手から裏方に切り替える。そこには大きな意識の変換が必要だ。自分と重ね合わせても、そのことは人生の葛藤であっただろう。しかし大好きな野球の世界で新しい役割を長く続けることができる。それはそれでありがたいことである。収入や待遇に格差はあっても、職業に貴賤はない。「打撃投手」というテーマを取り上げた「球辞苑」は、まことに人生の味わい深さを実感させる放送であった。

https://www.nhk.jp/p/kyujien/ts/6XY3MG7P73/episode/te/VK6GJ62757/

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