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クラシック音楽バトン

色々なバトンが回ってきますが、クラシック音楽も様々なジャンルに楽器、歴史、国、作曲家、演奏家と多彩で興味が尽きません。バトンを回してまだ知らないクラシック音楽に出会い、アフターコロナも豊かな世界にと思いバトンを回します。心に残る好きなクラシックの曲、もしくはアルバムを教えて下さい。
◆以上のコメントで、高校の同級生から「クラシック音楽バトン」の指名。私はクラシック音楽はよく聴くが、実は演奏者とか名盤とかは全く気にしていないというか、関心の埒外。とりあえず、自分がクラシック音楽を聴くきっかけを挙げます。長文失礼。
1️⃣ドミートリー・ドミートリイェヴィチ・ショスタコーヴィッチ
2️⃣交響曲第10番ホ短調
3️⃣指揮 エウゲニ・ムラビンスキー
4️⃣演奏 レニングラード交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=oW0pXARZCg8
◆クラシック音楽を聴き始めたのは、中学1年生から。入学した西宮市の今津中学のブラスバンド部が、公立校なのに全国吹奏楽コンクールで金賞の常連校だった。得津先生という吹奏楽の名物顧問がいて、周辺に大関や白雪などの酒造メーカーが多く、それらのメーカーから賛助金を貰えて、高価な楽器をふんだんに買えたから強豪校だった。いつもクラスメイトの大里君や野草さんが部室で練習していたのが、ショスタコーヴィッチ交響曲第5番「革命」第4楽章。この曲は当時のテレビドラマ「部長刑事」のテーマ曲でもあり、毎夕にブラバンの練習で聴いていたことで、耳に残る曲となった。だからクラシックはショスタコーヴィッチから入門。まだお小遣いがあまりなかったので、レコードは親に買ってもらった。もちろん最初はショスタコーヴィッチ交響曲第5番から。そして次に買ってもらって、最も好きになったのがショスタコーヴィッチ交響曲第10番。長大にして、憂愁に満ちたシンフォニー。ウラル山脈やシベリアの大平原を想起させるスケール感や、ツンドラを描いたような陰鬱さ。それでいて人間の精神の高揚と繊細さで編まれている。すっかり魅せられてしまった。この曲はソ連の音楽アカデミーや共産党の機関紙プラウダからの賛否が真っ二つに分かれた。交響曲第9番で新西洋主義者として、スターリンやプラウダからバッシングを浴びせられたショスタコーヴィッチ。後にショスタコーヴィッチがアメリカに亡命するきっかけとなった。その8年後に書かれた曲。このアルバムは、当時のソ連最高とされるムラビンスキーによる指揮と、レニングラード交響楽団の演奏。結局、実際に本人たちの演奏をコンサート会場で聴けたことはない。そのかわりに従兄が、息子のドミートリイ・マクシーモヴィチ・ショスタコーヴィッチ指揮のNHKホールでの演奏会に連れて行ってくれた。その後もスラブ系音楽が好きで、チャイコフスキー、ボロディン、リムスキー・コルサコフ、ムソルグスキー、グラズノフ、ハチャトウリアン、ストラビンスキー、プロコフィエフ、シベリウス、グリーグ、ドヴォルザーク、スメタナ、ショパン、バルトーク、コダーイ、ニールセンなどを愛聴した。そこが昂じて、スラブ系ではないが、イギリスのブリテンやヴォーン・ウィリアムズやホルストやエルガー、スペインのファリャまで波及した。もちろんテレマン、パッヘルベル、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、べトーベン、ウェーバー、メンデルスゾーン、ブラームス、シューマン、シューベルト、リスト、マーラー、ブルックナー、ワーグナー、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスなどゲルマン系のドイツ・オーストリア作曲家の曲も大好きだが、スラブ系の方がスラブ民謡やボヘミア民謡がベースになっている土着性が性に合っていた。そういう意味で、スコットランド民謡を根っこにしているイギリスの作曲家の曲も好きになった理由。
◆さて次は、事前にお断りもしてませんが、大学の先輩を指名させて頂きます。よろしければバトンタッチ下さい。
(任意のリクエストですので、無視されても結構です)
◼️ルール
○冒頭にこの投稿の初めの2行をコピペ
○曲紹介&曲にまつわる思いやエピソードを一つ。
○最後に次の方をご指名願います。
お一人でも、複数人でも。2巡目でも。
○ラストに #クラシック音楽バトン と記入
#クラシック音楽バトン

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