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アドベントに考える西暦の起源

クリスマスまで1ヶ月を切って、教会のアドベントキャンドルに火が灯るようになった。11月29日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生による説教は「ガラテヤ人への手紙」第4章1〜7節を題材とした「歴史のエポック」。
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 ご存知のように西暦はB.C.とA.D.に分かれる。B.C.はBefore Christで「キリスト以前」、A.D.はラテン語でAnno Dominiで「主の時代」。ということでクリスマスは西暦の起点となっている。使徒パウロの著した「ガラテヤ人への手紙」は第4章4節で「時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった」と、イエス・キリストの生誕について触れている。ここで言う律法とは、旧約聖書における神の戒めである。パウロはユダヤ教の律法学者として、ローマ人の手紙第7章19節「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている」と、自らの生き方に苦しんでいた。キリスト教に転身して迫害される境遇にはなった。しかし彼を救ったのは律法の知識ではなく、信仰の心だった。
 オーストリアのユダヤ教哲学者であるマルチン・ブーバーは「貴方はなぜ神を信じたのか?」と問われて「説明できる神なら信じなかった。祈ることができる神だから信じた」と答えた。創世記第4章1節で「人はその妻エバを知った」で、人とはアダムを指すが、ここで「知った」というのは、存在を知ったという意味ではなく、一体になった意である。神を知るということは、知識として神を知ることではなく、神を求めることである。その信仰の場として教会はある。古代ギリシアで召し集められた者を指す「エクレシア」が、やがて主に属する者「キュリアコン」と呼ばれて教会が生まれる。

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