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「創世記」第12章10〜30節「信頼する者の力」

 11/19の尾久キリスト教会における広瀬邦彦先生の説教。題材は「創世記」第12章10〜30節。テーマは「信頼する者の力」。カナンの地が飢饉に喘いだため、アブラハムたち一族はエジプト🇪🇬に身を寄せた。そこでアブラハムは妻であるサライが美しいことから「妻であることを隠して、妹であるということにしてくれ」と頼む。それは自らの延命と蓄財のためであった。しかし結局はサライがアブラハムの妻であることが知れ渡り、彼女を妻に迎えようとしたエジプト国王に恥をかかせることになった。その結果、アブラハムは国王に詰られながらも、妻を取り戻して、蓄財も成した上で追放された。非常に後味の悪い話である。
 俗に言う「心配ごとの9割は起こらない」。むしろ予期せぬ心配ごとが現れる。そうなると心配には意味がない。イザヤ書第30章15節には「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」とある。これを共同訳では「落ち着いて信頼すれば、力を得る」。この場合、もちろん誰を信頼すべきかは、神であり、キリストである。
 しかしもう一つ必要なのは「人を信頼すること」。ノートルダム清心女子大の故・渡辺和子理事長(大ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」著者)は「人格論」の中で「人は100%信頼してはダメ」と述べた。その理由として「人間は不完全なもの。私も神ではない」。100%信頼すると、僅かな矛盾で許せなくなって、関係が壊れてしまう。2%のやり取りに、ゆとりがある。

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