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ルカ伝第15章1〜10節「捜す者の熱心、見出した喜び」

6月9日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。この日の題材はルカ伝第15章1〜10節「捜す者の熱心、見出した喜び」。毎月第2週はウェルカム礼拝ということで、福音書から譬え話を紹介している。

はルカ伝第15章1〜10節


 さてルカによる福音書第15章には、3つの譬え話が掲載されている。一つは99匹の羊と1匹の羊。2つ目はドラクメ銀貨の紛失について。3つ目は放蕩息子の帰還である。今日は1つ目と2つ目を取り上げる。いずれもパリサイ人、つまり律法学者からの非難への切り返しである。この時にパリサイ人たちは、イエスが取税人や罪人と交わって、食事まで共にしていたことを詰った。

99匹の羊🐏と、1匹の迷える子羊🐏
無くした10枚の銀貨🪙

 今、Wikipediaによれば、2024年の世界には81億人が暮らしている。このような多くの人々を神は果たして覚えていらっしゃるのだろうか。私の顔など、すっかり忘れ去られているのではなかろうか。アラビア半島には遊牧民が数多く存在している。ある時に遊牧民に「数百匹も飼っていて、顔の見分けがつくのか?」とインタビューしてみた。遊牧民は「すべて違う顔をしているからわかる」と答えた。同じように神は私を知っている。それは神だからこそできるのである。ドラクメ銀貨は、自ら声を発することができない。だから自分で見つけ出すことは不可能。それでも見つかるということは、一方的な神の恵みである。神は人の子として、イエス・キリストを、この世に送った。彼は何の罪もないのに、われわれの罪を背負って、十字架に架けられて死んだ。 この2つのエピソードは、一つは見つける人の熱心さ、見つけた時の喜びが特徴である。洗礼は神が喜んで下さる機会であるが、その後もずっとキリスト者たちの存在を神は喜んでいらっしゃるが。これは親子の関係に近い。3つ目の譬え話は、まさにそれである。妻の携帯電話の待ち受け画面は、1歳だった頃の息子の写真です。小さな子供は3歳までに、一生分の親孝行をすると言われる。神の愛から迷い出ることのないように、われわれは歩むべきである。

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