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創世記第19章15〜29節「主の憐れみと執り成しの故に」

7月7日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。この日の題材は創世記第19章15〜29節「主の憐れみと執り成しの故に」。
 ロトは多くの説教者から否定的なニュアンスで語られている。

創世記第19章15〜18節
創世記第19章18〜26節
創世記第19章26〜29節

しかし実際にはロトは「ペテロ第二の手紙」第2章7〜8節において、義人であると評されている。創世記第19章の前半では、ロトは二人の旅人を招き入れており、彼らを守った。この二人は天使であり、不信心の極みにあったソドムとゴモラを神が地震と噴火で滅ぼそうとしていることを告げて、ロトに逃げるように促した。しかしロトの娘婿たちは、ロトの警告を無視した。ロトは何とか妻と娘二人は連れ出した。しかしロトもグズグズして、なかなか逃げなかった。おそらく婿たちと同じ疑念があり、ソドムの街からの影響を受けていたのだろう。魂が鈍くなって、煮え切らない信仰であった。
 ソドムの街の「この世的価値観」とは、目に見えるものがすべて=お金がすべてということ。1980年代にマドンナが「マテリアル・ガール」という曲を歌っていていた。マリリンモンローのようなコスチュームで、物質的な女の子の価値観すなわちお金がない男の子は御免被るという歌詞だった。「コリント人への手紙」第5章18節には「私たちは見えるものだけでなく、見えないものに目を注ぎます」とある。また「コリント人への手紙」第13章13節には「信仰と希望と愛。この三つだけはいつまでも残る」と述べられている。目で見える物は、いつか崩れる。三浦綾子「続・氷点」には「一生を終えた後に残るのは、われわれが集めたものではなく、与えたものである」。
 結果的にロトは近隣の街への避難を希望し、天使たちはこのわがままも受け入れた。「振り返ってはならない」という天使たちの戒めを破ったロトの妻は塩の柱となった。それでも結果的にロトと二人の娘は救い出された。これはアブラハムの必死の祈りが神に通じたからである。わたしたちにとっての救いは、イエス・キリストである。キリストが血潮を流したことによって、われわれは滅びを免れる。

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