見出し画像

「男性だってジェンダー差別を受けてる」←この反論の無意味さ

ジェンダー平等が叫ばれて久しい昨今。
女性の権利はもっと広まるべきだ、日本は諸外国に比べてかなり劣っている。
こういうことを言うと、すぐに返ってくる、
「男性だってジェンダー差別を受けている」
「ジェンダーといいつつ女性を優遇すべき論。結局フェミニズム」
これらの反論。
私は本当に無意味だと思っている。
なぜならば、この発言をしてくる人が大抵男性だからだ。
「あぁ、この人わかってないな。」と思うだけで終わる。
そして、男性たちはそのことに気がついていない。
女性の中に、「男性は女性より差別を受けている」という人が
どれくらいいるのだろうか。
もちろん制度やさまざまな大枠上の問題があるのだが、
それ以上に、いわゆる「マイクロアグレッション」が
日本で生活している女性には大量に降りかかっていることに気づくべきだ。
それを跳ね返すにはなかなかの労力がいる。

マイクロアグレッションとは?

マイクロアグレッション(英語: Microaggression)とは、1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアス(英語版)によって提唱された[1]、意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと
(出典:Wikipedia

ここでポイントなのは、「何気ない」というところ。
これが恐ろしいのだ。言った本人は悪気がないケースがほとんどだからだ。
先日学生に聞いてみたところ、
さまざまなマイクロアグレッションが出てきた。
私自身もたくさん逢ってきた。
例えば、
「(結婚後)なんで会社では新性を使わないの?」
「(土日、チアの仕事をしていると)旦那さんは何も言わないの?」
「(髪の毛をばっさり切ったら)女の命は髪なのに、もったいない〜」

男性が女性に対して語る「キャリア思考」の暴力

最近、人生に悩むことが多いのだが、
そういうときによく出会う、過度な励ましという暴力が怖い。
端的に言うと、男性からくる「やればいいじゃん」のひとことだ。
やりたいことがあるならやればいい、
夢があるなら追えばいい。
そうやって言ってくる男性の多くはきっと、
私が感じているモヤモヤなんて微塵も理解していないのだろう。

先日そういう話になったとき、意を徹して反論してみた。
「日本では、男性でも夢を追ったり人と違う道に行ったりするときに
周りからの雑音が大量に入ってくると思いますが、
女性は男性の比ではないくらい入ってくるんですよ。
それらのひとつずつを跳ね返していると、
いつの間にかヘトヘトになっています。
それを返せるくらいの強い意志がないとなかなか難しいんですよね。」

そう言うと、相手の男性は「?」という顔をしていた。
先輩研究者たちが援護射撃をしてくださったのだが、
それでも納得いっていないようだった。

この差が、過度な励ましが攻撃的になる所以である。
ただでさえ輪を大事にする日本人。
女性は進化心理学の観点から言ってもその傾向がさらに強い。
そんな中で、全てを破壊するような行動に出るのはなかなかしんどい。
バランスを取りつつやっていくしかなくなるのだ。
なのに、それをすっとばして、「やればいいじゃん」的に言われると
だいぶイライラする。
できるならやっとるわ!!!!!

ジェンダー差別を考えるには、まず身近なところから

マイクロアグレッションに気付くには、
自分とは違う文化を持った人と接するのが一番早い。
同じ文化圏にいるとそれが当たり前になってしまい、
攻撃を受けている側のことなんて微塵も考えない。
ここでいう文化圏とは、日本文化、というレベルのこともあるが
もっと小さな、地域や集団、会社などでの文化も指す。
脱サラして、自分がいかに社畜だったかに気付く瞬間がたくさんある。
飲み会では末席に座り、
先輩に聞かれる前にすぐさまお酒を作る。トイレの場所は完璧に把握。
それは「会社員として快適に生きていく」ための術の一つだった。
そこで女子社員が率先してお酒を配ることが「良し」とされていた。
私はそれをうまく利用してはいたが、
そうした私の行動で後輩女子たちが攻撃を受けた現場を何度も見てきた。
「あいつ(私のこと)はしっかり動いているのにお前はどうなんだ」と。
後輩男子は言われないのに。
それに気付いたのは、外の世界に出てみて、いろんな人に話したときだ。
中にいると当たり前なことすぎて気にもとめない。
そういう、細かいことはたくさんあるものだ。

男性は女性の生活を「観察」してみるといい

なかなか非現実的ではあるが、
男性は女性の生活を観察してみるといいと思う。
どういう話をされるのか。どういう行動をしているのか。
何にどれくらいの時間や労力、お金がかかっているのか。
男性が思っている以上に、マイクロアグレッションはそこらじゅうにある。
観察は難しくとも、
男性としての自分の考えを押し付けるのはやめた方がいい。
前提が違いすぎる。
もちろん、逆も然りで、女性側が男性側の理解をすべきだ。
ただ、女性の方が観察力が優れているという点を忘れてはならない。
男性は自分が思っている以上に、女性から見るとわかりやすい。

ジェンダー平等を述べる際、
どうしても女性の地位を上げる議論になってしまうのは
ある種仕方がないことだと思う。
社会構造上そうなっている。
男性社会に女性を入れてあげる、という発想を
社会全体がやめない限り、この議論は終わらないだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?