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「バイタリティの鬼」

 夏が来ると思い出す人がいます。バイタリティの鬼のことです。
 彼女の名前はエンドウさん(仮名)。全国に40人ほどしかいない、あまりにも珍しい苗字だったので、念のため仮名にしておきます。八重さんの人生を変えた人の一人です。
 
 中学二年の夏、北海道ジュニアセミナーに行きました。恐らく数回だけ開催された、今は存在しないイベントのはずです。全道212市町村(当時)から(各中学校からだったかも)それぞれ2~3人くらいの中学生が大雪自然の家に集まり、高校生のサブリーダーや教育委員会の方と2~3泊するというものでした。なんせ、八重さんの出身は村で、保育所も小学校も中学校も一つでしたから、未知の中学生の群れに圧倒されたことを覚えています。
 
 初めましての人間、しかも触れ合ったこともないようなタイプの人間が一か所に集まって、アイスブレイクやワークショップ、もの作り体験、十勝岳登山、ディベート、出し物の検討や練習なんかをしながら寝食を共にし、大いに語り合ったわけです。異文化交流。カルチャーショック。
 
 そのなかにバイタリティの鬼、もといサブリーダーエンドウがいました。
 地域で一二を争う進学校の二年生。その年、甲子園に行った野球部のマネージャー。同時に書道部の部長であり、全道大会常連演劇部の一員でもあり、また、生徒会書記局の書記でもあり、僕らのサブリーダーでもありました。どうなってるんだ、サブリーダーエンドウ。
 ちょっと常軌を逸しているので、確認のために前の段落をもう一回読み直してみてください。内容は変わりません。
 こんなバイタリティ溢れる高校生、いや仮に大人だとしても、そうそういませんよね。何が君をそうさせたんだ、サブリーダーエンドウ。
 いずれの活動についても、目をキラッキラさせて、誇らしげに語るエンドウさんを見ていて、少年の八重さんは思うのです。ああ、このままじゃダメだ、と。
 
 当時の八重さんは内気で大人しい本好きの少年でした。生徒会でもなく、部活もぼちぼち。勉強はなんとなく出来ていましたが、学年で中の上か上の下。悪さをするわけでもなく、要するにパッとしない奴でした。
 でもね、そんな八重さんを当時の担任サカグチさんが、どういうわけだかジュニアセミナーに推薦したために大きく舵を切ることに。
 だって、エンドウさんに憧れちゃったもんだから、やるしかないわけです。
 後期にすぐさま生徒会に入り、勉強も追い上げて学年で三つ巴の首位争いをするまでになりました。部活も基礎からせっせと取り組んだ結果、100mで12秒台を出すまでになりました。貪欲ですね。
 
 もっと、もっと、エンドウさんのような輝きを、と追い求めているうちに大学では文芸部、ラジオサークル、吹奏楽団を掛け持ちし、ラジオ系と美術系のNPO二つに所属し、地域最大の祭りである「ねぷた」の団体に入り込み、高校生に進路について考えてもらうサークルを新規に立ち上げました。
 現代美術のアーティストの製作スタッフボランティアとして、24時間分のネットテレビ番組を作ったこともあります。この話は、別のタイミングに。
 
 と、まあ、気付けば内気な少年八重さんは鳴りを潜め、現在の八重さんの原型がいつの間にかできていたわけです。あのとき推薦されてなかったらどうなっていたんだろう。エンドウさんに出会ってなかったらどんな自分になっていたんだろう。そう思わずにはいられません。
 あの夏、いくつかのことを学びました。何かに夢中で一生懸命な人は、目を輝かせて大好きなことを語れる人は、あんなにも魅力的なこと。人を動かす力があること。何よりも、あんなバイタリティある人間が存在すること。
 この話をすることで、「最近、そういう闘志が足りないんじゃないか」という気がむくむくと湧き起こってきました。あのエンドウさんなら30代半ばの今もばりばりに活動してるはず。
 エンドウさんに笑われないように頑張っていきたいものです。

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