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「まず好きになる」

 「まず好きになる」、この言葉と出会ったのはかれこれ何年前だっただろうか……。
 話は八重さんの中学校時代にさかのぼります。卒業文集に担任の国語の先生サカグチさん(「バイタリティの鬼」で八重さんの背中を押した恩師)が書いていたのです。「まず好きになる」と。
 
 彼曰く
 「大学の入学式で、できれば関わり合いになりたくないヤバいやつがいた。ひげは伸び放題で服はよれよれ。眼光は鋭く、眉間にしわを寄せて不機嫌な顔をしている。入学したての大学生とはとても思えない。
 ところがふとしたときに、授業で隣の席になってしまった。頭を抱えてみたものの、話してみると案外気が合う。
 そして、地方から出てきたばかりなことや人見知りであることから、大学入学やそれに関わる引っ越しで疲れ果てていたこと。それにも関わらず、アパートの上の階の住人が騒がしくて前日にうまく寝られなかったこと。
 ぽつりぽつりと近寄りがたい雰囲気だった理由を教えてくれたのだ。
 教員になって、学生時代の出会いから10年以上が過ぎた。あのときのヤバいやつは今では親友で長い付き合いになっている。あのとき、あいつを偏見で遠ざけていたら、俺は一生の友達を得られないところだった。
 だから、偏見を減らしてなんでもまずは好きになってみてほしい。それからでいいじゃないか。」
 とのこと。
 
 中学校の卒業文集に書かれていたその言葉を八重さんが思い起こしたのは、就職浪人の後に少しして、第一次教員生活が開始されるときのことでした。ずいぶん時間がかかったものの、中学生のときにはうまく受け取れなかった「まず好きになる」という言葉が、すさまじく荒れ荒れの初任校に赴任したときに、突如電撃のように蘇ってきたのです。
 
 なんたってね、荒れてますよ。赴任前に校長と話したときに「うちの子たちは少し『元気』ですけど、大丈夫ですか?」とか「もう数か月新しい先生を探しているけど、一向に捕まらなくて困っていたんです。引き受けてくださって助かりました」とか言うんだもん。母校の先生に赴任先を報告したら「八重ちゃんの笑顔が見られるのも今日が最後か……」とか言うんだもん。
 でも、そのときに先述の電撃ですよ、電撃が走ったんです。「そうだ、『まず好きになる』だ。決めつけてはいけない」と。まあ、半ば自分を鼓舞するために言い聞かせた側面も無きにしも非ず。

 いざ、その高校に赴任してみると全くもって前評判通り。校内で歓迎の爆竹を鳴らす男子高校生、授業中にカルボナーラを食べる女子高校生、学校の周りを爆音で日中走り回るOBの暴走族……いつの時代だよとお思いでしょうが、これ、昭和じゃないですよ? 平成の終盤の話ですよ?
 カルボナーラに至っては「おい!何食ってんだよ!」「(手を止めて)はぁ? 今、食ってねーし」「じゃあ、これはいらないな!?(ゴミ箱にぶち捨てる)」「何すんだよ!くそが!!(教室を飛び出していく)」というやり取りがありまして。若気の至りですな、お互いに。
 まあ、極めてファンキー(?)な状況でしたが、最終的には生徒たちと打ち解けることができました。それは努めて「まず好きになる」を実践しようとしたからです。いやはや努めた努めた、なんせ補習してたら胸倉掴まれたこともありましたから。努めたなあ……。
 ぶん殴られたかのような(物理的にもすれすれだったけど)カルチャーショックだったなあ……。
 でも、その甲斐あってか割とすぐ打ち解けて、軽口たたき合うくらいにはなったわけです。未だに手紙をくれる教え子もいて、年賀状で結婚の報告をしてくれる子もいるくらい。そういう子たちはいったん仲間と認めた者にはとことん仲間意識を持つんですよね。

 なんかねえ、一回ぽっきりの人生、偏見で可能性を狭めていくのはもったいないなあとしみじみ思った初任校でしたよ。

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