雨の日のバータイム②
これはとある画廊で見た一枚の絵とそれにまつわる話です。
その日私は、前々から招待されていた画廊へと向かいました。
あの日もこんなふうに雨の降る日でしたね。え?天気はこの話に関係あるのかって?そう言われてしまったら、関係ないのですが、なんとなく思い出しただけですよ。
画廊へと向かうと、いつものように画廊のオーナーが出迎えてくれました。
そして、今画廊として力を入れている新進気鋭の若き画家たちのプロフィールなどを簡単に説明してくれます。
今、若い画家たちや芸術家の作品が後々に高値で取引されるということで、富裕層向けに新しい投資ビジネスとして力が入っているのです。
私が呼ばれたのは、新たなパトロンとして出資して欲しいのと、横のつながりで紹介して欲しい。大まかこの二つでしょうね。
画廊の壁には、色とりどりの作品たちが飾ってあります。
抽象画から、風景画、人物画。
新しい世界のごとく、彼らの思いがキャンバスに向かっている。一枚一枚吟味するように作品を見ていきました。
どれも若さ溢れる才能たちが迸っていて、それぞれの個性が引き立っている。
しかし、これぞというものがないので、私はオーナーの説明を聞きながらさらりと見ていただけでした。‥‥あの絵を見るまでは。
その絵は、唐突に現れたのです。
一枚の大きなキャンバスに描かれたとても迫力のある絵を。
中心には美しい少年の横顔。何かに祈るように目が伏せられ、手が組まれていました。
しかしその周りには彼が死に、肉となり、骨となる姿がぐるりと一周して描かれていたのです。
そう、あれはまるで「九相図」を見ているようでした。
あぁその単語の意味がわからないと。失礼しました。
そうですね、あれは簡単に言えば人が生きてどう死んでいくのか、そして骨になっていくのか。と言うことですか。仏教の教えを絵画に表したものです。
流石に私も言葉が出なかったです。描かれている美しい少年は、今まさに絵から飛び出さんばかりの生々しさがありました。そしてその周りも臭いが漂ってきそうな迫力、肉が溶けて、骨が見えだすそのリアル感。
あれは見たものにしかわからない狂気を感じました。
思わず隣にいたオーナーに声をかけました。オーナーはニンマリとした笑顔で話をしてくれました。
この絵を描いたのは駆け出しの青年画家で、真ん中の少年は画家の親族らしいのです。それ以外はこの少年の素性はわからないと。
そしてこの絵は、その少年が実際に腐り、骨になっていく様を描き写したものだと、画家は答えたといいます。
オーナーはこの絵を持ち込んだ時のことをありありと語ってくれました。
ある雨の日、身なりも汚い、一人の男がこの絵を包んでいきなりこの画廊に来たこと。そして、この絵を買い取って欲しい、または自分のパトロンになる人を紹介して欲しいと。
最初はあまりにもおかしいことだったので、断ろうと思ったのですが、布からちらりと見えたものに惹かれ、その布を取ってしまった。そして見てしまった。
この絵とこの話を聞いてしまった。
白い絵の具では出しきれないほどの乳白色、そして肉感は腐っていく時の腐臭が漂うのではないかと思うほどのドス黒い赤色、まるでこの絵を描くために、このモデルの肉体が原料として使われたのではないかと変な勘違いが起こるほどだったそうですよ。
もちろんそんな答えが本当に起きていたら、今ごろニュウスになっていて、報道機関を賑わしているでしょうから、多分違うと思います。
しかしオーナーは画家からこの話の最後にこう聞いたといいました。
自分は悪魔と契約をした。最高の絵を描きたい。そしてあれが生まれた。
あれは、さまざまなものを俺に生み出させてくれた。
あれは最高だ!あれを一生手放したくない!
狂ったように笑って、また雨の降る外へ飛び出したそうです。
‥‥お話はこれでおしまいです。その絵はすぐに買い手がついたのと、パトロンを名乗り出たものがいたそうです。しかし、その青年画家の行方知れず。彼が何者だったかもわからないままだとか。
私が見た時はたまたま、絵が搬出される前だった。
その偶然には感謝すべきですね。何せ、悪魔と契約した画家が描いたものを見ることができたのですから。
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