noteに記録を残す意義

電車に乗って帰る間中、音楽を聞いている。
ジャンルは様々。今日聞いているのは、1年前、一人で夜の田舎道を目的もなく歩きながら聞いていた音楽。

人生のBGMがたくさんある。良い時間も悪い時間も、総ては音楽とともにあった。

いじめられていたとき聞いていた音楽を聞くと、今でも少し息苦しくなる。
高校時代に友達とイヤホンをシェアして聞いた音楽は、今でも私を教室の窓際に引き戻す。
その時聞いていた楽曲は、当時の私に在った感情のみならず、物理的な事象をも閉じ込める。まるで昨日起こったことかのような生々しさを保って。缶詰みたいに積み上げられて、それをもう一度開けることはあまりない。辛かった時期に聞いていた音楽ともなれば、特に。

それなのに、珍しく私はその缶を開けてしまった。
聞いてしまった。

耳心地が良いリズムとチルなメロディーは、恐らく多数の人の心を溶かしたに違いない。頭のどこかで冷静に理解している。みんながおかしいなんてことはない。私がズレてるわけでもない。ただ、貼られた付箋の色が違うだけ。
肺を覆うようなぬるりとした闇に包まれた。溶けたろうの中で、遥か上の炎が作る自分の影をぼんやり見ていたあの頃の不安感。
真っ暗な中ひとりぼっちで、1歩先に踏み出すことも怖かった。できることなら立ち止まっていたかった。でも時間は問答無用で私を置いていくから、焦ってやみくもに歩いては足をくじいた。怖いと声を出す気力もなくて、息を吸い込むたびに死にたかった。

涙が出そうだった。
やめたほうがいいとわかっていた、少なくとも今は。私はもう独りじゃないけど、今の私は一人だから。頭か心が勘違いして、あのときの感情が息を吹き返すから。

沼みたいな不安にズブズブ沈んでいきながら、手慰みに自分のnoteを開いた。一つ前、誕生日の朝の記録。感情で感情を打ち消そうという算段だった。

このnoteは、感情のスケッチのつもりで書いた。

自分で選んだ言葉、読み直しながら書いた文章は、想像以上に鮮烈な記憶を以て私を待っていた。

涙が出そうだった。
あの朝のあの人の言葉が、たしかに私を生かしていることを思い出した。
私はひとりだと知っているのも、私がひとりじゃないと知らしめるのも、他ならない私だ。

僥倖だと言い聞かせている。
だいじょうぶ、もう少しで、灯りのついた部屋に着くから。

いつかこの缶詰が、私の好物になるように。
調味料に使えるように、このnoteを残しておく。

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