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生まれてきてくれてありがとうって言ってくれてありがとう

誕生日が来た。21歳になった。
朝起きたら恋人が横で眠っていた。幸せだと思う。

私は自分の誕生日が嫌いだ。昼ドラばりにドロドロした出生の私に昼ドラばりにドロドロした親族からすり寄るようなラインが来て、私はそれにすり寄ったように返さなければならないからだ。昨年なんかは最悪だった。二十歳の節目は何やら大事らしい。

今朝はよく晴れていて、そして寒かった。気温は昨日の半分までしか上がらないそうだ。
誕生日が来た。21歳になった。
朝起きたら恋人が横で眠っていた。幸せだと思う。
アラームの鳴る4分前、静かなワンルームに冷たい空気が詰まっている。
接客業の彼は、繁忙期である土曜日の今日に休みを取れなかったことを悔いていた。悔いるほどのことではないと思うのだけれど、私だって逆ならそうなる。羨ましいくらい長いまつ毛の影を見ながら枕に伏せた。

「……おはよう」
けたたましいアラームを素早く止めた恋人の、かすれた声。私は毎朝目を細めながら返す。
「おはよう、何時に出るんだっけ」
「はちじ」
今は7時半だ。我々には余裕があった。
「今日寒いみたいだよ」
他愛もない話は小さな声で。寝起きの彼には多分合っていた。そうして、寝ぼけたまましばらく私の頬や頭を撫でていた手が止まる。
「きょうは……、誕生日、おめでとう」
自分が寝る前にさんざん「(私の)二十歳最後の日」と楽しみにしていたのを思い出したらしかった(私は特に何とも思っていなかったが、彼があまりに言うのであわてて孔雀を描いた。二十歳最後の絵)。
「……ありがとう」

身支度は20分で終わる。私はアイメイクしかしないし、11個あるピアスの穴は過半数にピアスをつけたまま眠ってしまうからだ。洗面所から戻るとキッチンで恋人が待っていた。私達はいつも換気扇の下でタバコを吸う。
髪を整えて制服を着、しゃっきりした顔の彼は、私の顔を見て笑った。
「誕生日おめでとう」
思わず笑ってしまった。すごく嬉しそうだったから。
「別にめでたくはないよ」
照れ隠しは可愛くないことも、これを照れ隠しと彼が知っていることも、私は知っている。
「んーん、めでたいよ。今日がなかったら俺達出会えなかったんだから」
「……」
出会えないのは困る。とても困る。ぐうの音も出ない。恋人の勝ち誇った顔と言ったら。
彼は煙を吐き出して、私に向き直って笑った。

「生まれてきてくれてありがとう」

目を細めたその表情、普段より優しく上がった口角、タバコを持つ手の角度、上がる紫煙のペースまで、私は一生忘れない。
朝日の入らない薄暗い部屋の換気扇の音しかしない隅っこで、明かり取りの窓から入る空の青を受けて笑う恋人。
声が出なかった。たしかに大きな愛で包んでもらった確信があった。

本屋に行くのに電車に乗って、なんだか泣きそうになった。そんな風にひとに言ってもらえるような、大層な人間ではないのだ。生まれてきてよかったなんて思ったことはない。むしろ生きていていいのか、なんて自問するような日々だ。
でも、嬉しかった。好きな人に、私がここにいることを喜んでもらえた。そんな僥倖があっていいのだろうか。
「絶対早く帰るから」
真剣な顔でそういった恋人を思い出す。脊椎の奥から溢れ出るような感情を、書き留めないわけにはいかなかった。クロッキー帳の新しいページにペン先を乗せる。

今朝はどうもありがとう。

揺れる電車、走るペンが止められない。煙みたいにつかめない、まだ輪郭を捉えられるほど知らない初めての感情を、あとでまた書き出せるのか。私には自信がなかった。

感謝と感謝と感謝を書いた。

往路の電車で書いているから、字が汚くてごめん。

あの時言えばよかったと思ったこと。クロッキー帳を手にする前から、書くと決めていたこと。
この一文を綴るために、手紙を書くと決めた。

生まれてきてくれてありがとうって言ってくれてありがとう。


愛しています。
私より。


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