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生まれてきてくれてありがとう

18歳の誕生日のとき、独り暮らしを始めたばかりの松戸の六畳ワンルームで、当時交際したてだった彼氏から言われたひとことだ。

閉めたカーテンの隙間から春の陽ざしがぴんと筋を通し、真新しくて安っぽい白の壁と天井に一筋の直角を描いていた。埃がきらきらと輝いている。

その光景を、わたしは胸、腹あたりに密着する他人の体温と呼吸を熱く感じながら、不思議そうに眺めていた。

「生まれてきてくれてありがとう」

18年間、日数にして6,570日間。わたしは自分が生まれたことに感謝をされたことなどなかった。もしかしたら両親はわたしの生に感謝していたかもしれないが、残念ながら当時のわたしの感性では、そのような温かい気持ちを受け取った記憶はない。

だから、その一言は、わたしにとって生まれて初めてのものだった。

もらった瞬間に、すべてのパズルがするするとほどけたような気がした。解けるより、溶けるに近い感覚。ずっと、ずっと欲しかったのはこの言葉だったんだ。

自分がなぜ生まれたのか、なぜ生きているのか、6,570日間わからなかった。それなのに、『今日』は毎日訪れるし、布団から出るためには目標を作らなければならなかった。成績を良くしよう、受験で合格しよう、部活動で全国大会に行こう、ピアノのコンクールで優勝しよう。あとは、あとは。

そうやって積み重ねてきたわたしの全ては、わたしの生をわたしが認めるためのなけなしの虚像でしかなく、わたしが心から求めて選んだ行動ではなかった。

でも、わたし。

生きているだけで、十分って、認めてほしかった。

わたしはこみ上げる気持ちを涙に変えて、ただただ、その言葉をくれた彼の細い背中にしがみついた。この人がわたしの生を認めてくれる。大丈夫、わたしは生きていていい。目標がなくても、この人のために生きればいい。

そのあと約4年間の記憶が、どうもあいまいだ。

***

「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれたその人は、ある冬、完全に、わたしの人生から離れていった。別れ話は数えきれないほどしていたから、どれがそのタイミングだったのかは定かではない。

ただ、珍しく東京で粒のこまかな雪が降った夜、赤いヴィヴィアンのコートを着た自分が、空をあおいで泣いている光景をありありと思いだせる。おそらくあれが、別れを実感したときだった。

一生一緒にいようと約束して買った、大学生にしてはあまりに高額な指輪を、やせ細った薬指から外して、渋谷の高架下に置いていった。

彼が好きだった煙草を吸って、吐いた。肺が痛んで、咳き込んだ。やっぱり白い息が出る。煙草を吸っていなくても、自分の呼吸が見えた。その凍てついた一息に、わたしは生きている、と気付く。

彼はたしかにわたしの生に感謝してくれたが、それに甘んじて生を放棄したわたしは、なんと愚かだっただろう。結局、わたしは生きている。彼がもう二度とわたしの人生に現れなくても、生きている。

わたしはあの言葉をもらった瞬間、わたしの人生は救われた、と勘違いした。

違う。救いは、これから始まるんだ。

***

それからというもの、わたしはわたしの生を誰にも渡していない。

もちろん、いろいろな人に助けられ、支えられる人生だ。今だって、そばにいる人に生の一部の重みを預けることで、なんとか生きている。

それでも、わたしの生はわたしのものだ。


わたしはあの誕生日から、さらに追加で4,380日間生きた。

今わたしのそばにいるパートナーは、誕生日だろうがそうじゃなかろうが「息をしているだけでかわいい」と顔をほころばせる。「そうでしょ?」と返せるようになったわたしは、前より少しだけ、死にたいと思うことが少なくなっている。

「生まれてきてくれてありがとう、わたし」

わたしは毎年、誕生日になると心のなかで唱える。

錆びた心の扉が開け放たれた18歳のわたしがあふれかえり、涙が止まらなくなる。彼の救いと別れは、まだわたしの生のなかで続いている。

あの言葉をもらって失ったわたしは、今、しあわせだ。

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