過去の中で生きるわたし

こんばんは。やどんです。

この前、実家に帰省しました。このご時世なので暇で暇で仕方なかったので、小学校まで散歩している途中で、同級生と会いました!

その同級生は、保育園から中学校までずっとクラスが一緒で、部活も一緒だった男の子です。

彼は、勉強はあまりできないので、高校からは別になりました。今は自衛隊に入っていて、GWの間帰省していたようです。

彼に「どこに就職するの?」と聞かれ、「東京のIT系の会社に内定をもらっているからそこにするつもりだよ」と答えました。すると彼は、「IT系?へえ、やっぱり頭いいんだね」と言われたのです。

この時の私は、なぜかにやけてしまいました。「いやいや、そんなことないよ」と答えながらも。
決して私は、このとき浮かれていたわけではないです。

なぜ、にやけてしまったのか。

それは、彼の中に「過去の中のわたし」がいたからです。

自分で言うのもなんですが、昔の私は、勉強ができて、運動もできて、真面目な優等生タイプだったのです。
でも私は、無理して頑張ることができない、踏ん張ることができないまま、高校は第二志望、大学もDランクくらいの大学に入ることになりました。
過去の「優等生だった自分」と「できなくなった自分」を比べて落ち込んだり、自信を無くしてしまうこともありました。

彼の中に生きているのは、「昔の私」=優等生だった私
でも「今の私」は、たいしたことない普通の大学生です。

ああそうか、むかしのわたしは彼にとってそう見えていたんだな、ということ。この感覚が、失った私を思い出し、そして今の私を知らない彼を嘲笑してしまったのかもしれません。

旧友と会うと、昔の自分を思い出します。そして、今の私と比較します。成長したなと思うこともあれば、衰退したなと思ってしまうこともあります。

この差に落ち込んだり、過去に想いを馳せたり、この時間が嫌いだと昔は思っていましたが、今は悪くないと思うことができるようになりました。

どんな過去も今を作り上げている要素である。その過去から出来上がった、今の私に誇りをもとう。

今回の帰省で旧友、現在周りにいる友達、すべての人がいてくれたからこそ私は私として生きていけているんだなと思えたのです。

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