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国による隔離政策を考える 施政権返還50年の沖縄から

 7月18日,第78回精神保健シンポジウム「施政権返還50年−未来への回想 国による隔離政策を考える」が開催された(主催:日本精神衛生会,「国による隔離政策を考える」実行委員会,おきなわ障害者人権センター).
 前日にオプショナルツアーがあり,沖縄島北部の私宅監置小屋,屋我地島の国立療養所沖縄愛楽園を巡った.

 沖縄特有のスコールに見舞われながら向かった集落の,すでに主のいない母屋の離れに監置小屋があった.わずか3畳ほど,食事の受取口といくつかの穴からしか光が入らない.地面から外に掘られた穴は排泄物を流すためのもの.ここで1952年から1966年まで過ごしていた人がいた.精神病者監護法は1950年の精神衛生法で廃止されたが,沖縄では1972年の日本復帰まで続いた.

 愛楽園は,県議会などがハンセン病療養所設置を反対したため,患者らが土地を購入して開園した経緯がある(1938年,1941年に国立へ移管).
 敷地内には納骨堂があり,強制堕胎により産声を上げられなかった「声なき子供の碑」が傍にある.隣接する浜に葬られた胎児もあったという.十・十空襲(沖縄大空襲,1944年10月10日)の際には,入所者によって掘られた壕に913人もの入所者が避難した.爆撃による死者は1人だったが,栄養失調などでの死者が翌年12月までの間に288人に及んだ.

 シンポジウム当日は,私宅監置された人たちの実相を追った「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」(原義和監督)が上映され,その後シンポジウムが行われた.登壇した伊藤時男さんは,22歳の時に福島の精神科病院に入院,東日本大震災の原発事故で避難したことを契機に,40年に及ぶ長期入院にピリオドを打つことになった.入院中,退院が叶わずに自死を選んだ人が多かったという.「長期入院している人のためにも自分一人でも役に立ちたい」と精神医療国賠訴訟の原告に立った.

 ハンセン病違憲国賠訴訟の元原告の金城幸子さんは,全国で国賠訴訟が始まっても愛楽園の入所者には情報すら伝わってなかったという.精神科病院での長期入院の問題は,ハンセン病患者への隔離政策と通じると指摘した.愛楽園のガイドボランティアも務める平良仁雄さん(沖縄ハンセン病回復者の会共同代表)は,ハンセン病療養所に納骨堂があるのは,療養所が治療ではなく隔離政策であることの象徴だ,と訴えた.また,療養所に再入所する人もおり,社会が未だ退所者を包み込むことができていない状況だと語った.

 現地を案内してくれた方に,COVID-19のクラスターが起きたうるま記念病院(精神科病院)は何もないところにポツンとある,米軍機の航路だから土地も安かったのだろう,と聞いた.国の政策によって幾重もの差別が生み出されてきた.やどかりの里でも,国の無作為(不作為とするか,無策とするか)で人生を翻弄されてきた人たちに出会ってきた.誰しも平和に生きる自由がある.隔離や格差を助長する政策を抜本的に見直すことを求めて,活動を展開していきたい.

おすすめの本
響き合う街でNo.102「特集 隠されてきた真実を見つめて」(やどかり出版,2022)



 


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