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古民家で孤独死したら……

 日曜朝から腰痛で起きれなくなり、ほぼ寝たきり……。

 この古民家は山の中腹にあり、ゴミを出すにも軽トラで坂をくだらねばならず、一番近いセブンまでいくにも徒歩三十分ぐらいかな。

 スーパーなどへの買い物は当然車で行くし、お隣の車をいつも使わせてもらっている。

 しかし腰が痛くて動けない……。当然車にも乗れない……。

 とりあえず安静にしていようとひたすら寝る。なぜか部屋の中をでかいモスラ(蛾)が飛んでいる。夜もめっちゃバッサバッサいってる。ばかだなぁ、こんな寒くて餌もない時に……。

 そんなふうに思いながらも動けないのでひたすら携帯で漫画を読む。

 中には死体処理漫画や女の孤独死みたいな漫画もあり、死んだらウジが湧くとはいうけど、それよりやっかいなのが壁とかくいちぎるシミ(紙魚)ってのがいたり、さらにやっかいなのが死体に集まるシデムシ(死出虫)という獰猛ですばしっこい上に飛ぶってのがいることまで知った。
 ほんと死体処理のクリーニングのお仕事の人はたいへんだと思いながら、自分はどれだけ迷惑かけずに死ねるんだろうと思ったりした。

 孤独死孤独死というけれど、死ぬ方は別に孤独を感じているかというとそうとも言い切れないと思う。実際、私は死ぬ寸前の友人とガラケーのメールでやりとりしていたけれど、死ぬ直前までその友人は死ぬとは思ってなかったし、さいごまで \(^o^)/ ←このいつもの顔文字だった。

 その人は結局年齢不詳でいくつかわからなかったけど、心は38歳と言っている男性だった。年齢で先入観を与えたくないというその人の考えに私も激しく同意する。年齢なんて本人がいくつって決めればいいものだし、年相応なんていうのも時代や文化によってもちがう。

 で、おそらくその人の本当に最後にやりとりした相手は私で、管理人によると、その人はベッドで亡くなっていたそうで、私は死体に対面しなかったけれど、夢にその人は出てきた。
 夏から突然何も食べ物を受けつけなくなっていたその人は、私が訪ねるのも嫌がって、食べれそうなものを作って送ったり、ただただメールだけでやりとりしていたけれど、夢の中でもその人は私が記憶した元気なまま。
 死体は痩せこけていたかもしれないけれど、本人は死ぬとは思ってなかったし、明日も普通に目を覚まそうと思って、最後のメールも「じゃあ、またね」って感じで、孤独を感じていたわけでもないだろう。

 だから一人で死ぬこと自体はなんとも思わないけれど、残された死体がいつ発見されるのか、虫がわくのか、古民家のクリーニング代は持ち主の友人夫婦が支払うのか、お隣にも迷惑かけるのかとかそんなことをぐるぐる考えた。

 私は友だちが多いと言われるけれど、LINEだって自分が送らなきゃ相手からくることなんて早々ないし、そもそもみんな忙しいからメンヘラでもない限り「ねーなにやってんのー?」なんて毎日連絡なんてないだろう。

 そう考えると、私がもしここで死んだら、一体だれが発見するんだろうなんて思ったりもする。そりゃ本当にやばいと思ったら隣の人に助けを求めるだろうけど、まさか腰痛で動けないぐらいで、ミカンの収穫で忙しいこの時期に心配かけるようなことはできない。

 しかし動けないとほんと何もできない。買い物どころか食べ物を作ることすら面倒になる。そうなるともう寝てるしかなくて、でもおなかすくから布団からはい出して……。

 そもそも調理する場は土間だ。這っていくわけにもいかない。二足歩行して土間に降り立たねばならない。捕まるところもないし、ここ昔おばーさんがひとりで暮らしてたというけど、足腰かなり丈夫だったにちがいない。

 寝てるとろくなこと考えない。ましてや読んでる漫画が死体処理漫画。

 孤独の感覚はふとした時に訪れる。

 そんな時、中国の元学生から連絡がきた。腰痛で寝込んでることを伝えると、デリバリーを取れという。

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 めっちゃ慰められた。

 思えば中国の大学で働いている時も、ぎっくり腰で動けなくなったことがある。その時、どうしたかと言うと、WeChatのモーメンツで今動けないことなどを訴えた。日本とちがい、学生たちはこのLINEのタイムラインにあたる投稿をよく見ている。

 すると授業中の学生も含めて、学生たちがすぐに部屋に駆けつけて、病院に連れて行ってくれて、ぶっとい針をツボに刺されて一発で治った。

 日本だとどうだろう。私はインスタをやってるわけじゃないし、Twitterもほとんどつぶやかない。LINEだってすぐに反応されるわけじゃないし、一体誰が気づくのか……。

 そんなわけでどうしたら死後すぐに発見してもらえるかなどを考えた。

 やはり人が定期的に来る企画をすることが大事なように思う。

 知り合いで、毎週月曜はカレーの日というのをやっている人がいた。その日はカレーを作るから、誰が来てもカレーを食べられるというもの。

 シンママとかで帰りが遅い子が気軽に遊びに来れる家というのもいいな。晩御飯食べさせたり宿題みたり。でも日本って見知らぬ人に対して警戒心強すぎるから、中国でエアコン修理の人くるからとお向かいさんにいきなり生まれたての赤子を預けられたみたいなことにはならないだろう。

 同じ田舎といっても、中国の田舎とはまたちがって、やはり日本は個人のプライバシーを非常に大事にしているように思う。

 思えば大学内で全寮制ですぐ目と鼻の先に学生が住んでいるって環境はよかったな。ただし夏休みや冬休みは誰もいなくなるから、同僚のポーランド人のおじさんみたいに風邪ひいて死にかけるような目にも遭う。

 結婚したり家族がいれば安心なんてのも大きな間違い。こじれた家族より近くの他人。やはりここは他人にいかに助けてもらいやすい環境に身を置くかってことになるわけか。

 その人がいないとすぐ確認とってもらえる仕事とか? それこそ私が授業休むと「どうしたんですか?」と必ず学生から連絡はきた。芸能人に何かあるとマネージャーが大体連絡して気づくってのもあるし、早く発見されるには仕事を通して社会と関わり続けることか。

 しかし腰痛で動けないんじゃそもそも働けない。本末転倒。

 そうなるとやはり日頃遊びに来てくれる友達をたくさん作ること? そういやテレビで漁村のおばちゃんたちが朝から晩まで井戸端会議ってのやってたなぁ。ああいうところだと毎日おしゃべりしている人が現れなければすぐ確認したりするんだろうなぁ。

 都会の交通の便がいいところの方が人は訪ねてきやすいだろうか、カレー日やるならそっちかな。でも都会人忙しいし、田舎のほうがおせっかいに介入してくれたりもするのかな。でも実際ここでは誰もこない。

 地元札幌でぎっくり腰で動けなくなったときは、親しくしているマッサージの先生がチャリで家まで来てくれた。しかし、北海道は冬はアウト。

 犬飼ってたけど、飼い主死んだら助けを呼びに行くかというと、そんな名犬なかなかいない気もするし、逆に残された犬がかわいそう。

 とりあえず、明日はゴミの日なので、明日もし私が動けなかったら、お隣さんは気づくかも? いや、「今日はゴミ出さないのね」ぐらいか。気づくのは二週連続ゴミ出ししない時だろうから、やはりそれでは死後一週間は経過してしまう。

 とりあえず寝る時はエアコン切れば、今少し寒いし腐敗しないか。でも漫画では死後数日で虫がわくと描いてあったしなぁ。

 リルケの本に人は皆死の種を持っているみたいな話があったな。種の種類はそれぞれで花の種類も決まってる。つまり死に方も決まっているというような話だったかな。もう昔で忘れたけれど。

 ほんと寝てるだけだと色んなことを考えるし夢もたくさん見るわ。
 今ここで腰痛で寝込んでいることは誰も知らない。

 でも孤独って人がそばにいるから感じないってものでもない。
 ふだん連絡をとってなくても、相手を想うこともある。

 この前ドイツ人の友人からもメールがきた。彼女は長らくメールをしていない時、コロナで困窮しているんじゃないか、お金を送ろうかと言ってくれた。

 ポーランド人のおじさんも時差で早朝うるせーってなるぐらいピコンピコン連絡くるし、遠く離れていても、すぐ会えなくても、ふと思い出してくれる人がいると思えば孤独じゃない。

 だから怖いのは孤独死じゃなくて、孤独な死体をどうするかっていうところ。ああ、本当に困ったなぁ。

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