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探偵file 003 大阪ディープ探訪③ 伝説の花街「飛田新地」を歩く

大阪ディープ探訪③ 伝説の花街「飛田新地」探訪

大正時代、日本最大とも言われた遊郭の空気をそのまま21世紀に伝える街、飛田新地。欲望と本音と建前、矛盾と伝統とが複雑に渦巻く街を探訪した。

明治45年、難波新地遊郭が全焼するみなみの大火が発生した。後に再建が許可されなかったため、当時、墓場や処刑場があって土地が安かったと言われる天王寺村北西部の低地に代替地を求め移転、大正5年に遊郭の指定を受けたのが飛田新地の始まりだそうで、現在もその場所、西成山王地区の一角に飛田遊郭はある。

(Twitter ニュー伊吹@ibukiinterpress より引用)

商店街アーケードを進み「飛田新地料理組合」と大きな看板に書かれた立派な歴史がありそうな建物の路地から、その一角に足を踏み入れる。と、そこには、ここは果たして本当に令和の日本なのか?、と明治時代から昭和中期までを彷仏とさせるまさに絵に描いたような遊郭のそれがあった。

日本古来の遊郭の佇まいを、この令和の時代の残す約20,000坪の異空間。159店舗もの店が明治時代にタイムスリップしたような提灯灯篭を掲げる玄関が開け放たれ、縁起者とされる鳥や蛙の置物が置かれ、可愛いぬいぐるみや胡蝶蘭などの植物も置かれている。

中からは呼び込みに勤しむ大阪のおばちゃんたちが、「お兄さん寄ってって、可愛い娘でっしゃろ」などと捲し立てるように声をかけてくる。

玄関中央にはアイドルと見紛う如きの可愛い女の子が、明るいスポットライトに照らされて、にこやかに笑顔で手を振ってくる。吉原を描いた映画に出てくる曲輪の客寄せそのものだ。

遊郭の歴史は、遡れば戦国時代、豊臣秀吉の時代、さらには奈良時代からあるとも言われており、あらゆる時代を経て現在まで存在している職業である。それこそ、人類史最古の職業とまで言われたりするが、現代社会に於けるその道義的善悪を論ずるつもりはない。

ここは、飛田新地料理組合に加盟している料亭が軒を連ねているだけであり、料亭内での客と中居さんとの自由恋愛と言うことであって、当局からも黙認されているという法律と無縁な建前論で成り立っている場所なのだ。

そんな治外法権的なここ飛田遊郭には法律とは無関係の厳格な掟がある。

この飛田遊郭の一帯全てが撮影が厳しく禁止されている。公道での写真撮影を規制する法律は日本には存在しない。しかし、警察沙汰に発展しても撮影した人が咎められるらしい。

実は私もこんな掟があるとは梅雨知らず、風景写真を一枚撮影したところ、呼び込みのおばちゃんら数名に取り囲まれ怒号の叱責を浴びてしまったのだ。その写真を削除させられ、復元も出来ない様にチェックされ、ようやく解放されるという恐ろしい体験をした。

事前勉強はやはりすべきであると後悔。
というわけで写真がないのである。

写真を撮れるのは鯛よし百番のみ。この店は一番豪華な料亭として栄えていたらしい。
大正時代に建てられ、かつては遊廓として使用されていた。「百番」という屋号は遊廓でも最上級の格を表すらしい。

建物の完成年はよくわかっていないが、飛田遊郭の開業大正7年から暫く後、大正14年から昭和3年の間とされている。屋号は「百番」で、土地・建物は大阪土地建物株式会社が所有していたが、1951年に菊地某が買い取り、京都の絵師、大工棟梁を動員して大がかりな改装を行った。日光東照宮の陽明門を模した応接間の入口や桃山風の派手な装飾はこのときの制作と見られる。1954年、宴会場「桃山閣」としてオープン。後には一部が「桃山美術館」となった。1960年代には「料亭百番」、70年代後期には「鯛よし百番」として営業。現在は鍋料理や会席料理を中心とする和食料理店となっている。

建物は木造2階建。屋根は桟瓦葺きで、建築面積291平方メートル。延べ床面積は580平方メートル。

1階は数寄屋造や書院造など伝統的な和風建築を組み合わせた造りになっている。2階には擬宝珠高欄を巡らし、角を隅切りとし、玄関に唐破風を設置。大阪の歓楽街の殷賑を伝承している。平成12年2月15日、登録有形文化財となった。

そして、この遊郭一帯においては、一般女性の立ち入りも厳禁とされている。女性連れのカップルも勿論立ち入りはタブーと言う江戸時代から続く遊郭独自の厳しい掟が未だに存在するという。

冷やかし半分の物見雄山には厳しい目が向けられるのだ。令和の時代にも、そこには昔ながらの遊郭の掟が存在していた。

高級遊郭だった非常に貴重な木造建築の「鯛よし百番」は、国の登録有形文化財にも指定されており、現在は本当の料亭として食事を提供していることから、ここだけは撮影も許されているとのことである。

治外法権の外国に来たが如くの「飛田遊郭」。

物見雄山の私には少々ディープ過ぎた。東京の吉原と同じく、様々な悲愴な女性史を考えると気軽に散歩で訪れる場所ではないと感じられた反面、多くの日本人は文化的観点から見ておくべき場所のひとつでもあると思う複雑な感情を抱かせる初めての場所であった。

貴重な体験(余計な体験はしてません!)をした後は、大阪観光の王道、通天閣に向かって見たいと思います。

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