私の嫉妬その4:研究者

多くの人がこれまで夢を持ったり、なりたい自分像があったりしただろう。私も例外ではなく、夢というか野望というか、まあそんな野心を抱いていた。その一つが研究者になることだった。

しかし、それは叶わなかった。

皆さんの想像通り、研究者になるのは大変である。多くの場合、大学院の博士課程で博士号を取らなければならない。最低でも大学を4年間通い、2年間修士課程で研究をして修士号を取り、更に博士課程でみっちり3年間研究漬けとなってようやく博士号を貰える。計9年間大学にいなければならない。加えてこれは最短距離で留年したり休学したりと何年もかかる場合もある(分野によっては博士課程で留年・休学、博士課程の間に博士号を取れずに満期退学なんてのも当たり前)。

また、研究だけに専念できるわけではなく、英会話のスキルを身に付けなければならなかったり、後輩の指導を手伝ったり、ボスの手伝いがあったり、ご機嫌伺いをしたり……等々。社会(研究者コミュニティ)に馴染むための準備と考えれば妥当なのかもしれないが。

更に、博士号を取ってからも大変で数少ないポストを獲得するための、いわば就職活動も待っている。更に更に、晴れて雇用されて自力でお金を貰える研究者になってからも大変で、常に成果を出す必要があったり、有期雇用でない安定したポストを得るのは至難を極める。

そんな研究者コミュニティで生きていく覚悟は持っていた。しかし私はそれを諦めた。

理由は二つ。

ひとつはコミュニケーション能力の不足だ。いくら研究者といえど、仕事を確保するためには実力だけでは難しい。第一線で活躍する研究者や同じ分野の研究者仲間を作る必要もある。コネともいえるだろう。もしかしたら実力のあとに付いてくるものかもしれないが、私にはそうは見えなかった。特に海外の研究者とコミュニケーションには英語という壁もあり、なかなか大変なところもある。

もうひとつは金銭的不安だ。世の中にはなかなか大学や研究所のポストに付けず、アルバイトをしながら研究を続けざるを得ない人もいる。実家の経済状況は悪くなかったのだが、親が高齢なのもあり、負担があった。

まあ、なんといって私の実力不足というのもあり、それは自覚している。ボスに研究者として向いていると言われたが、障壁は大きかった。結局修士号を取って、私は大学を離れることとなったのだ。

そんなわけで続々と研究者としてのステップを歩んでいる先輩や同期、後輩に劣等感混じりの嫉妬を抱いている。

この嫉妬は持たなくてもいいのはわかっている。何故なら私の決めた道なのだから。私の判断であり誰も悪くない。諦め、妥協したのは自分だ。

それでも、いや、だからこそ(苦労はあるだろうが)研究者が輝いて見える。知を探求して、形にする。なんとカッコいいことだろうか!

見た目より決して華やかではないし、むしろドロドロした部分も多いのは知っている。研究者は荒波に揉まれ、耐えなければならない職業の一つだ。安定したポストを得るには運も左右する。

いつか博士課程に身をおきたいとは思うが、難しいだろう。

大きな目標や夢に突き進むことは大事だ。そして同時に人生は諦めや妥協も必要であることは間違いない。研究者に嫉妬するのはお門違いかもしれないが、私は私の心に嘘は付けない。

ブログとはまた違ったテイストです。