縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?

縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?
   自民党憲法改正草案を読む/番外394(情報の読み方)

 2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。
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菅内閣 発足/「行政の縦割り打破」
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 問題は、「行政の縦割り打破」のために、どういうことをするか、である。記事にこう書いてある。
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 首相は(略)「行政の縦割り、既得権益、悪(あ)しき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」と強調した。その一環として、国民から具体的な事例を通報してもらう窓口「縦割り110番」を設置する考えを明らかにした。電話や電子メールで受け付ける方針だ。
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 この読売新聞の記事を読むかぎり、「縦割り110番」をどこに設置するのかがわからない。「どんなこと」を対象にするのかがわからない。そして、ここがいちばんの問題だと思う。
 「通報」はきっと「密告制度」にかわる。

 コロナ対策を思い返すだけでいい。感染したかもしれないという不安があっても「海外渡航歴がない、37・5度が4日つづいていない」などの理由で、何人もの国民が困っていた。「受診基準」は国が設置したものである。保健所を含む医療機関は、「国の基準に合致しないから診察・検査できない」と言い張った。
 「縦割り110番」がなかったから、この問題が改善できなかったのか。
 政府に、その声を聞く姿勢がなかったからである。国民の声は新聞やテレビで国に伝わっていたはずである。そして、そのとき「国民の声」を聞いた加藤は何といったか。「37・5度が4日つづかないと受診できない(4日はがまんしろ)というのは国民や保健所などの誤解である」と責任を国民と医療機関に押しつけた。加藤は、自分には一切責任がない、と言い張った。
 ここからわかることは、大事なのは、苦情の通報制度の確立ではなく、苦情に個別対応する現場の「自由度」であることがわかる。実際、和歌山県では、国の基準とは違う基準で対応し、感染者抑制に効果を上げた。現場にしかわからないことがある。現場にまかせる、いわば「権限の委譲」が必要なのだ。
 「国民の声(苦情)」を一括管理し、問題点の改善を上から指摘、指導するするというのでは、新しい「縦割り(基準)」ができるだけである。「37・5度以上が4日は、37・5度が2日」に変わるだけである。つまり「37・5度が2日つづいていないなら検査できない」と言い直されるだけである。体温には個人差がある。ふつうの体温が36度以下のひとにとっては37・5度がどんなものかが考慮されていないままである。

 こんな問題も考えてみよう。公園に、いろいろなものが捨てられている。家具、家電製品、腐った魚、医療品(注射器)。あの奇妙な黒い塊はテロリストがつくった爆弾? そういうものを見たとき、市民はどこに通報すればいいのか。通報を受けた部署は部署で、処理を別の部署おしつけないか。注射針があるなら、特別な注意が必要。もし爆弾ならば、ごみ収集車では処理できない。市でなかなか解決策が出ない。このとき国民が「縦割り110番」に電話したら、どうなるのかなあ。
 きっと、「ごみ問題は自治体の問題です。苦情は市役所にいってくれ」と言われるだけだろう。
 あるいは、こんな問題はどうだろう。米軍基地の近くに住んでいる。飛行機の音がうるさい。隣の家は防音窓が設置されたのに、自分の家には補助が出ない。基準の適応がおかしい。もっと柔軟に対応してもらいたい、というようなことを「縦割り110番」に通報したらどうなるのか。
 「そういう問題は受け付けていない」と鼻から拒否されるのではないのか。

 なんといっても、何が縦割りか、そのこと自体が国民にはわからない。「行政の縦割り組織構造」が国民にはわからない。どこからどこまでが「縦割り」内部の問題で、どこから「縦割り」を超える問題か、それがわからない。わかるのは、自分の苦情が「たらい回し」にされているということだけである。
 「縦割り行政(縦割り組織)」の問題点は、わざわざ「外部(国民)」の声を聞かなくても、その組織の内部で働いているひとならわかるだろう。こういう改善をしたいのだがと提案しても、それはよその部署の問題、という拒絶に出会うのは内部のひとだろう。国民の声を聞く前に、実際に働いている内部の声を聞くべきだろう。
 かつて田中角栄が大臣になったとき、該当の職員に、「提案(主張)があればだれでも直接私に言ってこい」と言ったそうだが、こういった「部署内部」の自由こそが大切だろう。「内部」の自由を高める必要があるのだ。「内部」の問題を「外部」の声を聞き、その声にあわせて上から改革しても内部の問題は複雑になるだけだろう。新しい「押しつけ」が生まれるだけだろう。
 だいたい菅のやろうとしていることは、「内部(下部組織)」の声を聞くということとは逆である。菅は「政府の方針に従わない職員は異動させる」と言っている。「他人」の声を聞かない、自分の主張に従わせる、と言っている。
 こういう人間が「縦割り110番」によせられる国民の声を聞くはずがない。国民に逆に何かを命令するだけだろう。命令を出すよりどころとして「縦割り110番」を利用するにちがいない。

 つまり、こういうことだ。
 「縦割り110番」が菅が打ち出している「デジタル庁」に設置され、メールで受け付けた「通報」が全部集約されるとする。マイナーバーとメールが結びつけられ、だれが、どんなことに対して不満を持っているかという情報が一か所に集められる。「苦情」というのは一回言えば解決するということはない。解決したように見えても新しい問題点が見つかる。そうすると再び「110番」する。それが積み重なると、ある人物がこういう不満を持っているということが徐々にわかり、それが「情報」として共有されることになる。(電話にしろ、電話番号は把握され、記録され、「情報」として共有されるだろう。)
 たぶん、これこそが菅の狙いなのだろう。
 「縦割り110番」という国民の意見を聞く組織を前面に出すことで、国民の「思想調査」をし、分類する。行政機関がどんな討議をし、どんな結論に達したかという記録、議事録は残さない。しかし、国民がどんなことを言ったかを、克明に記録し、集積する。国がやっていることは「情報公開」しない。しかし、国民のやっていることは「情報管理」する。
 そしてこのとき、「その問題は、縦割り110番で受け付ける問題ではない」と担当者が回答したとしても、その瞬間に誰がどんな苦情を言ってきたかということは抹消されるわけではなく、誰が何を言ってきたか、少なくとも誰が言ってきたかは記録として残る。そして、その情報は「不満分子」として共有されるようになるだろう。
 前川問題を思い出すべきだろう。前川の風俗店通いを菅は、どう説明したか。「風俗店」だけを強調したうえで、前川の人格攻撃をしなかったか。こういうことが、一般国民にまで広げられるのである。

 「縦割り行政」を改めるというのなら、まず、森友学園、加計学園、桜を見る会の問題から見直すべきだろう。「資料は廃棄した」と簡単に言うが、どの部署をの資料を廃棄したのか。財務省の資料だけを調べて「存在しない」というような対応の仕方はおかしいだろう。いちばんわかりやすいのが、桜を見る会である。各省庁経由で選ばれたひとがいるはずだ。資料は分散しているはずだ。ホタルニューオータニにも資料があるはずだ。ホタルニューオータニは「民間企業なので、対象外」というのであれば、それこそ「縦割り」の考えだろう。
 国会では、野党には、この「縦割り」を武器にして、菅を追及してほしい。「縦割りを打破すると言ったのだから、まず、いまやっている縦割りでの認識を再点検する(別の角度から点検する)」をすべきだと追及してほしい。

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