菅はなぜ圧勝したか

 2020年09月12日の読売新聞(西部版・14版)3面に、自民党総裁選の「分析」が載っている。
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菅氏 地方でも浸透/石破氏 人気に陰り/岸田氏 知名度不足
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 選挙結果報道のときつかわれる「浸透」「人気に陰り」「知名度不足」がそのままつかわれている。これは何を意味するか。読売新聞は「分析」などしていない。ただ過去に書いた「分類」にあわせて、ことばを振り分けているだけである。
 なぜ、「浸透」したのか。あるいは何が「浸透」したのか。
 もっぱら菅が秋田(地方の)農家の出身、段ボール工場で働いて学費をためて大学へ行った「苦労人」であるという「苦労人の経歴」が「浸透」したのである。石破、岸田にはこの「苦労人の経歴」がない。
 でも、なぜ「浸透」した? そう宣伝したからである。菅自身も語っているが、菅を支持する人間が、それを巧みに宣伝したのである。これにマスコミも加担している、と指摘するのは簡単。そんなことは、もう指摘しなくても「事実」として明白になりすぎている。

 私は、少し別のことを考えた。これから書くのは、その別のこと。

 今回の総裁選には「コロナ対策」が影響している。菅はしきりに「コロナ対策」で安倍の政策を「継承」すると言ったが、それよりももっと「無意識」に近い部分で「コロナ対策」が影響している。
 「コロナ対策」でしきりに言われているのが「3密回避」。極端に言えば大勢の人が一か所に集まって、しゃべるな、ということである。一度に狭い場所に、集まり(接触し)、話し、許されるのは数人まで。これを逆に言えば、少人数の会合だけが許されていることにある。これがいちばんのポイント。
 菅はどうして総裁候補として急浮上したか。二階が手を回し、安倍、麻生らと「密会」したからだ。「狭いところで、集まり、話す」という点では問題があるが、大勢ではない(密集しない)という点では問題を回避している。密集しないために、何をするか。「大勢のひとを排除する」のである。 多様な意見を排除するのだ。
 選挙結果というのは、大勢の人の意見の反映(結集)であるけれど、それが結集されるまでの過程に大きな問題があったのだ。大勢の人、多様な意見は排除されていたのだ。
 数人の意見だけが交換され、そこで「菅候補」が決まり、それが派閥を通じて国会議員に伝達され、さらに地方に伝達される。それが読売新聞の書いている「浸透」のほんとうの意味である。菅、岸田、石破が地方を遊説し、大勢の人と意見をかわすなかで菅の意見が「浸透」したわけではない。地方遊説はなかった。「地方の集会」は最初から排除されていた。それぞれの候補の「ことば(政策)」は最初から排除され、だれを総裁にするかという決定だけがあったのだ。
 こういうことが可能だったのは、いまが「コロナ感染期間」だったからである。「3密」を避けるということが「政策」としてあったからだ。
 民主主義というのは多様な意見の反映であると定義するならば、今回の総裁選は民主主義とはまったく相いれない形でおこなわれた、単なる「多数決」の儀式である。しかもそれは「議論(多様な意見の発表)」を排除した形でおこなわれた。「議論」なしの「多数決」は民主主義ではない。「多数決」と「民主主義」は同義ではない。問題なのは、「多数決(選挙)」で決まったから、その決定は「民主主義」に合致しているという主張がまかり通るところだろう。

 ここから、今後の問題を予測してみよう。
 菅は「縦割り行政をやめる」と言っているが、たぶん逆だろう。「縦割り行政を強化する」。そして、そのとき、その「行政」を決定するのは菅を誕生させた「密室協議」なのである。自分の利益だけを守ろうとする二階、麻生、安倍らがあつまり「政策」を決定する。それを実行するためにいままでの「縦割り組織」を無視する。都合のいいように、そのつど組織を変える。簡単に言うと、「そういうことは、この組織ではできません」と官僚が反対すれば、その官僚は異動させられる。菅ははっきり「内閣の政策に反対の人間は異動させる」と明言している。
 国民の利益を考えるひとがいなくなる。菅を頂点とする「内閣(閣僚)」の利益だけを考えるシステムが、より完璧な形で完成するということだ。
 「政策決定」の「議事録」はつくらない。どういう議論が展開され、どういうことが検討された結果、そういう政策になったかは秘密にされる。「決定事項」だけが存在する。つまり「独裁」が完成する。安倍の狙っていたのが、「安倍の独裁」であったのに対し、菅は「派閥合同の独裁」を推進することになる。いままでは、官僚が安倍のために働いてきたが、これからは「派閥の首領」のために官僚は働かされる。「派閥の首領」はひとりではないから、どうしてもそこにはなんらかの「食い違い」のようなものも存在してしまうだろう。そういうものを解消するためにも官僚は働かされる。国家公務員は、もう、国民の方を向いて仕事をしている時間はなくなる。ただひたすら、「派閥首領」の方を向いて仕事をする。反対意見を言えば、別の部署へ異動させられるからね。
 これが、地方の組織にまで「浸透」させられる。上から押しつけられる。

 派閥の首領が所属する国会議員に何を言ったか、「記録」は公表されていない。さらに派閥の首領から命令された国会議員が、地元の県連にどんな指示をだしたか「記録」は公表されていない。しかし、わかることは、ある。各県で自民党員が大会を開き、意見を戦わすということはなっかった。民主主義の基本である多様な意見は、存在を封じこめられていた。
 地方に「浸透」したものがあるとすれば、「上意下達」というシステムの強化だけである。それは読売新聞の見出し、「岸田氏 知名度不足」ということばからだけでもわかる。外相もつとめた人間を知らない自民党員がいるとは思えない。知名度そのものについていえば、菅も岸田も石破もかわらないだろう。「石破氏 人気に陰り」というのも変である。むしろ「菅に反抗すると怖い」という恐怖心が地方にまで蔓延した。石破はその恐怖心に対抗するための方策を示せなかったということだろう。
 いまは「人気」ではなく「恐怖心」の方がひとを支配している時代なのだ。コロナ感染は怖い、失業は怖い。権力者にはすがるしかない。まるで、患者が医者に頼るしかないように、国民は政権に頼るしかないという状況を作り出し、支配する。そういう政治が、これからますます強まっていく。

 どう対抗するか。
 民主主義とは「ことば」である。政治が「ことば」であるように、民主主義のよりどころは「ことば」である。自分の「ことば」を話し続ける、書き続ける。「3密」回避ではなく、「ことば」を中心に「密」を作り出していくことが必要だ。


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