読売新聞の特ダネ記事の書き方(その読み方)

2022年09月06日の読売新聞(西部版・14版)に、安倍国葬を巡る、岸田支持の記事が書かれている。
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「国の儀式」に国葬想定/内閣府設置法 法解釈 2000年文書に明記
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 この見出しを読んで、いったい、何人が書かれている記事の内容を正確に把握できるだろうか。詳しく読み直したりはせず、簡単に「安倍国葬」に「法的根拠がある」と思うだろう。
 記事(前文)を読むと、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)
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①政府が、2001年1月の内閣府設置法施行前から、内閣府所管の「国の儀式」の一つに「国葬儀(国葬)」を想定していたことが分かった。②00年作成の内部文書に明記されていた。③安倍晋三・元首相の国葬実施が決まる前から、政府の法解釈が維持されていることを示すものだ。ただ、国民に理解は広がっておらず、丁寧な説明が求められる。
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 ①注意しなければならないのは、まず「分かった」という書き方である。どうしてわかったのか。「読売新聞の調べでわかった」とは書いていない。独自に調査したのではない。だれかから教えられたのだ。つまりリークされた「特ダネ」なのである。
 ②は、内部文書の作成時期が安倍殺害前なので、時系列的にみて、国葬の根拠になるということだろう。しかし、それはあくまで「内部文書」である。つまり、公開されていない。そんなものを「根拠」といわれても、誰も納得できないだろう。③に関係するが「内部文書」なのだから「国民に理解は広がっておらず」は当然のことであり、こういう「内部文書がある」だけでは「丁寧な説明」にはなりえない。
 で、これは①につながるのだが、読売新聞はどうやってその「内部文書」を手に入れた? 書いていない。つまり、記者が自分で調べたのではなく、政府関係者が「これを書いてくれ」と提示したのだ。言い直すと、政府に代わって、読売新聞が「丁寧に声明」しようとしている。政府の「代弁」をしている。
 記事を読んでいく。
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④内部文書は00年4月、政府の中央省庁等改革推進本部事務局内閣班が作成した「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」。同法4条が所管事務に挙げる「国の儀式」には〈1〉天皇の国事行為として憲法が定める儀式〈2〉閣議決定で「国の儀式」に位置づけられた儀式――の2種類があると説明。〈2〉の例として、「『故吉田茂元総理の国葬儀』が含まれる」としている。
⑤岸田首相は7月14日、この解釈に沿い、国の儀式として安倍氏の国葬を行う方針を発表し、同22日に閣議決定された。
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 ④は「内部文書」の説明。問題の「内閣府設置法」というのは「平成11年(1999年)」にできている。「内部文書」は読売新聞の報道では「00年(平成12年)4月」に作成されている。最初からあったのではなく、あとでつくられたもの。だから法案ができたときは、だれもそれを知らない。もちろん法案を審議するとき、その問題が討議されたかもしれないが、それならば、多くの国会議員が知っているだろう。どうも、そうではないように思える。
 問題の内閣府設置法の4条(3項33号←これは、記事には書いておらず、表の中に書いてある)というのは、詳しく見ていくと。
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第4条 内閣府は、前条第1 項の任務を達成するため、行政各部の施策の統一を図るために必要となる次に掲げる事項の企画及び立案並びに総合調整に関する事務(内閣官房が行う内閣法(昭和22年法律第5 号)第12条第2 項第2 号に掲げる事務を除く。)をつかさどる。
(略)
3 前二項に定めるもののほか、内閣府は、前条第2項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
(略)
三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。
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 内閣設置法を読むだけでは「国の儀式」が何を指すかは「特定」できない。だからこそ、「内部文書」が必要なのだろうが、その「内部文書」が法の成立後にできているということは、法が成立する前は、そのことが審議されなかったことを意味するかもしれない。審議済みであれば、「内部文書」よりも、その「討議議事録」を明示する方が、「法的根拠」になる。つまり、このことは国会で審議しており、野党も了承済みと言えるのだが、そういう書き方をしていない。
 だからこそ、政府のだれかからリークされたことを、そのまま、書き流しているのだと推測できるのである。
⑤は、あたかも岸田が最初からそれを知っていたかのように書いているが、もし最初から知っていたのだったら、いまごろになって「丁寧に説明する」ではなく、最初の段階で、「国葬」は内閣府設置法4条にもとづく。該当項目は3項33号。2000年の「内部文書(逐条解説)」に明記されている、と言える。
 そうしなかったのは、知らなかったからである。
 国葬が問題になってから、すでに一か月以上たつが、その間に、誰もこの「内部文書」のことを言わなかったのは、だれもが知らなかったからである。やっと「内部文書」を見つけ出し、読売新聞に提供し、あたかも「特ダネ」のように報道させている。政府関係者(あるいは岸田)がいま公表すれば、なぜ、それを最初に言わなかったのかと批判されるからである。でも、読売新聞に「スクープ」させれば、そういう批判は避けられる。私のように、読売新聞は政府の代弁をしているというような批判がせいぜいである。

さて。
 読売新聞の「見出し」にもどる。
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「国の儀式」に国葬想定/内閣府設置法 法解釈 2000年文書に明記
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 この見出しは「文書」とは書いているが「内部文書」とは書いていない。ここが「大きなウソ」の第一歩。「文書」という表現にであえば、たいていの読者は「公式文書」と思う。「法解釈」に関係する文書なら、なおさらだろう。
 しかし、その文書は「内部文書」なのである。だれも知らない。関係者しか知らない。それを「法的根拠」というのは、どうしたって無理がある。
 さらに「内部文書」で「吉田茂の国葬儀」が含まれると書いているからといって、それが安倍に適応できるかどうかは別問題である。統一教会の宣伝マンをやっていた、森友学園、加計学園、桜を見る会(前夜祭)などの「未解明」の問題がある。そういう問題を棚上げにして、「内部文書」を適用した、というのは、単なる政府の言い分である。
 「特ダネ」をリークされたら、それを報道することの「意味」も検討しないといけない。新聞にしろテレビにしろ、「知っていること」の全てを報道しているわけではないはずだ。そこに取捨選択がある。だとしたら、何を捨て、何を報道するか、そこから考え直さないといけない。
 読む方も、なぜこの記事は書かれているか、を考えながら読まないといけない。今回の読売新聞の記事は、「私は政府関係者からこんな内容のことをリークされた、私は政府関係者に通じている」ということを読売社内でアピールするためのものだったんだろうなあ。こうやって記者は、政府に気に入られながら出世していく、そして癒着がさらに深まっていくということだろう。
 「作文」を読むのは、ほんとうに楽しい。

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