既視感?

   自民党憲法改正草案を読む/番外399(情報の読み方)

 2020年09月27日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「地球を読む」という寄稿がある。きょうは御厨貴。寄稿なので、読売新聞の主張そのものではないが、逆に御厨がどんなふうにして読売新聞といっしょになって「安倍よいしょ」をやっているかがわかる。菅内閣発足について書いたものだが、「菅よいしょ」ではなく「安倍よいしょ」になっている。だから、とても奇妙な文章になっている。
 書き出し。
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 安倍政権は終幕を迎え、菅政権が登場したが、既視感が迫ってくる。かつての首相交代にはなかった。
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 これは、どういう意味なのか。「既視感」とは、すでに見たことがある、どこかで見たはずだ、であるはずだ。「かつての首相交代にはなかった」なら、「既視感」とは相いれないだろう。
 御厨は、これを言い直して、「これまで長期政権から交代した際は、若返りや政権奪還など、ガラリと変わる印象が強かった」が、菅の場合は違う。菅は……。
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菅の自民党総裁選立候補演説は、安倍継承を繰り返し、官房長官としての記者会見と二重写しに見えた。
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 「既視感」は「二重写し」と言い直されている。たしかに、これは見たことがあるは「二重写し」であり「既視感」と言い直すことはできる。だが、これでは「首相交代」についての「既視感/二重写し」ではない。
 なんにも変わらない。
 これでは「交代」の意味がない。「既視感」の意味がない。
 たとえば、佐藤栄作から田中角栄への首相交代。田中角栄は義務教育しか受けていない「苦労人」「たたき上げ」の政治家である。その角栄と菅が「苦労人」「たたき上げ」というキーワードで「二重写し」になり、「既視感」をもって迫ってくるというのならわかるが、御厨は、私が想像する「既視感/二重写し」とはまったく違う意味で「既視感」ということばをつかい、それをキーワードにして、「安倍よいしょ」をはじめる。
 菅は「安倍のコピー」であるからそこに「既視感」がある。そして「既視感」は、こんな具合に言い直されていく。(文章が重複するが、わかりやすくするために重複させた形で引用する。)
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 菅の自民党総裁選立候補演説は、安倍継承を繰り返し、官房長官としての記者会見と二重写しに見えた。安倍政権の「ブラッシュ・アップ版」の登場が自民党の大勢の合意であり、国民の納得感もそこにある。
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 「既視感」は「合意」であり、「納得」である、と。
 でも、そうなのか。「既視感」は「合意」や「納得」か。「期待」や「不安」に「既視感」はあるだろうが、「合意/納得」は「期待/不安」とは別のものだろう。「合意/納得」は「妥協」とはか「諦観(あきらめ)」と相性がいいのではないか。つまり、「失望」と。
 そういうことが念頭にある野かどうか判断できないが、御厨は、安倍を評価して、こう書いている。
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 「アベノミクス」や「地方創生」、「働き方改革」など、次から次にキャッチコピーをアピールし、「やってる感」を演出した。
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 「やってる感」の演出は、それが「やってる感」だけであって、実際は何の実りもないという批判でつかわれることが多いと思うが、御厨は逆である。「やってる感」さえ演出できれば、国民は「納得」すると言っているのである。
 「アベノミクス」や「地方創生」、「働き方改革」は「キャッチコピー」にすぎず、何の実りももたらさなかった。貧富の格差が広がり、国民のないだにとりかえしのつかない分断を生み出した。安倍自身が「あんなひとたち」と国民を分断する発言をした。「地方創生」も、いったいどんな「創生」があったか。過疎地はますます過疎化している。私の古里は、もう「限界集落」を通り越して消滅していくのを受け入れるしかない。「働き方改革」は低賃金労働者を生み出しただけである。
 御厨の、この寄稿には「自民政権の手法 明確化」という見出しがついているが、キャッチフレーズで「やってる感」を演出し、何の実りをもたらさない政治がこれからもつづくということは、たしかに「明確化」されたのだろう。
 「失望」の「既視感」。
 そういう意味で「既視感」を御厨がつかっているのなら、まだ「納得」できるが、安倍の政策のまま何も変わらないことが明確になった、だから「安心」。「既視感」は「安心」という意味でつかっているのなら、いったい「首相交代」になんの意味があったのだろうか。

「安倍よいしょ」は文章の後半(2面)では、とてもおぞましい形で転換される。(2面で書かれていることがらは、「菅内閣」とは関係がない。安倍の政治がどんなふうに行われてきたか、どう評価されたかという総括である。見出しは
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「やってる感」若者の黙認
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 若者は、安倍の「やってる感」をそのまま受け入れている。納得している。だから、これでいいのだ、と主張している。「黙認」は批判しない、という意味である。
 その「やってる感」が行き詰まったとき、安倍は、どうしたか。つまり政策に問題が発生したとき、安倍はどうしたか。それを御厨はどうとらえたか。
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 スキャンダルや問題が生じても、野党やメディアに言わせるだけ言わせながら勝機をうかがう。選挙の勝利を国民の「お墨付き」と位置づけ、問題のすべてをご破算にする。
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 「選挙の勝利」で「問題のすべてをご破算にする」。何もなかったことにする。これは問題の解決ではなく、問題の「隠蔽」にすぎない。
 「選挙の勝利」がすべてであるという「選挙至上主義」は、どういうことをもたらしたか。御厨は、ここだけは非常に正確に分析している。
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 若手議員にはイデオロギーに深入りさせず、ひたすら選挙で勝ち抜くよう求めた。それでもこの8年間で安倍のイデオロギー的基盤に、正面から反対する者はいなくなった。その意味で自民党の意識改革には成功したと言えるだろう。

 2012年の政権奪還以来、全国規模の国政選で無敗を続け、議員にとって“恩人”と化した安倍に、誰も反対できなくなった。
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 御厨のつかっている「それでも」の意味は、私にはよくわからないが、「逆接」ではなく「それで」という「順接」の意味で私は受け止めた。
 安倍批判をしたら「自民党推薦」はもらえない。議員の職を失うかもしれない。「当選」しつづけるためには、安倍を批判しない。そうすれば、「当選させてもらえる」。安倍批判をすれば、当選させてもらえない。落選させられる。
 この実例が、河井案里事件である。安倍批判をした議員は落選させられ、河井が当選した。しかも資金を1億5000万円も提供された。安倍を支援すれば金銭面でも好待遇を受けるのである。
 この安倍を支持するか批判するかによって「当落」が決定される、待遇が変わるという「システム」は、そのまま若者に影響していくのである。
 安倍批判をしたら、会社からにらまれる。体制批判をしたら会社から冷遇される。実際、アベノミクスや働き方改革の導入で、子会社がつくられ、非正規社員が生み出され、おなじ仕事をしているのに賃金格差が生まれている。この「格差」を「脅し」のようにして、「言うことを聞かないなら(批判をするなら)、もう雇用を継続しない」と迫る。こういうことを目撃した人も多いだろう。体験した人も多いだろう。
 安倍政権への若者の支持率が高いのは、「恐怖心」のためである。だれでもいまよりも厳しい境遇を生きていくという苦労はしたくない。
 そして、この「恐怖心」は菅政権下では、もっと拡大するだろう。菅は、なんといっても加計問題で前川を追放した人間である。風俗店通いを読売新聞に「リーク」し、前川を人格攻撃した。前川は風俗店に出入りはしていたが、批判されるようなことは何もしていない。そこで働いている女性を支援したのに、そのことには触れずに、風俗店に出入りすることが問題であると批判した。同じようなことが、官僚だけを相手にしてではなく、きっと一般国民を標的にして行われるだろう。国民を圧迫するために、さまざまな方法がとられるだろう。
 菅の打ち出している「縦割り110番」(通報)や「デジタル庁」(情報の集中把握)も、きっと国民を拘束するための道具としてつかわれる。

 しかし、まあ、この御厨というのは、多くの読売新聞の記者と同じように「正直」である。しめくくりに、こんなことを書いている。
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 ただ若い人が、政治によって何かを変えたいと思い始めたら、菅政権は“やってる感”の政治から、“やってる”政治への転換を迫られることになろう。
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 菅がやるのは「やっている感」の政治にすぎない。若者が「実効」を求められたらつづけられない。
 でも、これはもしかすると、「だからもう一度安倍にやってもらいたい」と言いたいために書いているのかもしれない。


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