読売新聞の嘘のつき方

読売新聞の嘘のつき方
   自民党憲法改正草案を読む/番外384(情報の読み方)

 2020年08月31日の読売新聞(西部版14版)。1面「総括 安倍政権」の署名記事。きょうは編集委員・飯塚恵子。
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戦後外交に区切り
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 という見出し。そして、真っ先に書いているのが、これである。
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 特筆されるのは、安全保障政策だ。集団的自衛権の限定的行使を可能にする新たな憲法解釈を行い、2015年、安全保障関連法を制定した。
 日本の近海で警戒監視にあたる米艦が突然攻撃されても、日本は何もできない。果たして米国民はこれを許すだろうか――。日米安保体制のこうした制約に、歴代政権は手を出せなかった。安倍政権は戦後の法制度に風穴を開け、海上自衛隊は平時から米艦を防護できるようになった。

 だが、これは「外交」なのか。「外交」の「交」は「交渉」である。外国からなんらかの「利益」を引き出すのが「外交」だろう。日本はどの国から、どんな「利益」を引き出したのか。
 北朝鮮や中国が、「日本が集団的自衛権を確立したから、日本へは攻撃しません」と文書で約束したのか。
 だいたい「集団的自衛権」は「日本近海」だけで行使されるのではない。アメリカが攻撃されれば、どここであれ、アメリカへの攻撃を「日本の存亡の危機」ととらえ、外国まで自衛隊を派遣し、アメリカ軍と一緒に(アメリカ軍と集団になって)戦うというものである。アメリカ軍一緒にというよりも、アメリカ軍の指揮下に入って戦争するということである。
 「戦争法(安全保障関連法)」は、だれの利益にあるかからみていけば、さらにはっきりする。「米艦を防護できるようになった」と書いてあるように、アメリカ軍の利益になるだけである。日本の利益はどこにあるか。「米国民はこれを許すだろうか」ということばが象徴的だが、「米国民から非難されない」というだけの利益である。
 いいかえれば「戦争法」は「安倍は何をやっているんだ」とアメリカから叱られたくないから、安倍が強行採決したのだ。「ぼくちゃん、アメリカから叱られたくない」というためのものにすぎない。
 「戦争」は、「外交」が失敗したときに起きる。戦争のすすめは「外交」とは相いれない。飯塚が書いているのは、「外交」ではなく「安全保障」の問題である。「戦後の安全保障のあり方」を変更したのが「戦争法」なのだ。そして、それは「憲法」を踏みにじっている。
 そして、このとき安倍は「国民」に対して何をしたか。「国会」で何をしたか。議論を封じ、強行採決をした。国内でさえ「議論封じ」でしか「自己実現」できない人間が、外国相手に「交渉」できるわけがない。国民と憲法は、安倍によって踏みにじられた。それが「戦争法」の制定である。
 「外交」でもなければ、「内交」(こんなことばがあるかどうか知らないが)でもない。「独裁政治」の強行である。つまり、「独裁」という「内政問題」が、このとき露顕したのだ。「独裁」がこのときから暴走し始めたのだ。

 2面には、こんな見出し。
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北方領・拉致 解決遠く
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 北方領土と拉致問題は、ロシア、北朝鮮が「交渉」の相手である。そういう具体的な「交渉」では何一つ安倍は引き出していない。
 北朝鮮とは「交渉」すらできていない。トランプに「ぼくちゃんのかわりに、金に言って」とアメリカに頼んでいるだけだ。
 ロシアとの交渉も傑作である。「経済協力」の名目で金をつぎ込んだ。そして見返りに北方領土4島のうち2島を返還して、と「交渉」しようとした。ところが、安倍の地元・山口での首脳会談直前、ラブロフが「金をロシアが要求したわけではない(だから、これは交渉ではない。2島返還はありえない)」と「交渉経過(裏話)」を明らかにして、プーチンとの階段前に「決裂」してしまった。だから共同声明も出せなかった。「外交」とはことばで成立させるものなのに、どんなことばも共有できなかった。
 金さえばらまけば、「交渉」に応じてくれるという安倍の「金ばらまき外交」はロシアには通じなかった。
 これが「安倍の実力」である。

 そして、この「金ばらまき外交」という点から、最初に書いた「戦争法」を見つめなおせば、なんのことはない、安倍は「アメリカ軍(と軍需産業)」にもっと金をばらまくと約束しただけなのだ。
 それは、いまもつづいている。「陸上イージス」は飼わないことにしたが、きのうの読売新聞はそれにかわる「ミサイル防衛体制」を報道していた。ミサイルをどう調達するか書いていないが、アメリカから買うのだろう。アメリカに金をばらまきつづけ、アメリカに「安倍はよくやっている」とほめてもらう。これが安倍のやっている唯一の「外交」である。「安倍の利益」のための「金のばらまき」である。

 「外交」の「定義」もせずに、ただ安倍をもちあげることだけを考えて書いているから、こんなでたらめな「評価」になるのだ。そして、このむちゃくちゃな「評価」は、結局、読者に対して嘘をつくことなのだ。
 傑作は、
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首相が辞任表明した28日、モリソン豪首相は長文の声明を発表した。「安倍首相は世界を代表する政治家であり、開かれた貿易の積極的な推進者である。日本が誇る傑出した外交官でもある」とし、特に、首相個人の「指導力とビジョン」をたたえた。
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 である。
 首相が辞任すれば、よほどのことがないかぎり、ひとは安倍を称賛する。オーストラリアのように、日本が大事な貿易対象国(交渉相手)であれば、なおさらである。豪州牛を買ってくれなくなったら困る。だから「開かれた貿易の積極的な推進者」と讃える。モリソンはちゃんと、「自己主張のことば」を盛り込んでいる。こういうことを「外交」というのだ。

 飯塚は、「外交」とは何か、すぐれた外交にはどういう具合にことばがつかわれているか、それから学びなおすべきだろう。安倍の「外交」を称賛するなら、安倍の「ことば」を引用すべきだ。どういう「ことば」でどういう「成果」を引き出したか。「外交」は武力ではなく「ことば」でおこなうもの。「名言」ひとつ提示できない「すぐれた外交(官)」は存在しない。
 


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