「ことば」はどこへ行くのか

 2022年03月25日の読売新聞(14版、西部版)1面に、バイデンがワルシャワで演説したという記事がある。

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 【ワルシャワ=横堀裕也】米国のバイデン大統領は26日、ポーランドの首都ワルシャワで演説し、ウクライナ侵攻を命じたロシアのプーチン大統領について、「この男が権力の座にとどまってはならない」と非難した。「自由を愛する国々はこの先何十年と結束を保たなければならない」と述べ、民主主義陣営に向けて、ロシアへの対抗とウクライナ支援を呼びかけた。

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 読売新聞は見出しで「権威主義へ対抗 訴え」とバイデンの演説を擁護しているが、「この男が権力の座にとどまってはならない」ということばはバイデンが言うべきことばではないだろう。プーチンと交渉する意思があるなら、絶対に言ってはならない。それが「外交」の基本だろう。「外交」は「ことば」でおこなうものである。

 これは、こう考えてみればいい。バイデンが、たとえば岸田のことを批判して「この男が権力の座にとどまってはならない」と言ったとしたら、では、今後の日米関係を交渉するのに、いったい誰を相手に交渉するのか。

 さらに、プーチンがアメリカの政策(NATOによるヨーロッパ支配)を批判する過程で、バイデンを「この男が権力の座にとどまってはならない」と言ったら、ロシア・ウクライナで起きている問題はどうなるのか。

 日本では(そして、たぶんアメリカの主張する自由主義/資本主義、別の見方をすればアメリカの軍事産業支援システムが横行している国では)、アメリカが「自由を愛する国々」の代表であり、バイデンはそのリーダーということになるが、ロシアやアメリカの経済制裁に苦しんでいる国から見れば、バイデンはアメリカの軍需産業を利用している権力者であるだろう。そういう国から見れば「バイデンが権力の座にとどまってはならない」ということになる。

 ある国の代表者に対して「この男が権力の座にとどまってはならない」と言った瞬間から、「ことば」による交渉は不可能になる。

 これはだから、ことばを変えて言えば、バイデンがプーチンとの「交渉」を拒絶するという宣言になる。「ことば」ではプーチンと「交渉」しない。

 では、何で交渉するのか。「武力」と「資本力」である。そして、「武力」こそ、アメリカはいまは直接行使していないが、「資本力」を行使した「経済戦争」を遂行している。他の国にもその「経済戦争」に参加するように促し、それにしたがって多くの国が「経済戦争」に参加している。

 「経済制裁」は「経済戦争」ではない、という人がいるかもしれない。

 しかし、実際に起きていることはどうか。ガソリンをはじめ物価高がはじまっている。これは、これから先拡大する。ほしいものが買えない、という状況が進む。そのとき為政者はどういうか。いまはロシアと戦争状態にある。この戦争を勝ち抜くまでは(ロシアを同じ経済システムで支配してしまうまでは)、「ほしがりません、勝つまでは」の精神で、この戦争に協力しなければいけないと言うのである。

 こういうとき、いちばん困るのは「資源」のない国である。

 アメリカもロシアも広大な土地と資源を持っている。日本には何もない。アメリカもロシアも、それなりにもちこたえることができる。しかし、日本はもちこたえられない。ロシアは、ロシアの内部で「資源」を分配すればいいだけだから、かなりもちこたえるだろう。アメリカは、世界の国に「資源」を分配するか。どうしたって、アメリカの内部での「資源」を分配を優先することになるだろう。その結果として、「アメリカの資源分配システム」が世界を支配することになるだろう。いまアメリカの軍需産業の金儲け主義が、世界の軍需を支配しているように、すべての分野でアメリカの世界支配がはじまる。

 脱線した。

 「この男が権力の座にとどまってはならない」ということばをロシアは(そして、他の国は)どう受け止めたのか。

 読売新聞には、アメリカの反応を書いている。

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 米ホワイトハウス関係者は「『プーチンの他国への力の行使が許されるべきではない』というのが大統領の発言の趣旨だった。体制転換について語ったものではない」と米メディアへの釈明に追われた。

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 「釈明に追われる」ようなことばは、すでに「外交のことば」ではない。

 それはそれとして。

 では、日本(岸田政権)は、このことばについて、どう言っているか。何か言ったのかもしれないが、読売新聞には何も書いていない。他国の反応も書いていない。これは、おかしいだろう。他国の反応はともかく、最低限、岸田がバイデンのことばをどう受け止め、それを岸田自身のことばでどう言いなおすか。そのことはジャーナリズムの仕事として、絶対にすべきことである。

 「外交」は、ある意味では「嘘のつきあい」である。ことばによる「ごまかしあい」である。これを「妥協」ということもできるが、あくまで「ことばの戦争/思想の戦争」であって、そこでは勝っても負けても、それぞれの国民が命を落とすことはない。

 その「最後の一線」のようなものをバイデンは踏み越えた。このことに対して岸田が沈黙しているのだとしたら、その責任は重い。米メディアさえ、追及している。読売新聞ははっきりと「米メディアへの釈明に追われた」と書いている。為政者のことばを追及するのがジャーナリズムの仕事だからである。読売新聞は、その仕事をアメリカのメディアに任せっきりにしている。

 「ことば」を取り戻すことが、「平和」へ踏み出す一歩であるべきだ。

 さらに思いついたまま書いておくと。

 アメリカは、西欧諸国にウクライナへの武器支援を促し、武器支援をした国の軍備の穴埋めにアメリカの軍備を売りつけるという商売(金儲け)をしているように私には見える。(実際の取引を確認したわけではない。)今回のバイデンの発言は、実際にプーチンとバイデンが交渉するわけではない(おこなわれているのは、ゼレンスキーの代理とプーチンの代理の交渉、アメリカ以外の国の仲介による交渉である)ことを「利用」した発言とも言える。アメリカが武力戦争に直接参戦しないように、アメリカはロシアとの直接交渉には参加しない。陰から「おいしい部分」だけをつまみ食いしようとしている。バイデンの「この男が権力の座にとどまってはならない」は、ある意味では「ことば(外交)」の後方支援なのである。後方支援にとどまっている限り、攻撃されるおそれはない、という「安心感」に居すわって、バイデンは発言している。

 この、なまくらな(直接は何もしないが、影響力は行使する)というアメリカの無責任な姿勢は、もっと追及されるべきことである。


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