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『 後北条家と猪鼻家 』

そもそも、僕がnoteを始めたきっかけは、
自分の生い立ち、幼少期から現在までを記録として残しておこうと思ったからだ。

S.43 猪鼻康幸 赤ちゃん時代。

自分だけでなく、父や母、親類、祖父、祖母などについても、わかる範囲内で書いた。

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こうなると、猪鼻家のルーツまで辿ってみようと思うではないか。

猪鼻家に詳しい従兄弟の兄に聞いたり
インターネットや書籍などで調べてみた。
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僕がもともと知っていたのは、

猪鼻家は、清和源氏の血筋の武家である。平安時代に静岡の遠江(とおとおみ)が発祥、浜名湖付近。

あと、現在は猪鼻性は、ほとんどが、川越にゆかりがあるということくらい。父も、祖父も、曽祖父も、川越生まれ、川越育ちである。
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とてもわかりやすく解説した記事があったのでそれを引用することにした。
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『遠江国鵺代猪鼻浜名氏の武蔵国川越への展開進出』

 伊勢新九郎盛時=北条早雲は、当初、京都室町幕府将軍官僚職だったが実妹が駿河今川家への嫁いだ事から駿河今川家に仕える事になった。三河国松平氏との抗争の際は、駿河今川家方の武将である猪鼻浜名家の客将として闘い戦功を立てた。その後、幼い甥を駿河今川家の当主に擁立する事に成功し、今川家の執事として活躍したが認め合っていた太田道灌が謀略に遭い、殺害されてしまった事もあり、自立を目指し、日本初の戦国下克上武将として相模に後北条家を建てたのだった。伊豆、相模、武蔵と北上進出する中で用いた日本の桃園の誓いと言われる仲間との誓いや遠江国出身の武将の人材登用、そして、遠江、駿河、伊豆、相模、武蔵の広いエリアに及ぶ移動は、辺境だった東日本の開発に直結するのものなので中世日本史の中でも興味深いものがある。

 遠江国鵺代は、源頼政が平安末期、夜な夜な御所に出没する妖怪「鵺」を退治した事により帝から褒美として賜った領地だった。平家打倒の叛旗を立てるが情報が計画半ばで漏れてしまい決起するも源頼政は、宇治平等院で多くの一族と共に戦ったが自刃してしまった。その為、生き残った一族は、領地である遠江国鵺代に落ち延び土豪化し、猪鼻浜名氏として16世紀半ばまで活躍した。

 猪鼻浜名家の一人が1546年の扇谷上杉家・古河公方との間で起きた川越夜戦で荒廃した川越の開発の為の中核寺院建立と都市開発者として派遣された事は、ごく自然の事だったのかもしれない。1549年川越連馨寺建立の為、大道寺駿河守政繁の従兄弟である感誉上人の随伴侍として川越にやって来た猪鼻民部(いのはな たべ)は、連馨寺の門前町である旧猪鼻町や広大な脇田町を拓いて土着化し、その子孫たちは、現在も多数在住し、生活している。

 1590年、豊臣軍による小田原侵攻によって後北条家が滅んだと同時に大道寺家も消滅した。城主の消えた川越を実質暫定統治した猪鼻氏は、後に芝・増上寺徳川家大僧侶になる川越喜多院管長時代の天海に後北条家の行った諸国に秀た治世について知己を与えた。その為、天海による猪鼻氏への配慮として徳川家康に進言したのである。松平徳川氏と猪鼻浜名家は、元は、共に駿河今井家配下の武将であり、又は、戦火を交わした旧知の関係でもある。更に遠江国鵺代は、源頼政ゆかりの猪鼻浜名家の子孫である事も充分考慮し、川越藩における役職を付与した。

 徳川家康の江戸幕府開府後、猪鼻氏の家系で川島角泉を拓いた猪鼻氏を代々川越藩総取締役名主代官と任命し、柳沢吉保を初めとする老中として名高い歴代の川越城主を支えて寵愛され幕末期においては、川越藩による江戸湾警護の軍資金捻出の為、重要な役割を果たしている。川越八幡神社には、今も川越の護り神として存在し、その境内には、中世川越の都市発展の礎を築いた猪鼻民部が今も民部稲荷として祀られている。



※ こちらの記事は、僕が調べたものではなく、ネットで調べた記事を引用しました。


最近、戦国時代の解説動画をよく観ていて

それで、伊勢宗瑞(北条早雲)、を始め、戦国時代の関東史がわかるようになった。 

早雲が活躍するのは、応仁の乱あたりから…

二代目 氏綱から正式に『北条』を名乗ることを朝廷から認められて、三代目 氏康、四代目 氏政〜 と続き、関東の覇者となる。

そこの話を詳しく考察し、アニメ調でYouTubeで投稿してる

「YUKIMURA CHANNEL」 が、
とにかく面白い。
興味ある方には、ぜひ観てほしい。



追伸  あくまで、猪鼻家のルーツの話であって、家柄自慢がしたいわけではありません。

そもそも、何百年も前のことだし、
ただ、大好きな、後北条家の家臣であったというのが面白いではないか。(個人的に氏康が一番好き)

兄(従兄弟)からは、川越の旧猪鼻町に、猪鼻民部(たべ)神社があるから
先祖参りをして来いとは言われる。

幼い頃、親類の集まりや、法事で川越に行き、川越喜多院にも何度か行った。

その理由がわかっただけでも、僕としては嬉しい。

55年後の猪鼻康幸。かわいい赤ちゃんから、立派なオッさんになりました。(笑)

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