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『 人気店への移籍 』

前回までは、僕が30歳のときに起こった病気のことについて書いたが

今回は、少し遡って、27歳の頃の話になります。

君津駅前の、bar stair way から、

木更津駅東口 駅前にある

木曜舎 Le Jazz

という、ジャズバーに移籍をした。

木曜舎というのは、木更津界隈に数店ある

喫茶、雑貨のお店なのだが、その一つが
ジャズバーだった。

このお店は、とても人気で、週末は必ずと言っていいほど満席だった。(約60席)

そして、店長のOさんは、とても厳しく

事あるごとに、注意をされ怒られた。(年齢は僕よりひとつ下)

納得いくものもあれば、どう考えても納得いかないものも多く

ハッキリ言えば、合わなかった。

とにかく、スピード、回転を重視するひとで

チェーン店の居酒屋のようなノリだった。

それでも、大量のオーダーをさばいたり

容量良くやると言う意味では、まあ一応勉強にはなったのかも知れない。

この頃の僕には、ひとつ 明確な決め事があった。

「たとえ、理不尽だと思っても、相手からいろいろ教わってる間は我慢する。」

これは、美容室 shimaで得た教訓である。

この店長の下で働くのは、精神的にキツかったが

こういうのにも慣れなければ

不特定多数のお客さんを相手にするbarでは

やっていけないだろう、という自覚もあった。

もちろん、自分の知識や、技術の向上も当然だが

合わない店長や、酔っ払ったお客さんの相手をするのだから、

いろんなあしらい方や、いなし方を身につけることも必要だった。

色んな意味で、自信をつけたし

一気に自分が高まっていくのを感じた。

それから、約一年が経ち

店長と同じレベルまで行けたかなぁ…と思い始めた頃

ちょっとしたことがきっかけで、

オーナー(木曜舎マスター)と、店長が揉めて

店長は、Le Jazzを辞めることになった。

そして、僕がそのまま

木曜舎 Le Jazzの店長をやることになったのだ。

つづく

これは、28歳くらいの写真。鎌倉 由比ヶ浜にて



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