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『 わずか30分で仕事が決まった 』

母が退院して、一週間ほどが経った。

特に問題もなく、日常生活を送った。

母はすっかり、入院生活のリズムに身体がなっていたので

夜9時になると眠った。

さて、自分はどうしようか?

自分の古巣の、Le JAZZに飲みに行こうとしたが

いろいろ話を聞かれて、それに答えたりするのも面倒なのでやめた。

こういうときは、あまり関わりのないお店がいい。

と、いうわけで、市内のあるビアホールに行った。

カウンターで、飲んでいると、ここのマスターが話しかけてきた。(顔見知り程度だ)

今日は、Le Jazzは休みなの?

いえ、実は母が病気で、退職したんです。

でも、無事に退院したのでもう大丈夫なのですが…。と答えた。

すると、いきなり

うちの「カモン」をやってくれない?

と、切り出された。

このお店は、ビアホールなのだが、オーナーは

同じ並びで、barもやっていた。

実はさ、カモン(bar)をやるひとがいなくて困ってたんだよ。

次のお店はもう決まってるの?

と聞かれ、

しばらく休んでから、横浜辺りで探そうかと思ってます。

と答えた。

じゃあ、ぜひやってよ。頼むからさ。

一瞬迷ったのだが、これも何かの縁だと思い

わかりました。やってみますね。

ちなみに、いつぐらいから来ればいいですか?

うぅ〜ん。明日から。

え? あっ… はい。わかりました…。

なんなんだ、この展開は。


ホント言うと、一ヶ月はゆっくり休もうと思っていたのだ。

心身ともに疲れきっていたので。


翌日から、鍵を渡され、好きなようにやっていいからと言われた。

店内の照明、その他諸々を簡単に説明され、オーナーは去ってしまった。

何かわからなかったら、電話してくれだとさ。

やれやれ…。


しばらく閉めていた店内は、かなり汚くて

最初の半月は、営業よりも、ほとんど掃除をした。

ひとりでお店をやるというのが、

気持ち的に、一番楽だった。


そんな流れで、

雇われマスター、猪鼻康幸が始まったのである。


よくよく考えたら、木曜舎の

Le Jazzの店長をしていたから、

木更津では、それなりに顔が知れていた。

それが、結果的にこう繋がったのだと

すぐに理解した。

さて、また夜の世界で頑張りましょうかね。

猪鼻康幸  32歳の春の出来事である。

つづく

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