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『 恋のはじまり 』

文化祭が終わり、祭りの余韻が続く。

文化祭で目立ったひとは、一気に仲良くなった。

何かを成し遂げた"同志"のような感覚だった。

だいたい、どこが、どんなクラスか

わかってきて、校舎を越えて

コミニケーションが増えた。

学食、廊下、登下校、いろんな場所で

声をかけられるようになった。

特に、大場くん人気のせいか

僕たちの周りには、女の子たちが

群がるようになっていた。

この頃から

20クラス中で、15組が一番のイケメン揃いだという説があがる。

例えば、帰りにマックに寄る。

窓側を見ると、女子たちがひそひそ話しをして

覗き込んでた。

気づくと、周りの席は、山野女子で
いっぱいだった。

僕はいたって冷静で、みんな大場くん目当てなのだろうと思った。

そんなとき、ひとりの女子と親密、

仲良しになる。

17組の、佐々木昭子だ。(前回書いた、優勝メンバー)

廊下で見かけても、お互いに声をかけたり、

積極的に話すようになった。

ショーコも、僕も、お互い意識し始めていた。

余談になるが、一部では僕のファンもいるようだった。

ショーコは、目の大きい、爬虫類系の
顔立ちをしていて

トカゲちゃん、と、からかっていた。

いつのまにか、たまに手紙のやり取りを

手渡しでするようになって、一気に距離が近くなった。

ケイちゃんや、ときちゃんも、

僕を見かけると、「ショーコは向こうにいるよ!」

と、なかば公認の仲になっていた。

僕のスローペースに、ショーコは確信めいた手紙をくれた。

僕は、きちんと気持ちを伝えよう

そう思った。

あるとき、マックでショーコを見つけ

ちょっと、外に出よう。と誘い

そこで「告白」をした。

答えはもちろん、「はい。」で、

こんな、わたしだけどよろしくね。

と、言われた。

ショーコとの、恋の始まりだ。

マックの席に戻ったショーコは、ケイちゃんたちから

「良かったね!ショーコ」と、声をかけられていた。

恋というのは、本当に盲目になる。

翌日からは、毎日ショーコと帰るようになり、

ショーコの家の最寄駅の、

西武新宿線、武蔵砂川駅まで送った。

ショーコの家は厳しくて、門限があったから

武蔵砂川駅に着くまでが、デートだった。

幸か不幸か、武蔵砂川駅は、かなり遠く埼玉に近いので

川崎まで帰る僕は、まったく逆方向で、

帰路は、とても長く感じた。

そして、休みの日は、良く一緒に買い物に行った。

伊勢丹や、パルコ、マルイが主だったが、

ショーコの服の買い方は、即断即決だった。

どうやら、ショーコはお嬢様で、裕福な家庭らしい。

僕もいろいろ買いたかったが、母からの仕送りだけでは足りず、

その頃から、川崎の宮崎台駅にある

ケンタッキーフライドチキンで、アルバイトをはじめた。

今では信じられない話だが、当時、夕方6時から

最終10時半までのアルバイトで、

時給が、530円だった。(今の半分だ)

それでも僕は満足だった。

ショーコという、かけがえのない存在がいるのだから…。

つづく。

今年、春の写真。
海猫珈琲店にて…。

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