見出し画像

私の光る君へ〜大河『光る君へ』20話「望みの先に」雑感(見逃した方もどうぞ)

   996年正月。藤原斉信(金田哲)邸前。藤原伊周(三浦翔平)の勘違いから、弟・隆家(竜星涼)が、花山院(本郷奏多)の牛車に矢を放つ。従者達が乱闘し、死者が出る。院は【出家の身で女性にお忍びを恥じ】「私はここにいない」を繰り返すが、これを好機とした斉信は、騒ぎを助長し、道長(柄本佑)の下に出向き「これで、伊周と隆家は終わりだな」と言い、道長を不快にさせている。〜タイトル〜
 
 今回は三つの流れが、入り混じり、伏線ともなる演出。
 ①伊周・隆家と、中宮定子のさしあたりの動き。(と帝)
 ②為時、淡路守に任官するも、すぐ(上国)越前守に。(まひろ→道長→帝)
 ③皇太后詮子が呪詛されたというが…(道長と倫子)

 
 内裏。藤原実資・検非違使別当(警視総監・秋山竜次)が「死人が出て…すぐに捕縛・取り調べが、常道ですが、中宮様(高畑充希)のお身内ゆえ、帝(塩野瑛)のご裁可を仰ぎ奉りたく…」と奏上。今回は、実資の見せ場多し。
 帝は激怒。「綱紀粛正。高貴なものの従者の狼藉を禁ずる旨厳命したばかり…」とは、貴族の従者たちの乱暴狼藉が、帝のお耳に届いていたことがわかる。~タカイエ➖色々ヤラカシテマス。
 
 検非違使別当が、実資では、本当にこうだった❢と、受け止めるしかない。道長の時代を、偏りのない記録『小右記』で、後世に伝えた人が、この時、渦の真ん中にいて、果断に処理した結果が「長徳の変」である。それなら、道長も、もう暫く良い人でいられる。そう思わせる出だし。

 ダークサイドに回ったのは、斉信。勅使として謹慎を申し渡しに行く時は、蔵人頭の深緑の束帯。兄弟の母・貴子(板谷由夏)が「おとりなしを」頼む時は、私服の赤の狩衣。後半は参議に出世して黒。束帯姿がよく似合って、風見鶏ぶりを彩りで表す演出かな。タダノブ➖と思いつつ、位で官服の色が変わり、同時に襲ねの色目で綺羅を競う、日本独特の色彩感覚の源「平安文化」に思いを馳せた。几帳の裏のギフトの彩りもきれい…貰ったネ…。

 帝はそれでも、春の除目を行われる。為時が「淡路守」に任官し、家族団欒モード。為時は「神仏のご加護」と念持仏を拝み、変?!な気もしてまひろ(吉高由里子)をチラ見。
 土御門邸。皇太后詮子が帝にお願いして「越前守」にした源国盛(森田甘路)が、詮子(吉田羊)と道長に挨拶。帝が褒めた申文は文章博士の代作、漢文は?と問えば「良い通辞を」と言う、うつけぶりで、とても外交は任せられない。ギフトは各種揃えてるけど…
 事の序に、詮子は「伊周たちの処分」を道長に問う。「情けを」という道長に対し、「伊周と中宮はお前の敵❢」と、納得しない様子で、思案顔。この方が、実資に「国母専朝事」(朝事=政)と評された方だと、忘れてはいけない。

 夜、まひろは、祝いに来た宣孝(佐々木蔵之介)から、昔、父為時が、1カ月程姿を消し、宋に渡ろうとして、船頭に騙されボロボロで帰った…という話を聞く。帰り際、宣孝は「国換え」があるかもしれない、と言う。宣孝のまひろを見る目が、妖しい、のは、無論佐々木氏の伏線演技。まひろ書写。
 
 苦学寒夜、紅涙霑袖、除目春朝、蒼天在眼、
 本来、藤原為時の詩を、まひろが書写して、筆跡から、【まひろが父親の任国を役不足と思っている事】を道長に知らせる、ミステリー風設定。
 別夜、がさごそしてる道長に、嫡妻・倫子が「女院様が…」と、詮子の「御悩」を伝える。これはこれ…。
 上の漢詩⁈は、すぐ帝に届けられ…(国換え)。為時は越前守に。

 破れ塀の目立つ門から、勅使を見送った為時は、まひろを座らせ、右大臣道長との関係を問いただす。胸に沁む親心。
「父はもうお前の生き方をとやかくは申さぬ。道長様とお前のことはわしのような堅物には計り知れぬことなのであろう。そこに踏み込むこともせぬ。ただ、何も知らずに越前に赴くことはできぬ。真のことを聞かせてくれぬか」。
「…すべて終わったことにございます。越前は父上のお力が発揮できる国。胸をはって赴かれませ。私もともに参ります。」
 多くの歴史家の皆さんの言う通り、越前守は為時さんの実力です。

 土御門邸。病臥する、皇太后詮子。倫子は「悪い気が漂うておる…探せ。」と命じ、あちこちから出てくる呪物。
 それを見せられ唸る道長に「この家であったことは私の責任、私にお預けくださいませ」という倫子。そして、倫子スマイル。「あっ、そうか」と、脱力の道長。
 内裏では、呪詛や大元帥法など、怪しい話も付け足され、実資が帝に奏上。中宮定子は実家に退下。兄弟の母・貴子は、斉信にとりなしを頼むが…。清少納言に「中宮を見限れ」と、無慈悲なことを言う斉信。おかげで、清少納言は定子の周囲から「裏切者」扱いを受けることに。    

 謹慎中の伊周は、最後の砦であり、絆でもある、叔父・道長に、帝へのとりなしを頼みに来る。考えた道長は、定子を手引きして内裏に戻す。定子から、帝に懇願させるのが妥当と思ったのだろう。
 脚本は、前回帝の言葉として、今回道長の言葉として、帝・伊周・隆家と道長が、年の近い甥・叔父の関係で、兼家の庭で、共に遊んだ間柄であることを視聴者の脳裏に浮かび上がらせている。【「家を護れ」が兼家の遺言であるから、(彰子が若年である以上)道長にとって、定子は守るべき姪であったはず…】

 安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談をする道長。「あなた様より強い者はおりませぬ」「隆家様はあなた様の大きな力に」「(伊周様は)あなた次第」と伝える。清明は運気を見ているのだ。
 
 四月二十四日。伊周は太宰権帥、隆家は出雲権守、宣下。
 罪名は遠流と言っても、高貴な二人は左遷である。
 伊周は、大宰府には行かないとまるで駄々っ子。検非違使達に囲まれるに至り、隆家は出発。実資を筆頭に、検非違使達が土足で踏み込み、逃げる伊周。
 混乱した定子は、放免から奪った刀を首に充て、髪を切ってしまう。(出家を意味)
 心配で、まひろと変装して潜んでいた、清少納言はこれを見てしまう。
※放免=(人手不足で)微罪の犯罪者を検非違使の手先としていた。


 
 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?