私の光る君へ〜大河「光る君へ」39話・とだえぬ絆・雑感〜見逃した方もどうぞ
1009年11月25日 土御門邸
中宮彰子は第二子・敦良親王を産む。
彰子の祖母・穆子は、娘倫子の「次も皇子様がいい」に「凄い事を言う」と笑顔で反応、元気な78歳。
彰子も、幸せそうに微笑む。
【倫子、彰子、の長生き遺伝子は穆子から。】
11月27日
産養。公卿たちほぼ参加。右大臣・顕光、内大臣・公季、伊周、姿なし。(小右記)。道長がサイコロ振る?!【どんな風習?】
藤式部は、「宿世」と書いて、意味深。
~タイトル~
暮、実家に下がる藤式部。
道長からの賢子の裳着の祝いは、反物。
惟規はあまりの豪華さに「自分の子は可愛いのだな」と言ってしまう。
そこから為時は、賢子の父が、実は道長なのだと知る。「この機会にお知らせした方が…」【まひろ、えっ…どうしよう~の顔】
1010年1月2日 内裏
子日の宴。帝出御(髭‼)。
為時、左大臣を物言いたげに見るが、早引け。
数日後、藤壺。藤式部執筆中。女三宮の懐妊に煩悶する源氏(因果応報)。
道長現れ、為時が早引けした理由を尋ねるが、式部は、華やかな所で調子が狂ったのだろうとはぐらかす。
【紫式部日記によれば、為時の早引が気に障った道長が酔っぱらって、当日に式部に絡んだ記載がある。二人の孫皇子に道長は、絶好調の酔っ払い。】
その後、四納言だけの集いで、本心を明かす道長。
「できれば、俺の目の黒いうちに、敦成様が帝におなりあそばすお姿を見たいものだ。」
1月26日 梅に雪が舞う(~少し春ある心地こそすれ~)
伊周衰弱。
「俺は奪われつくして死ぬのか…」
隆家「敦康親王様の事は私にお任せ下さい。安心して旅立たれませ。」
(いくらなんでも可哀そうな)道雅に向かい、
「左大臣には従うな。低い官位に甘んじるくらいなら、出家せよ。」
翌日薨去。
帝、行成に「敦康が次の東宮となる道筋を就けたい」と言いながら、胸を押さえている。行成が、敦康の元服の日取りを諮っていると伝えると、帝「中宮の出産に紛れることなく、敦康の元服を世に示せる…良かった」と。
隆家は道長の執務室を訪れる。
兄への供養の品の礼を言い、今後は敦康の後見を務めると言う。
ただし、敦康の後見となっても、左大臣に使える気持であると伝える。
「大切にお守りいたせ」と答える道長。
さらに(平服・狩衣の喪服/烏帽子着て)脩子内親王の下にも、出向く隆家。
内親王の近くに控える、ききょうは「…あれ程お美しく貴かった方々が何故にこのような仕打ちを…」と大声で泣く。
隆家は振り返りつつ、涙ぐみ、しかし賛同はしていない目の色。
【筋と関係なく、貴重で高価な隆家の喪の束帯姿。鈍色の袍に、表袴もいつもの赤い裾ではなく、甘子色=オレンジ色の裾。冠は喪中の参内用の纓で、縄纓(なわえい)とか。喪中なので登殿しない。衣装部さんの珠玉の一瞬。勉強させてくれるNHK。】
2月 藤壺
彰子は式部と『新楽府』を学習。妹の姸子が結婚の挨拶に来る。
姸子は、18歳年上の東宮・居貞親王に嫁ぐことになったのだ。
姸子は、美しく優しい一条帝と姉の仲を羨む。
彰子は「宿命に抗わず、その中で幸せになればよい。きっとよいことがあろう。」と言う。
姸子は、道長は娘たちを権力を操るための道具と、考えていると言う。
式部が思わず、その考えは自分を貶めるものだと、忠告。
「何か、うるさいこの人。」
姸子は楽しく生きてみせると言って去る。
【三人三様に、それぞれに悲しく美しく強い女人たち。】
2月20日。姸子は東宮の后となる。
以降、若い公卿を集めて宴会、と道長に告げ口に来る道綱。
しかも、その費用を「よしなに」と姸子からの伝言まで、取り次ぐ。
右大臣・顕光は、娘・延子の婿に居貞親王の皇子・敦明。道長への牽制。
7月16日、敦康元服の前日。藤壺。
「母亡きあと、中宮様に賜りました御恩、生涯忘れませぬ。」
「立派な帝におなりあそばすために、精進なさいませ。」
敦康、彰子の手を離さない。
道長はこれを見て、式部の局に来て、「光る君のような事をされては困る。」と愚痴る。式部は「つまらぬことを…」ととりあわないので、もうよい、なんとかする、と言って去る。
道長は行成に、元服後すぐに敦康の住まいを移すように言う。
1011年正月、為時の家。
惟規が、従五位下に昇進。
いとが「若様の赤い束帯用意してございますよ」と言い、惟規と抱き合う。【予告で急転直下の展開を知る惟規ファンは辛いけど、いい場面~】
春の除目、為時、越後守。
二人で、内裏の左大臣の執務室に礼に行く。
「左大臣様、姉もお世話になっておりまする。畏れながら、姉は気難しくて、人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。」
これで、二人の仲が気づかれていることを知る。
【惟規の横で目が泳ぎまくる為時と、くるくる変貌する道長と、面白い~】
道長に促され、為時と惟規は式部の局に。
式部は驚きながら、越後が遠く越前より寒いことを案じる。
そこで、惟規が父を越後まで送ることになる。
賢子の裳着。
道長から贈られた衣装。帯は惟規が結ぶ。為時涙。
賢子、越後には行かず、家を守る。
「母と同じ道は行きたくない。」と反抗的。
その後、まひろと惟規。
「姉上の裳着の時、姉上と父上の仲は最悪だった。」
「親子って、変わらないようで変わるんだな…賢子の母上は姉上だけなんだから…左大臣様の姉上への気持ちも変わらないな、左大臣様凄いよ。きっとみんなうまくいくよ。」。
【ここらから、泣かせよう演出。真宙君、どんな時もお日様みたい~】
越後への山道を、馬で進む為時と惟規。激しい腹痛を起こし、下馬して苦しむ惟規。
なんとか国守の館までたどり着くが、薬師の到着を待てず、辞世を遺して卒去。
みやこにも恋しき人の多かれば なほこの旅はいかむとぞ思ふ
弟の死を知らせる為時の手紙を読むまひろ。激しく泣き続けるいと。気丈に読み終えたものの、堪えきれず顔を覆って泣くまひろ。
賢子が優しく寄り添って肩を抱く。
【国守の館の藤の花が美しい。どんな場所で世を去ったかも不明なこの歌人への、制作側からの手向けか…】
《伊周には、梅と雪。惟規には、藤の花。ドラマ展開の中で真反対の役柄ながら、重要な二人の死を美しいセットで飾った。一瞬で過ぎるのはなかなか惜しい。》
紀行は、逢坂の関の惟規の歌。
逢坂の関うち越ゆるほどもなく 今朝は都の人ぞ恋しき
次回は「君を置きて」
ってことは…国民的涙腺崩壊~……ロス?!
中宮様がお怒りの予告❣頑張れ彰子❣