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ねぇ、ムーミン(エッセイ)

 先日亡くなった父の入院証明書が必要で、自転車に乗って、病院まで取りに行く。
 日当たりにあたりたくて、なんとなくこっちの方向でしょうと、道のりを行く。だって、少しでもセロトニンゲットしたいんだもん。笑!
 特に今日も予定がないし、取りに行く時間も決まっているわけでもないし。
 で、しっかり迷子になる。
 ここはどこのほそ道じゃと、歌いたくなってしまった。
 ふと気になる古道具さんに出逢った。そうか、ここに巡りあうために、迷子になったのか、引き寄せられたのかな?と思う。
 自転車を停めて、店内へお邪魔する。対のティーカップに目が止まる。
「欲しいなぁ!どうしよう?また散財したと叱られるかな?」これは病気の一つか?
飲み口に金縁のかかったお花模様と、ムーミンさんと、どちらにしようかな?と迷う。
 一緒に暮らす母は、すぐに飲まずに電子レンジでチンとしてしまうことが多いので、やはりムーミンの方か?でも、千円高いしなと悩む、悩む。悩む。
 じっと見てたら、「こっち向いて」とムーミンに歌をうたわれているような気がして、決まる。
 よく見ると、対の描いてある絵が違っていて、内側にも小さな絵があり、底にあったり、よくよく見るととてもこっている。
 買ってしまった。
 なんか可愛い物が好きなの。素敵な大人というより、可愛い子どもキャラに手を出してしまうのは、私の心が幼いからかか?
 ねぇ、ムーミン、こっち向いて、恥ずかしいがらないで、モジモジしないで〜と歌いたくもなる。
 ギターを弾いてたスナフキンさんは不思議な人だった。ミーって言う子もどういう子だったけと、なんだか気になる。
 今見返したら、気持ちがずいぶん違って受け取れるのだろう。
 中学時代にスナフキンというハンドルネームの男子とメールでやり取りしてたことがある。それがとても楽しかった。
 中学時代、名前は知ってたものの、クラスが同じでなく、話したことがなかった。
 たまたま中学の同窓会で、顔を合わして、ようやく言葉を交わすが、なんだかメールのやり取りのノリとは違う。
 その後、同窓生の仲間が集まり、何度か飲み会やらで顔を合わした。
 彼は、動物園の飼育係。カバ係で、歯磨きをするパフォーマンスをしていたそうだ。仲間は観に行ったり、夜の動物園という飲み会があったりした。けれども私はそれらには仕事で参加したことがなかった。
 私は、よく喋る方なので、人の地雷を踏んでしまうことが多い。その彼の地雷を2回も踏んでしまった。
 一度めは、ものすごく強く頭を叩かれた。2回めは、帰ってくれ!と怒鳴られた。
 けれど、私には、彼がなんでそんなにも怒らせてしまったのか、わからない。
これが、私の悪い癖?病気?
 よく人を怒らせる。そんなことしたくないのに?なんで怒っているのか理解できない。そう(躁)だからか?
 彼はサイの担当に変わって、病気のサイの面倒を見ていた時に、襲われてしまい、この世界から旅立ってしまった。
 ちゃんと話して、メールをやり取りして、あの楽しかった頃に戻りたかったな。
 怒らせてしまったことをきちんと、話をしたかった。そして、そんな気持ちにさせてしまったことを謝りたい。
 そんな体験が多いから、  私は自己肯定感が低いのだろうか?
 その反面、自己肯定感も強いのが発揮している時に気付けず、人の地雷を踏むのかな?
 みんな、みんなと仲良しでいたいだけなのにね。
 どこかで、父が変わりに会って謝ってくれてたらいいな。
 彼を思い出すために、このお店に呼ばれたのかな?なんて思ったりしてる。
 人はいつか必ず死ぬ。その後のことは、わからない。臆病者の私は怖い気持ちがある。
 そして、その時はいつ現れるかわからないのに、そう思ったら、時を無駄にできないと、焦る。焦る。
 そう(躁)、自分の目標が定まらない。あちこちに気持ちが飛び過ぎる。あらゆることが中途半端で、私は何をしたいのだろうか。私の目標、自分軸を探しているところだ。
「教えてください」と叫んでいたら、何かを引き寄せるかな?


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