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「真の豊かさ」について R3.12山形県議会予算質問①

※県議会議員として予算質問した内容の通告文を掲載します。実際の質問とは若干異なります

 自由民主党の矢吹栄修です。今回は、ちょっと時代を変えて、戦国武将伊達政宗の晩年の漢詩ではじめたいと思います。
「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずして是を如何にせん」
 戦場に馬を走らせた青春の日々は過ぎ、今は太平の世となり俺の髪はすっかり白くなった。生き残ったこの身をどう処しても天は赦してくれるだろう。楽しまないでどうするというのだ。
 私の座右の銘は高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」ですが、かぶき者の高杉と伊達男の伊達政宗は、その諧謔において相通ずるものがあるようです。波瀾万丈の人生を楽しみ尽くした政宗ならではの漢詩と思います。
 まさに今、コロナ禍という有事ですが、そこから復興するには悲壮感や消極性ではなく、この世を楽しむという楽天性や積極性、つまりはワクワクするような感覚こそ明るい未来を引き寄せると考えます。本日は、「わくわく感」をテーマに、楽しい面白い質問にしたいと思いますので、よろしくお願いします。

1 「真の豊かさ」の考え方について

 数年前から私は「真の豊かさ」をテーマとしてきました。この言葉を前回改選前の一般質問や二年前の決算総括質疑などで出して議論してきましたが、いつのまにか知事もよくその言葉を使われるようになり、「人と自然がいきいきと調和し、真の豊かさと幸せを実感できる山形」という主題が掲げられました。どっちが先に言い始めたかなどはどうでもいいので、真の豊かさという言葉を知事が出すことは歓迎します。ただ、その真の豊かさについての認識が一つなのかを、改めてぜひ議論してみたいと思います。
 山形などの地方の者が「真の豊かさ」と言うと、すぐに自然の豊かさとか食べ物の美味しさとか、心の余裕やストレスのなさとか、そういったイメージをまず抱くでしょう。しかし、これでは若い者はワクワクしません。所得の高さを求めて都会を目指してしまうでしょう。ですが、私が言いたい「真の豊かさ」とは、所得においても地方と都会は大差がないということです。
 確かに地方は給料は低いでしょう。しかし、家賃や食費などの出費については都会ははるかに高いのです。収入から支出を引いた余剰金、実質的な所得は地方と都会はそれほど変わりません。実際、鳥取県が生涯の収入と支出について東京と比較したところ、平均的な生活を送ったとして、65歳時点での予想貯蓄額は東京が1986万円なのに対し、鳥取県は2272万円、むしろ鳥取県の方が多いというシミュレーション結果となったそうです。山形と鳥取はそれほど条件が変わりませんから、おそらく同じような結果が山形でも出るでしょう。つまり、「所得」という意味でも、都会は決して豊かではなく、地方は都会並みに豊かだということになります。
 もちろん、都会にはビッグチャンスがあるかもしれません。儲ければ大きい。しかしそんな人はごくわずかです。山形にだって成功したお金持ちはいます。よく、地方にはやりたい仕事がないという話を聞きます。しかし、都会にしかない仕事とはなんでしょうか。すぐに答えられるでしょうか。「地方に仕事がない」とは「地方に自分が欲しい給料に見合った仕事がない」という意味であって、そういう若者にはぜひ、「本当に都会にしかその仕事はないのか」「都会では出費も多いから給料が高くても実質所得は変わらない」ということを問いかけ、考えさせる必要があると思います。まして、デジタル社会の進行の中で、地方にいながらにして様々なチャンスがつかめるようになりました。都会に行かなくても、山形で成功している芸能人・文化人が多数います。むしろ競争が激しくない分、地方にこそ可能性は広がっているとも言えます。
 このように、所得も仕事も、地方と都会で大差はありません。その前提に立った上で、地方の優位点を主張するべきです。例えば家の広さ。山形は持ち家が多いし、アパートでも同じ家賃で都会よりもはるかに広く綺麗な家に住めます。また、通勤時間。都会に比べて遙かに短く、通勤ラッシュで疲れ果てることもありません。時間的余裕は、地方の優位性です。もちろん自然豊かで食べ物も美味い上に安い。そして待機児童ゼロ、に象徴されるように山形は子育てしやすいことは言うまでもありません。
 所得的にも時間的にも余裕がある生活、これを若い人たちに発信していくべきです。人の良さとか自然の豊かさ、といったものは生まれたときから当然そこにあるものですから、若い人たちには響きません。ワクワクできる優位性こそ大事なのです。
 もちろん都会に比べてないものは多数あります。娯楽であったり二次交通であったり。この点については後で議論したいと思いますが、いずれにしても都会と同じにはなれませんし、なるべきでもない。毎日渋谷で買い物をして、毎日ミュージカルを観たい、という人に、強引に山形に住んでくれと言っても無理があります。若いうちは華やかな都会に憧れ、都会で勝負したいという意識もあっていいでしょう。しかし、数年都会で暮らしたあと、その現実を知り田舎の良さを再認識したとき、実は所得でも都会と地方は大差ない、という情報が頭の片隅にあれば、家の広さや時間的余裕など、地方の優位性を理解しやすいでしょう。
 「真の豊かさ」とは、「地方は所得的には貧しい」といったイメージを覆すことです。都会と地方は所得格差がそれほどないことを示し、住んでいる家の広さは1人あたり何平米なのか。通勤時間の平均はどう違うのか。エンゲル係数の高さは?こうした冷静な数値を可視化して高校生や大学生に示したとき、はじめて若い人にワクワクしてもらえるでしょう。そして若い人だけではなく「山形は貧しくて何もない」と思っている大人たちの意識も変えるはずです。これこそが「真の豊かさ」です。
 こうした数値の分析と可視化を進め、県民と県外へも積極的に発信していくべきと考えますが、知事の「真の豊かさ」への認識と、知事が目指す「真の豊かさと幸せが実感できる山形」像を、代わりに副知事に伺います。

 東京は行きすぎた新自由主義の横行により、格差社会が進行しています。むしろ今は初期ニューリベラリズムが提唱した、社会的公正を重視し、自由な個人や市場の実現のためには、政府による介入と社会保障こそ大事だとする考えに立ち返り、低所得者そして地方に分配するという現在の潮流こそ時宜を得ています。さらに、斎藤幸平氏が「人新世の資本論」で、SDGsすら「開発目標」と言っている限り欺瞞であり、本質的には地球環境の悪化は免れず、今こそ従来の私や国の富という考えから脱却し公の富「コモンズ」の考えにシフトすべきで、それもわずか3%の人間が意識を変えただけで社会変革は起こり、資本主義という呪縛から逃れ得ると説かれています。まさに卓見です。そう考えるとき、無制限な発展をやめて持続可能な地球環境を創出することを可能ならしめるのはまさに地方であり、地方にこそ新自由主義から脱却した「真の豊かさ」があるのは明白です。
 はい、今のでわかったでしょうか?これで若者が地方定住を決意しますか?小難しくそれっぽいことを言うなんて、誰にでもできます。しかし全くワクワクしない。千の理屈よりも、わかりやすい数字と豊かな生活のイメージ、これが大事なのです。明るい未来を提示することが政治の役割だと思いますので、ぜひ今後ともに真に豊かな山形を築いていきましょう。

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