おばけを見たい気持ち

夢とかじゃない、ただの文章です。




霊感は残念ながらありませんが、おばけを見たいと思っています。

よく心霊スポットに行く!とかありますが、あれは好きじゃない。

人んちに土足で踏み込む感じがするので。

まぁ見るのは好きですけどね。


大切な人を亡くしたら、どこに行っても会えません。

墓場にも仏壇にもいないんです。

そこにあるのは代わりなんです。

よく心の中にいるよ、なんて言う人もいるけど、所詮記憶なもんで、もう声が思い出せない。

名前を呼んでくれたその声が、もう分からない、思い出せない。

悲しいというより寂しいです。

感情と美化された思い出ばかりが残って、時間ばかりが過ぎて、忘れていく自分がいて、魂が置いてけぼり食らって、生きているというより生命を維持している状態に近い。

皮肉ですね、生きたい人が死んで、生きる興味がない人が生きてるなんて。


お盆を何度か迎えても、夢にも現実にも現れないのは酷い!と思う反面、思い残すことなく亡くなったのかと思うと良かったと思えます。

今のとこ夢で見たのは2回だけ。

1度目は白黒世界で胸が赤い猫と一緒にいて頭を撫でてくれた。

2度目は昨夜のホテルでの待ち合わせ。

その夢でなんとなく感じたのは、白スーツさんの案内に付いていくのはアウトだったんだろうと思う。

だからずっと手を握ってくれていたんだと思う、そう思いたい。

2回とも声は分からない、でも優しさだけは伝わったから十分嬉しかった。


苦い思い出すら今は大切な人を思い出す為の材料で、自分が苦しむ度に思い出てきては、まだ忘れていないことに安堵している。

最後に名前を呼ばれた時、名前を間違えられた悲しみは一生消えない。

だけど最後に側に行けなかった自分の愚かさと比べたら…トントン、って事にしとこう。



愛してる、ずっと大切な人。

本当は逆行してあの夜に戻りたい。

でも無理だからおばけで会いたい。

それも無理だから夢で妥協するから…これからも夢を見続けるよ。

贅沢は言わない、たまにでいいから夢に会いに来てくれませんかね。

頑張って忘れずに覚えておきたいんです。

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