見出し画像

「番茶と晩茶」定義を考察する(3/5) 晩茶の定義

番茶と晩茶 歴史から晩茶研究会の定義まで


現代までの歴史

「番茶」という言葉が文献で確認されるのは十五世紀になってからで、それまでは「晩茶」という言葉が夏過ぎの晩くに摘んだ茶という意味でつかわれた。

江戸時代になると、茶は庶民の間で一般的な飲料として定着し始めた。この時代には、春の新芽を使用する上等な茶に対して、夏過ぎの遅摘みで品質の劣る茶が「番茶」と呼ばれるようになった。農村では、屋敷の周りや畦畔に茶の木を植えたり、またヤマ茶を利用して自家用茶が作られた。こうして作られた茶は、現代における「伝統番茶」に相当する。

江戸時代中期には宇治で蒸製煎茶の製法が確立された。幕末から明治にかけて茶が重要な輸出品となり、従前からの製法で作られた日干茶は乾燥不足が生じやすく粗悪茶と見なされるようになった。明治10年には静岡県で日干茶禁止の諭告がだされた。この時代が転換点となり、伝統製法による自家用茶は徐々に姿を消し、代わりに煎茶製法で作られる下級茶としての番茶が日常茶に置き換わっていった。

現代の定義

現代における番茶の定義は「新芽が伸びて硬くなった茶葉や古葉、茎などを原料として製造したもの及び茶期(一番茶、二番茶、三番茶など)との間に摘採した茶葉を製造したもの」である。一般的に茶は製法で分類されるが、この定義に製法に関する記述はない。この定義には大きく分けて以下の2種類の番茶が含まれる。

煎茶製法の「番茶」
成熟した葉を用いて煎茶製法により作られる茶

伝統製法の「番茶」
自家用茶がルーツであり、各地の様々な伝統製法により作られる茶

生産量においては、「煎茶製法の番茶」が圧倒的な割合を占め、現代茶業における番茶は煎茶製法の番茶と同義となっている。

煎茶製法の番茶 仕上工程で選別される大柄な葉 頭柳 
伝統製法の番茶 焼津高草山で真冬に摘んだ茶 寒茶

晩茶とは

工業的に大量生産された「煎茶製法の番茶」と、自家用茶として地域文化と結びついている「伝統製法の番茶」は成り立ちから大きく異なっている。伝統製法の番茶は日本文化にとっても大切な財産であり、適切な分類を設けることが普及促進、保護育成にとって重要であると考える。

この観点から晩茶研究会では、前者を「番茶」、後者を「晩茶」と呼び分け、両者の混同を避けている。このnoteでは以降、晩茶研究会の定義に基づいて、番茶と晩茶を使い分ける。

晩茶は自産自消

晩茶は自家用茶という概念

番茶が煎茶製法であるのに対し、晩茶の製法は多種多様で特定できない。十分に生長した葉を使用し、殺青方法は焼く、煮る、蒸す、炒るなど様々だ。殺青せずに陰干しで作る茶もある。乾燥は極力燃料を使わずに自然乾燥を基本とし、多くの場合天日干しされる。晩茶は製法で分類できない茶である。
晩茶は自家用茶という概念を表す言葉である。

自家用茶は自産自消茶

自家用茶とは自ら作り、自ら消費する「自産自消」の茶である。晩茶の根底にあるのは「自産自消」という概念だ。自宅周辺の少ない茶の木から、家庭にある道具を使い、費用をかけずに茶を作るという共通した性質がある。大掛かりな製茶機械なしに、個人で茶を作る営みである。晩茶の製法は作られる地域の特色を反映している。晩茶の多様性は地域の多様性といえる。

晩茶の定義

各地各様の伝統製法により作られる自産自消の茶

晩茶を知る

晩茶は特殊で珍しい茶という面が強調されがちだが、茶が画一化される前の自産自消茶であることを忘れてはならない。各地各様の茶はその土地、その家の食文化に根ざしたものであり、本来作られた場所で消費されることを目的としている。

晩茶を個別に追えば、その多様性に振り回されてしまう。自産自消という根本的な思想を理解することが晩茶を知る近道になる。

次回は晩茶を構成する要素について考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?