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「番茶と晩茶」定義を考察する(2/5) 番茶の歴史
前回は日本茶業中央会の番茶の定義をスタート地点に、煎茶製法の番茶と伝統製法の番茶について考察した。
今回は様々な研究者の番茶の定義を年代順に並べ、全体を俯瞰する。
江戸時代以前
中村羊一郎氏によれば、文献上で「番茶」という語が最初に確認されるのは十五世紀になってからで、遅く摘んだと云う意味の「晩茶」の方が登場は古いという。
番茶という語は十五世紀になって初めて確認される。最初は晩茶と書かれていた。晩は遅いという意味で、上等の茶が新芽を摘んで丁寧に製茶されるのに対して、夏過ぎの硬化した茶葉すなわち「晩」の茶葉を素材にしたからである。
江戸時代
(1604年)日葡辞書
1604年にイエズス会の宣教師によって刊行された『日葡辞書』には”Bancha”の記載がある。内容から「番茶」であろうと推察される。現在の一般的な認識とさほど変わらない。
表2 茶や茶の湯に関連する主な単語
アルファベット/カタカナ(漢字)/単語の意味/ページ数
Bancha /バンチャ(番茶)/上等でない普通の茶。/p.48
(1697年)農業全書/宮崎 安貞
『農業全書』(のうぎょうぜんしょ)は、元禄10年(1697年)刊行された農書。出版されたものとしては日本最古の農書である。
第七巻 茶 第一(221頁)
茶経には五番までもつみ段々名も替りて上中下の品あり。一番につみたるを茶とは云なり。残る四番はよからぬ茶なり。名をしるすに及ばす。
茶経には5番摘みまであり、上中下のランクが分けられているが、茶とは一番摘みのことで、以降は品質が劣るため価値がないとしている。
第七巻 茶 第一(226頁)
又煎じ茶はわか葉古葉残らずつみ取てあくにてざつと湯がき冷水にてひやし、よくしぼりあげ筵に攤干し少汁のかはきたる時、筵の上にてもみ、或縄筵を作り其上にてあらくもむ事三遍ばかり。さらさらと干たる時とをしにかけをくもあり。つよきほいろにてあげ火を一遍取たるは猶よし。其後、俵に入れ収めをくべし。<中略>又唐茶をこしらゆる事異なる事なし。
番茶とは書かれていないが、自家用茶の製法として新芽から古葉までをすべて使った、煎じ茶(日干番茶)と唐茶(釜炒茶)の製法が記されている。
煎じ茶は茶の葉を茹でて殺青した後、冷水で冷やし、筵の上で少し乾かした後に揉捻するし乾燥させる。その際通しで粉を抜いて置くのも良い。茶はそのまま煎じて飲んでもよいが、一度焙炉で焙じると猶良い。これは近年まで続いてきた日干番茶の製法である。
前項には一番摘み茶を使った極上茶(蒸し製法)上茶(湯引き茶)の製法が書かれている。
凡都鄙市中田家山中ともに少も園地となる所あらば、必多少によらず茶を種べし。左なくして、妄りに茶に銭を費すは愚なる事なり。一度うゑ置ては幾年をへても枯失る物にあらず。富る人は慰ともなり、貧者は財を助る事多し(若又山野もなき里ならば、本田畠に茶をうへても家々に茶を買ぬ手立をなすべし。是只一時の心つかひを以て、子々孫々まで茶に財をつひやさぬはかりごとなり)
(茶は毎日飲むものであるので)すこしでも茶を植える場所があるのなら植えて、上記のような茶を自作すべきと説いている。そうした土地がないのなら、本田畑(年貢のかかる田畑)に植えてでも茶を作れと言っている。茶を一度植えれば、滅多に枯れるものではないし、子々孫々にまで渡って茶を買わなくて済むということだ。これは自家用茶、伝統製法としての番茶の思想の根本的な部分である。
(1709年)農事遺書/鹿野小四郎
加賀江沼郡小塩辻村の十村・鹿野小四郎が宝永年間、子孫のために農事の秘伝と生き方とを示した文書が『農事遺書』全五巻である。作物や自然への鋭い観察眼から、きめ細かく農事を記述した異色の遺言・家訓。
農事遺書は広く一般に向けて書かれた農書ではなく、鹿野小四郎が子孫に向けて書いた鹿野家門外不出の書である。
その為、番茶の記述も当時の番茶の一場面を伝えるものとして捉えるべきである。
摘む時期については、上質な茶をつくるなら春の土用前に摘むのが最も良いとしている。
摘時ノ事。五月上リテ土用前初葉ニ摘タルニシクハナシ。然レトモ初葉ハ煎ズル時サワサワト出テ味淡ク久シク出ヌ故ニ損アリ、殊更若葉ナル故ニ斤数スクナシ。
(現代語訳)
茶を摘む時期のこと…田植えが終わったあとの土用前、初葉を摘むのが最もよい。しかし初葉は煎じて飲むさい、茶のエキスがさっと出て、しかも味が淡泊ですぐ出なくなるため損である。特に若葉のため斤数も少ない。
日本農書全集5 現代語訳/清水隆久
しかし、上質な茶は量が少なく味が淡白であることから、次に番茶の製法も記している。この中に番茶といえども時期が晩くなりすぎると、色も赤くなり味も悪くなるとある。
総合すると、良い茶を作る方法はあるが、倹約的かつ持続性を考えれば、(子孫に向けては)味に目を瞑って晩く採る番茶を作るべきであるというように読める。
初葉ニスル事ナラズハ土用中ニ摘タルヨシ。心ハ土用ニ摘トリ跡ハ捨置、田獲前 或ハ獲仕廻テ摘ベシ。晩キ程木ニ痛ナシ。最モ番茶トイヘドモ晩キハ色赤ク味ヒ悪ク、売テモ下直ナレドモ木ノ痛ムニハ替カタシ。唯夏ノ土用過ヨリ七月中ニ摘タルハ大キニ痛ムナリ。数年重テ摘メバ四、五年ノ中ニハ断ル者也。
(現代語訳)
初葉を摘めない場合は土用中に摘んだらよい。茶の芯を土用の間に摘み取ってあとはそのままとし、稲刈り前または稲刈り後に摘み取ること。晩く摘み取るほど木のいたみが少ない。もっとも、番茶であっても、晩く摘んだものは色が赤くなり味も悪く、売っても値が安い。しかし木がいたむことを考えればましである。
ただ夏の土用過ぎから七月のうちに摘むと、木がたいへんいたむものである。数年も連続して摘むと四、五年の間に木が枯れてしまうことになる。
日本農書全集5 現代語訳/清水隆久
番茶ハ宵ニ蒸テ揉畚桶ナドへ入置、翌ル朝亦サラサラト揉テ干上ル外別ニ仕様モナシ。
日本農書全集5 現代語訳/清水隆久
(1842年)広益国産考/大蔵永常
大蔵永常(1768-1861)は江戸時代の三大農学者の一人。
永常は未刊のものも含め、生涯で約80冊もの農書を執筆した。集大成的な意味を持つ最後の『広益国産考』を除いて個々の著作の扱う主題はきわめて限定的である。またすぐに内容を察することのできる平明な題名も特徴の一つである。
番茶の定義では無いが、「農民は自家用茶は自作すべき」という考えを述べ、刈り茶の製法を記している。以下はその冒頭部分である。
「茶」
(現代語訳)
茶は全国各地で、自分のところで使うだけはできるものである。それなのに、農民が町に出て、茶を買って帰宅するのをみたことがある。その土地の人に聞いてみたところ、水呑み百姓は、茶を作る土地がないので、仕方なく買っているというが、相当な農家でも買っているそうである。これらは農民の心得にそむくものといえるのではないか。茶を毎日飲まない家はない。それなのに自家で作らずに、よそから無闇に買って出費をするのは愚かなことである。田畑の少ない人でも、屋敷のなかに五株から七株も植えておけば、家計の助けとなる。家族も多く、昨付けも多い家では、屋敷まわりはもちろん、所有している畑のなかに植える場所はいくらでも見当たるものである。
この刈り茶は日向国(宮崎県)では番茶と称し、自家用茶として飲むだけでなく、大阪に出荷もしていたとある。
一年一作で新茶前に茶株の根元から刈り取って茶にする。刈り取った茶は水で洗った後、枝ごと10cm程の長さに切り大鍋で煎る。水洗いしているため蒸したようになる。その後は揉捻と鍋での乾燥を繰り返して仕上げる。日干工程の無い釜炒り番茶である。
(1843年)駿国雑志/阿部正信
阿部正信は江戸後期の旗本で、文化14年(1817)に駿府加番として駿府に赴任した。駿国雑志は駿河国の地誌で、全49巻の大作である。
ここで紹介されている茶は蒸し製日干番茶で、(摘み方から)引こき茶と呼ばれていた。
番茶 蒸て日向にほし、釜にて煎る也。4月中旬より出す。俗に云う、三番茶也。村里これを引こき茶と云へり。
大正時代
(大正11年)宇治茶の鑑別法/茶業社
番茶の製法と鑑別法
煎茶園でも覆下園でも一番茶の摘採りが済めば番刈りと言って茶樹の剪定を行う。この番刈によって鋏で刈り採られた枝葉を蒸して揉まずに其儘乾燥したのが番茶である。而して乾燥してから適宜に刻んで炒って用うるものである。
(大正14年)茶飲みばなし/帝国農業新聞社 編
【番茶】
一般に下等茶の意味に用う、下等番茶は新芽を摘んだ後に、前年の枝葉を刈り取り蒸して、そのまま揉まずに乾燥したもので製茶取締り規約にも番茶はこれを本茶と区別している。その他の飛び出し、屑茶、番柳等は本茶と見做している。
昭和時代
(昭和3年)嗜好から見た全國の番茶/桑原次郎右衛門
全国の番茶を8種類に分類
桑原次郎右衛門は農林省茶業試験場の研究者で、昭和3年に「嗜好からみた全国の番茶」で各地の番茶を製法で分類した。
下級茶としての番茶に加え、これまでとりあげられることのなかった各地の伝統製法による茶も含めた点でたいへん価値のある仕事であった。
現在日本番茶を其製法や種類系統に依って分つと先づ支那茶系の釜炒番茶、蒸葉日干茶、蒸葉番茶 、蒸葉日干茶に加工して一種特の風味を持たした碁石茶(平口茶)及び俗称馬糞茶等の醗酵番茶、味本位 である手繰茶又は室製番茶、青臭味あれど一種の深き味ひある玉露川柳、 香気と味の強い簸出し番茶、味は淡泊で只火香のみのホージ番茶とに分つことが出来る。
まとめると以下8種類となる。このうち、米印を付けたものは現在主流となっている煎茶製法による番茶=下級茶としての番茶である。
1.釜炒番茶
2.蒸葉日干茶
3.蒸葉番茶 ※
4.醗酵番茶
5.手繰茶又は室製番茶
6.玉露川柳 ※
7.簸出し番茶 ※
8.ほうじ番茶 ※
桑原がこのように番茶を分類したのは、各地の茶に対する嗜好が番茶に現れていると考えたからだ。「是は茶の内地販路の拡張、或いは取引でも仕様とする場合の基礎となるもので、面白い事であると共に大切な事であると思ふ。」と述べている。
我國の番茶の種類は是を詳細に分けると四、五十種もあるやうであるが、大別しても十五、六種になる。此各種番茶を只日用番茶として見れば、何等の趣味も面白味もないが、地方に於ける上等煎茶や、他の食物、飲料、人情、習慣等に迄渉って調べて見ると、其嗜好に統一した物を発見する。 是は茶の内地販路の拡張、或いは取引でも仕様とする場合の基礎となるもので、面白い事であると共に大切な事であると思ふ。昔からの老茶舗などでは其様な其様な事はないが、新たに内地取引でも目論見するものが、是等の予備智識がなく、只単に自己の嗜好や地方的習慣を標準に計画を立てると、思はぬ失敗を見るのは是が為である。
(昭和18年)諸国の土瓶/柳宗悦
茶の研究者ではないが、昭和初期の「番茶」の定義として柳宗悦の著書から引用する。
柳は番茶は「晩茶」とも書くが、番茶が妥当だとしている。それは「番」に普段遣いの意味があるからで、番茶が厳密な茶種を表す言葉ではなく「日常茶」という意味であったことを示している。
上等の煎茶は最初の若葉を摘み取って製る。その後生えるものを後より摘んだのが所謂「番茶」である。これらを一番茶、二番茶、三番茶など呼んでいる。それ故番茶は民間の普段用であった。従って上茶に用いる急須よりも、番茶に用いる土瓶の方が、格が一段下ったものとせられた。
「ばんちゃ」は「晩茶」とも書くが、それより「番茶」の字の方が更に妥当であろう。「番」は普段遣いの粗末なものと云う意があって、「番傘」などと同じ使い方で「番茶」と呼んだのである。
終戦:昭和20年
高度経済成長:
(昭和50年)地方茶の研究/橋本実
橋本実の「地方茶の研究」は、主に四国の伝統製法による番茶の調査記録である。
伝統製法でつくられる茶を、大量生産が可能な煎茶製法による番茶とは異なる茶として、「ふるさとの茶」「手づくりの茶」などと表現し、「地方茶」と云う言葉で総称している。
番茶とせず、地方茶として切り分けたのは、日本各地で伝統製法茶が失われていく危機感の現れだったと思われる。
しかし、その後「地方茶」という言葉が定着することはなかった。
編集後記
このふるさとの茶、つまり地方茶には静岡、三重、京都、埼玉などの各府県における代表的茶産地にみられない、先祖伝来の田舎の味がある。近代化の波はこのような山間僻地にもおよんで、例えば阿波番茶が阿波緑茶(煎茶)に転換するように、田舎の味が失われつつある。
(昭和58年)日本茶業発達史/大石貞夫
大石貞夫は1968年~1977年まで静岡県茶業試験場で場長を務めた人物で、著書「日本茶業発達史」の中で番茶を7つに分類し、これらを「地方茶」と総称し、下級茶としての番茶と明確に分けている。
地方茶という名称が適切であったかについては議論の余地があるが、伝統製法による番茶を製法に分け、ひとつの分類として捉えたことは大きな成果であった。
地方茶の分類
(1)陰干番茶(ぼてぼて茶)
(2)蒸葉日干茶(足助寒茶、美作番茶、木沢寒茶)
(3)煮製番茶(宮崎番茶、郡上茶、駿河青茶)
(4)釜炒日干茶(九州及び四国の一部)
(5)かたまり茶(香川県三豊郡)
(6)後発酵茶(碁石茶、阿波晩茶、上山番茶、土佐木頭、高仙寺番茶、バタバタ茶)
(7)蒸製番茶(京番茶、手繰茶)
平成時代
(平成12年)日本の晩茶 その種類と分布一/松下智
伝統製法による番茶を「晩茶」とし、以下のように定義している。製法は大蔵永常が記したものとほぼ同じである。
茶は、 本来自然の山野に自生する茶樹の葉を利用してきたもので、 茶畑として人工の管理に入ったのは、後世のことに なる。 その自然物としての茶の姿を留めているのが、「晩茶」 である。
晩茶と同一発音のものに 「番茶」 があるが、後者の番茶は、 別名 「番刈晩茶」 と云うわけで、 五月の新茶時に篩分けし た時に残ったものである。 したがって、晩茶とは根本的に異なるものである。
晩茶は五月頃の新芽の摘採は行わず、そのまま生長を続けさせ、八月頃の生長した茶の芽、葉と枝、 共々刈り取って 利用する。 七~八月の夏期の刈り取りをさらに延長して、 真冬に刈り取るものもある。
富田茶文化振興財団紀 / 愛田文化振興財団編4 2000p.61~70
晩茶は「晩く摘んだ茶」という意味で、十分に生長し硬化した茶葉でつくられた茶である。
早摘みの茶に比べ品質は大きく劣るが、自生茶や畦畔茶においては、量を最大化するため必然的に晩茶となる。製茶方法は各地各様である。(現代でもドリンク向けの茶は摘採時期を意図的に遅らせ、収量を重視した生産が行われている。)
機械製茶による量産化とともに茶は買うものとなり、自家用茶としての晩茶は減少していった。自家用茶が作られていた時代においては、番茶と晩茶に大きな違いはなかったのだと思われる。
(平成16年)自家用茶の民俗/谷阪智佳子
伝統製法による番茶の中でも実際に自家用に生産されている「自家用茶」を対象に、西日本地域を中心に生産者に丹念な聞き取り調査を行い、豊富な事例を元に自家用茶の民俗の実態を明らかにしている。
本書では山にある「自生茶」といわれるものや、茶園に栽培されているもの(自生茶・改良種)の使用も「自家用茶」とした。
あとがきには「特殊番茶」の名称で阿波晩茶、石鎚黒茶、足助寒茶などが紹介されている。
最近発刊された「お茶に強くなる」 (世界文化社、二〇〇四年)には「郷土色豊かな茶」として、阿波番茶や石鎚黒茶、足助寒茶などの特殊番茶が紹介されており、通信販売で取り寄せもできるという。テレビや雑誌などのメディアの紹介によって、消えつつあった地方の特殊番茶が日の目を見る傾向にあるのは、とても喜ばしいことであると同時に、それらの番茶を商業ベースに乗せられるほど、人々のお茶に対する意識とそれに伴う需要が高まってきていることに驚く。
この拙論を記し始めた当時の自家用番茶には、流通する茶=緑茶煎茶・抹茶に対するものという意識が あったが、次第に特殊番茶もその対象に含まれるようになってくるのかもしれない。
しかし、特殊番茶がその特殊性により存在価値を見直されつつある中、特殊ではない番茶、 つまりその多くを占める自家用釜炒り茶は、反対に徐々に姿を消しつつあると言える。
「特殊番茶」の定義は明確ではないが、特殊でない番茶=自家用釜炒り茶となっているので、伝統製法による番茶の中でも釜炒り以外の茶を指していると推測する。(自家用茶の事例として蒸製、煮製も存在しているので、必ずしも釜炒りに限定されるものでも無いように思われる。足助寒茶が特殊番茶とされるのは蒸製だからか、摘採時期が冬であるからか、商業ベースに乗っているからか判断がつかない)
自家用茶(非商品としての茶)という言葉で自家製の番茶を定義してきたが、釜炒り以外の伝統製法による番茶も自家用茶に含まれるのではないかということである。
(平成17年)番茶考/武田善行
一般に番茶は下級煎茶を指すことが多い。この場合の番茶には、一番茶や二番茶を摘採した後に摘採面を揃えるために行われる整枝や翌年の一番茶のために行われる秋整枝あるいは春整枝によって刈り取られた枝葉を使って作られる下級煎茶と煎茶の再製工程で選別された硬葉、古葉などからなる大形の茶が含まれる。これらは一般に秋冬(春)番茶、あるいは川柳、仮落ち番茶などとも呼ばれる番外の茶である。
もともとの番茶とは、十分成熟(硬化)した茶葉を使って作られた茶のことである。このため晩茶とも言われ、製造時期は地域により春、夏、秋、冬と多様である。このような番茶は京番茶、阿波晩茶、美作番茶のように地域の名前で呼ばれたり、碁石茶や青番茶、黒茶など製法、特性で呼ばれたり、足助の寒茶のように地名と採取(製造)時期を組み合わせて呼ばれるなど多種多様である。
製法面から見ると、番茶には調理の基本である蒸す、煮る、炒る、漬けるなどの全ての手法があり、これに摘採時期、揉む操作の有無、乾燥方法などが加わり極めて多様な地方茶を形成している。共通している事は製造工程でほとんどの場合一度は日(太陽)に干すところである。この番茶はその土地の生活習慣、特に食生活と深い関係をもち、長いあいだの生活の知恵によってそだてられてきたものである。
「一般の番茶」と「もともとの番茶」に分けて説明している。「もともとの番茶」には以下のような共通した特徴があるという。
・原料は十分に成熟(硬化)した茶葉
・ほとんどの場合一度は日(太陽)に干す
※地域名が冠された「ほうじ番茶」や、糸魚川のバタバタ茶(後発酵ではないもの)、日干でない釜炒り番茶などがこれらの条件にあてはまらない。
(もともとの)番茶は基本的に自家用茶である。天日を利用するのは燃料を節約するためであり、葉が充分に大きくなる(硬化する)まで待つのは、少ない茶の木(畦畔茶、ヤマ茶)からの収量を最大化するためである。概念としての自家用茶を製法に落とし込んだのだと言える。
(平成20年)お茶ソムリエの日本茶教室/高宇政光
「それぞれの地域で飲まれている、それぞれの地域の食文化にあった、製法や飲み方を異にする多様なお茶の総称であり、一つの決まった製法や形状、飲み方に収斂できない日本茶のこと」
つまり、これが番茶だよと、提示できない、その地域独特の製法で作られた広く流通することのない、たくさんの多様な日本茶の呼び名です。
製法や原料で一概に分類できないが、日本各地に確かに存在する昔から大切に飲み継がれてきたお茶があり、それらを総称して番茶としている。
番茶とは製法を示すのではなく、茶としての「あり方」だということになる。
(平成27年)番茶と庶民喫茶史/中村羊一郎
現時点で最も体系的かつ客観的な番茶の定義が記されている。これまでの様々な番茶に関する文献や調査研究を総括し、茶の分類を以下のように提案している。
茶(緑茶)の分類
・碾茶
・煎茶
・番茶(上記以外の多様な粗放茶の総称)
この分類によると、煎茶製法による下級茶は番茶ではなく、煎茶となる。番茶については様々な製法が混在するが、阿波晩茶のように煮製後発酵茶などと呼ばなくても地名+番茶(晩茶)で、茶を特定することができる。
番茶の定義
したがって、碾茶、煎茶及びそれ以外の多様な粗放茶の総称として番茶を用いれば、製法に着目するという意味で、同一基準による分類となる。現在の安価な下級茶と混同される恐れがあるという批判は当然ではあるが、そのような評価の淵源はまさに製法上の差異にあるわけであるから、番茶こそ庶民の日常の茶を表現するのにもっともふさわしい用語である。なによりも製法や形状に関係なく、地名を冠して何々の番茶といえば、すべての粗放な茶を包含できる。
そして、番茶を以下のように定義づける。
”自家用を目的に各地各様の伝統的製法によって作られる非商品としての茶”
ただし、茶の需要が高まる中で、周辺に販売されるようになった例も少なからずあるが製法は変わらない。
自家用を目的に各地各様の伝統的製法によって作られる非商品としての茶
広益国産考の大蔵永常によれば、江戸時代の農民は自家用茶を自ら栽培し、製造していた。桑原次郎右衛門がまとめた通り、日本各地には地域特有の嗜好があり、それらを反映して伝統的な製法で自家用茶が作られてきた。
その成り立ちに遡った時に「非商品=自家用」であり、「各地各様の伝統製法で作られている」ものは番茶であるという考え方である。商品であっても番茶製法であれば番茶となる為、以下のように言い直すことができる。
「自家用茶が起源の各地各様の伝統製法によりつくられる茶」
◎考察
現代では茶は買うものであり、自家用茶はほぼ消滅したと言って良い。それらを起源に販売目的に生産される番茶も減少傾向にある。
一方、茶業界にあっては番茶(刈番茶、秋冬番茶)はドリンク原料として生産が盛んで、下級煎茶を示す名称として完全に定着している。
また、一般的に番茶は古くから下級煎茶全般を指す言葉として定着している。
【番茶】 摘み残りの硬葉で製した品質の劣る煎茶。
下級煎茶として広く定着した「番茶」を、生産量が非常に少ない「伝統製法による番茶」の呼称として使用することは、私には現実的でないように感じられる。茶業界の内外問わずこれだけ浸透した言葉が、そっくりそのまま意味を置き換える事はありえないからだ。
また、各地に伝わる伝統製法ではなく、すでにある伝統製法を用いて、新たに番茶を製造する動きもある。
次回はこれらを総合して番茶の定義について最終的な考察を行う。
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