前回は日本茶業中央会の番茶の定義をスタート地点に、煎茶製法の番茶と伝統製法の番茶について考察した。
今回は様々な研究者の番茶の定義を年代順に並べ、全体を俯瞰する。
江戸時代以前
中村羊一郎氏によれば、文献上で「番茶」という語が最初に確認されるのは十五世紀になってからで、遅く摘んだと云う意味の「晩茶」の方が登場は古いという。
江戸時代
(1604年)日葡辞書
1604年にイエズス会の宣教師によって刊行された『日葡辞書』には”Bancha”の記載がある。内容から「番茶」であろうと推察される。現在の一般的な認識とさほど変わらない。
(1697年)農業全書/宮崎 安貞
茶経には5番摘みまであり、上中下のランクが分けられているが、茶とは一番摘みのことで、以降は品質が劣るため価値がないとしている。
番茶とは書かれていないが、自家用茶の製法として新芽から古葉までをすべて使った、煎じ茶(日干番茶)と唐茶(釜炒茶)の製法が記されている。
煎じ茶は茶の葉を茹でて殺青した後、冷水で冷やし、筵の上で少し乾かした後に揉捻するし乾燥させる。その際通しで粉を抜いて置くのも良い。茶はそのまま煎じて飲んでもよいが、一度焙炉で焙じると猶良い。これは近年まで続いてきた日干番茶の製法である。
前項には一番摘み茶を使った極上茶(蒸し製法)上茶(湯引き茶)の製法が書かれている。
(茶は毎日飲むものであるので)すこしでも茶を植える場所があるのなら植えて、上記のような茶を自作すべきと説いている。そうした土地がないのなら、本田畑(年貢のかかる田畑)に植えてでも茶を作れと言っている。茶を一度植えれば、滅多に枯れるものではないし、子々孫々にまで渡って茶を買わなくて済むということだ。これは自家用茶、伝統製法としての番茶の思想の根本的な部分である。
(1709年)農事遺書/鹿野小四郎
農事遺書は広く一般に向けて書かれた農書ではなく、鹿野小四郎が子孫に向けて書いた鹿野家門外不出の書である。
その為、番茶の記述も当時の番茶の一場面を伝えるものとして捉えるべきである。
摘む時期については、上質な茶をつくるなら春の土用前に摘むのが最も良いとしている。
しかし、上質な茶は量が少なく味が淡白であることから、次に番茶の製法も記している。この中に番茶といえども時期が晩くなりすぎると、色も赤くなり味も悪くなるとある。
総合すると、良い茶を作る方法はあるが、倹約的かつ持続性を考えれば、(子孫に向けては)味に目を瞑って晩く採る番茶を作るべきであるというように読める。
(1842年)広益国産考/大蔵永常
大蔵永常(1768-1861)は江戸時代の三大農学者の一人。
番茶の定義では無いが、「農民は自家用茶は自作すべき」という考えを述べ、刈り茶の製法を記している。以下はその冒頭部分である。
この刈り茶は日向国(宮崎県)では番茶と称し、自家用茶として飲むだけでなく、大阪に出荷もしていたとある。
一年一作で新茶前に茶株の根元から刈り取って茶にする。刈り取った茶は水で洗った後、枝ごと10cm程の長さに切り大鍋で煎る。水洗いしているため蒸したようになる。その後は揉捻と鍋での乾燥を繰り返して仕上げる。日干工程の無い釜炒り番茶である。
(1843年)駿国雑志/阿部正信
阿部正信は江戸後期の旗本で、文化14年(1817)に駿府加番として駿府に赴任した。駿国雑志は駿河国の地誌で、全49巻の大作である。
ここで紹介されている茶は蒸し製日干番茶で、(摘み方から)引こき茶と呼ばれていた。
大正時代
(大正11年)宇治茶の鑑別法/茶業社
(大正14年)茶飲みばなし/帝国農業新聞社 編
昭和時代
(昭和3年)嗜好から見た全國の番茶/桑原次郎右衛門
全国の番茶を8種類に分類
桑原次郎右衛門は農林省茶業試験場の研究者で、昭和3年に「嗜好からみた全国の番茶」で各地の番茶を製法で分類した。
下級茶としての番茶に加え、これまでとりあげられることのなかった各地の伝統製法による茶も含めた点でたいへん価値のある仕事であった。
まとめると以下8種類となる。このうち、米印を付けたものは現在主流となっている煎茶製法による番茶=下級茶としての番茶である。
1.釜炒番茶
2.蒸葉日干茶
3.蒸葉番茶 ※
4.醗酵番茶
5.手繰茶又は室製番茶
6.玉露川柳 ※
7.簸出し番茶 ※
8.ほうじ番茶 ※
桑原がこのように番茶を分類したのは、各地の茶に対する嗜好が番茶に現れていると考えたからだ。「是は茶の内地販路の拡張、或いは取引でも仕様とする場合の基礎となるもので、面白い事であると共に大切な事であると思ふ。」と述べている。
(昭和18年)諸国の土瓶/柳宗悦
茶の研究者ではないが、昭和初期の「番茶」の定義として柳宗悦の著書から引用する。
柳は番茶は「晩茶」とも書くが、番茶が妥当だとしている。それは「番」に普段遣いの意味があるからで、番茶が厳密な茶種を表す言葉ではなく「日常茶」という意味であったことを示している。
終戦:昭和20年
高度経済成長:
(昭和50年)地方茶の研究/橋本実
橋本実の「地方茶の研究」は、主に四国の伝統製法による番茶の調査記録である。
伝統製法でつくられる茶を、大量生産が可能な煎茶製法による番茶とは異なる茶として、「ふるさとの茶」「手づくりの茶」などと表現し、「地方茶」と云う言葉で総称している。
番茶とせず、地方茶として切り分けたのは、日本各地で伝統製法茶が失われていく危機感の現れだったと思われる。
しかし、その後「地方茶」という言葉が定着することはなかった。
(昭和58年)日本茶業発達史/大石貞夫
大石貞夫は1968年~1977年まで静岡県茶業試験場で場長を務めた人物で、著書「日本茶業発達史」の中で番茶を7つに分類し、これらを「地方茶」と総称し、下級茶としての番茶と明確に分けている。
地方茶という名称が適切であったかについては議論の余地があるが、伝統製法による番茶を製法に分け、ひとつの分類として捉えたことは大きな成果であった。
地方茶の分類
(1)陰干番茶(ぼてぼて茶)
(2)蒸葉日干茶(足助寒茶、美作番茶、木沢寒茶)
(3)煮製番茶(宮崎番茶、郡上茶、駿河青茶)
(4)釜炒日干茶(九州及び四国の一部)
(5)かたまり茶(香川県三豊郡)
(6)後発酵茶(碁石茶、阿波晩茶、上山番茶、土佐木頭、高仙寺番茶、バタバタ茶)
(7)蒸製番茶(京番茶、手繰茶)
平成時代
(平成12年)日本の晩茶 その種類と分布一/松下智
伝統製法による番茶を「晩茶」とし、以下のように定義している。製法は大蔵永常が記したものとほぼ同じである。
晩茶は「晩く摘んだ茶」という意味で、十分に生長し硬化した茶葉でつくられた茶である。
早摘みの茶に比べ品質は大きく劣るが、自生茶や畦畔茶においては、量を最大化するため必然的に晩茶となる。製茶方法は各地各様である。(現代でもドリンク向けの茶は摘採時期を意図的に遅らせ、収量を重視した生産が行われている。)
機械製茶による量産化とともに茶は買うものとなり、自家用茶としての晩茶は減少していった。自家用茶が作られていた時代においては、番茶と晩茶に大きな違いはなかったのだと思われる。
(平成16年)自家用茶の民俗/谷阪智佳子
伝統製法による番茶の中でも実際に自家用に生産されている「自家用茶」を対象に、西日本地域を中心に生産者に丹念な聞き取り調査を行い、豊富な事例を元に自家用茶の民俗の実態を明らかにしている。
あとがきには「特殊番茶」の名称で阿波晩茶、石鎚黒茶、足助寒茶などが紹介されている。
「特殊番茶」の定義は明確ではないが、特殊でない番茶=自家用釜炒り茶となっているので、伝統製法による番茶の中でも釜炒り以外の茶を指していると推測する。(自家用茶の事例として蒸製、煮製も存在しているので、必ずしも釜炒りに限定されるものでも無いように思われる。足助寒茶が特殊番茶とされるのは蒸製だからか、摘採時期が冬であるからか、商業ベースに乗っているからか判断がつかない)
自家用茶(非商品としての茶)という言葉で自家製の番茶を定義してきたが、釜炒り以外の伝統製法による番茶も自家用茶に含まれるのではないかということである。
(平成17年)番茶考/武田善行
「一般の番茶」と「もともとの番茶」に分けて説明している。「もともとの番茶」には以下のような共通した特徴があるという。
・原料は十分に成熟(硬化)した茶葉
・ほとんどの場合一度は日(太陽)に干す
※地域名が冠された「ほうじ番茶」や、糸魚川のバタバタ茶(後発酵ではないもの)、日干でない釜炒り番茶などがこれらの条件にあてはまらない。
(もともとの)番茶は基本的に自家用茶である。天日を利用するのは燃料を節約するためであり、葉が充分に大きくなる(硬化する)まで待つのは、少ない茶の木(畦畔茶、ヤマ茶)からの収量を最大化するためである。概念としての自家用茶を製法に落とし込んだのだと言える。
(平成20年)お茶ソムリエの日本茶教室/高宇政光
製法や原料で一概に分類できないが、日本各地に確かに存在する昔から大切に飲み継がれてきたお茶があり、それらを総称して番茶としている。
番茶とは製法を示すのではなく、茶としての「あり方」だということになる。
(平成27年)番茶と庶民喫茶史/中村羊一郎
現時点で最も体系的かつ客観的な番茶の定義が記されている。これまでの様々な番茶に関する文献や調査研究を総括し、茶の分類を以下のように提案している。
茶(緑茶)の分類
・碾茶
・煎茶
・番茶(上記以外の多様な粗放茶の総称)
この分類によると、煎茶製法による下級茶は番茶ではなく、煎茶となる。番茶については様々な製法が混在するが、阿波晩茶のように煮製後発酵茶などと呼ばなくても地名+番茶(晩茶)で、茶を特定することができる。
そして、番茶を以下のように定義づける。
自家用を目的に各地各様の伝統的製法によって作られる非商品としての茶
広益国産考の大蔵永常によれば、江戸時代の農民は自家用茶を自ら栽培し、製造していた。桑原次郎右衛門がまとめた通り、日本各地には地域特有の嗜好があり、それらを反映して伝統的な製法で自家用茶が作られてきた。
その成り立ちに遡った時に「非商品=自家用」であり、「各地各様の伝統製法で作られている」ものは番茶であるという考え方である。商品であっても番茶製法であれば番茶となる為、以下のように言い直すことができる。
「自家用茶が起源の各地各様の伝統製法によりつくられる茶」
◎考察
現代では茶は買うものであり、自家用茶はほぼ消滅したと言って良い。それらを起源に販売目的に生産される番茶も減少傾向にある。
一方、茶業界にあっては番茶(刈番茶、秋冬番茶)はドリンク原料として生産が盛んで、下級煎茶を示す名称として完全に定着している。
また、一般的に番茶は古くから下級煎茶全般を指す言葉として定着している。
下級煎茶として広く定着した「番茶」を、生産量が非常に少ない「伝統製法による番茶」の呼称として使用することは、私には現実的でないように感じられる。茶業界の内外問わずこれだけ浸透した言葉が、そっくりそのまま意味を置き換える事はありえないからだ。
また、各地に伝わる伝統製法ではなく、すでにある伝統製法を用いて、新たに番茶を製造する動きもある。
次回はこれらを総合して番茶の定義について最終的な考察を行う。