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どこかで思考を止めることの大切さ

こんにちは。ヤブハニです。
最近、チェーンソーマンという漫画を読んで面白いと思っていました。あーゆう王道モノに男はいつまでも弱いですね。

さて、今日は思考を止めることの大切さについて書いていきます。先日、知り合いにもらった『愛の思想史』と言う本を読み感じたことです。

思考を止めることとか言っていますが、個人的には、どこまでも考えることが好きです。しかし、考えても分からないことも世の中にはたくさんあります。

こうした事実の中、どこかで割り切ることがある意味大切かもしれないという感想を抱かせてくれたのが『愛の思想史』です。西洋哲学の観点から愛を深掘りした本です。

本に書いてある内容にも触れながら話を展開していきます。

全員、神から愛されている・・・らしい

愛とは何なのか。

愛とは、好きなんでしょうか。いとおしいと思うことなのでしょうか。はたまた全然別の概念なのでしょうか。

急にどうしたんだろうって感じですが、このテーマを西洋哲学の観点から掘り下げたのが『愛の思想史』と言う本です。

いきなり結論ですが、この本では「自分を愛し大切にすることが、他人への愛を産み、結果的に世の中が、幸せになる。」という主旨のことが書いてあります。これは、キリスト教を前提とした西洋哲学が行き着いた答えです。自分を愛することが他者への愛の発端となっているところがポイントです。

この話全体としては、納得感はそれなりにあると思います。「自分の心のコップからあふれた水でしか、他人の心のコップを満たせない」と言う言葉もあるように、一般的感覚でも受け入れられます。

それでは、そもそもなぜ自分を愛することができるのでしょうか。「自分なんて・・・」と思っている人からすると、愛せるわけないという感覚はあるのではないでしょうか。

西洋哲学では、その理由を「神が我々に無償の愛を与えてくれるから」としています。正直、急に神かよという感じです。話終了じゃんという感じがします。

しかし、逆に考えてみるとこのロジックの先に神以外の何か別物を置くと議論が収束しない気もします。例えば、人間には自分を愛する性質があるからとか言われてもあまりしっくりこないですよね。

だからこそ、ここに神を持ち出し、議論を終了させる潔さに宗教の存在意義と幸せに生きるコツを感じました。

愛なんていくら語っても答えはない

キリスト教を前提にした西洋哲学では、全てが神によって説明されます。

一方で、その他の世界で「愛とは〇〇だ!」と世の誰もが納得いくような共通解は世の中に存在するのでしょうか。個人的には、存在しないのではないかと思います。

愛という言葉は抽象的過ぎて定義が分かれるのが主な理由だと思います。
「愛とは〇〇だ!」を語ろうと思った時に、愛を「相手を大切にしたいと思うこと」と定義するか、「相手を受け入れること」と定義するのでは、答えは変わってきます。

このように定義によって答えが変わると思っています。世の中には、沢山定義によって答えが変わる概念があります。

このような定義揺れする言葉たちを延々と議論しても答えは出ず、すれ違っているように感じるはずです。もし、答えを出すことを前提にするなら、どこかで定義をし、それを絶対的な前提としておく必要があります。

幸せに生きるには、最後は思考停止して、行動するしかない

今回触れている『愛の思想史』は、キリスト教を前提にした西洋哲学を扱った本です。キリスト教を前提とした世界では、神の存在を前提として神で全てを説明します。

この「神が絶対」というところに、宗教の存在意義の1つをわたしは感じました。つまり、神がそうだと言えば、すべてそうなのです。

この一見、論理も無く、傍若無人に見える前提ですが、余計な議論を産まないというメリットがあります。

例えば、「愛とは何か」という問いに対して、唯一絶対の解はないです。この問いに対して、議論し、答えを出そうとしてもおそらく延々に答えは出ないことが想定されます。お互いに納得できず喧嘩が始まり、はたまた戦争に発展するかもしれません。

しかしながら、神の存在を前提とした瞬間に神が言うことが、「愛とは何か」という問いの唯一絶対解になります。

よって、「愛とは何か」という議論の中で、喧嘩となり、戦争になるという幸せに生きることから遠ざかる事象が起きなくなります。

ある意味、考えても仕方ないことを考える必要がなくなり、今すべきことに集中して行動をすることができるようになります。行動ができるようになると、人生が開ける可能性ができます。

つまり、宗教は潔いくらい傍若無人な前提を置くことで、人々を思考停止させ、今すべきことに集中させ、行動を促すものということができます。

結局、行動をしないと現実は変わらないという原理原則を徹底させるためのものなのかもしれないです。

まとめ

今日は思考停止して、行動することの大切さを書いてみました。

この話は、日常の仕事などにも通ずる部分があると思います。例えば、上長の指示に疑問を持って、あれやこれや理由付けて動かないなどもこれに当たります。

上司の指示に、従わないことにあまりメリットがないと考えられます。そのため、一定思考停止をして、実施することは大切なのではないでしょうか。

一方で、まったく何も考えなくなることも問題ではあります。結局世の中は全てバランスと言ってしまえば、それまでです。しかしながら、一定深く考えて、その上で最後は行動するということが結局大切かもしれないです。

行動がないところで人生は何も変わりません。

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