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『御伽の国のみくる』を読んで

こんにちは。
ヤブハニです。
55個目の記事です。

最近、結婚の準備をしています。
式場決めたり、顔合わせしたり、やること多いですね。

さて、今月も書いてみます。
今月は1テーマで行きます。

大好きなBiSHのメンバーの1人であるモモコグミカンパニーさんが、『御伽の国のみくる』という小説を出版しました。そして、初回購入限定特典に、なんと感想はがきを送るとモモコさんから返事がくるという素晴らしい特典が。。。

そのはがきに書く内容を練るにあたってブログに感想を書いてみようと思います。ネタバレがあると思うので、未読で内容知りたくない方は読まないでください。

去勢される過程の心の動き

この小説では、1人の女性が去勢され、成長していく姿が描かれていた。
ここで言う去勢とは、ペニスを切り落とすことではなく、心理学でいうところの「万能であることをあきらめること」と言う意味だ。

誰しもが、一度は「自分は特別である」「人とは違う」そう思ったことはあると思う。しかしながら、成長の過程で自分が成せることの限界を感じていく。人と違う特別な存在であると思っていた自分がそうでもないのではないかという不安にさいなまれる。

万能であるはずの自分が、現実を理想通りに、生きていけていないことに葛藤する。自分が特別であることを証明するために、人や自分を傷つける。傷つけた末に、去勢された人間から救いの手を差し伸べられ、いつしかそんな自分を受け入れ前を向いて生きていく。

御伽の国みくるでは、このまさに去勢される前の葛藤の時期にある登場人物たちを描いている。1人1人の登場人物にどこか共感してしまう。けど、そうした行動を取ってもうまく行かないよとアドバイスしたくなるような作品であった。

翔也は一番分かり易く去勢されていない

多くの登場人物が去勢されていない中でも、群を抜いていたのが翔也だった。主人公の友美の一応彼氏だ。

翔也は、バンドマンとして売れることを目指しながら、売れていないという現実に葛藤していた。「この俺が、売れない訳ない」「人とは違うはずだ。」「他の奴が音楽を分かってなさすぎる」そんな声が聞こえてきそうだった。(描写はされていないが。)

そのバンドマンとして売れているという理想的な自分と、売れていないという現実の自分のGAPを埋めるために友美にマウントを取っていた。

「おれみたいな完璧な男がこんな女を従わせることができるに決まっている。」この妄想を証明するために、友美にひどいことをする。中でも際立ったのが、100万円を要求するシーンだ。その上、レイプまがいのことまでした。

こうした仕打ちまでも受け入れようとする友美を見て、自分の自己肯定感、万能感を高めていた。まさに、去勢されていない状態だ。

しかしながら、不思議なのがどこか翔也の気持ちもわかるところだ。
「自分は、もっとできるはずだ。」「こんなところで終わらない」「せめてあいつよりは、うまく行っている。ざまあみろ」

思春期の頃、斜に構えて物事を観ていた自分には、痛いほど気持ちが分かった。
好きでいてくれる女性を好きになれなかったのもその一環である気がする。

翔也みたいにひどいことをした記憶はないものの、心の動き、そこから人に対してマウントを取ることで自分を保とうとする気持ち。この辺りは、何だか読んでいてとても恥ずかしい気持ちになった。

モモコさんの表現力に感服です。

麻由子は、万能なはずの自分とのGAPに苦しんでいた

麻由子は、容姿が端麗なキャラクターであった。
友美(=みくる)が所属していためいぷるでもNo.1のメイド喫茶であった。

そうした事実もあり、彼女は自分に自信があったはずだ。完璧だと信じていたはずだ。

しかしながら、彼女は、彼氏である圭との関係性において自分が万能でないことを知る。
容姿が端麗で、一流企業に勤めている圭は、まさに周りがうらやむような完璧な彼氏だ。しかしながら、彼は、彼女に対して「麻由子」ではなく、めいぷるのメイド喫茶「リリア」でいることを求める。

潔癖な彼は、麻由子と性的な関係も持てなかったという。

麻由子は、そんな状況に絶望した。完璧なはずの自分が、受け入れられないという現実。そうして、友美を傷つけることになる。

自分の万能感を確かめるために、友美を傷つけるのだ。私が、どこか抱けない男なんているはずないという想いのもと、翔也と関係を持ってしまう。

しかしこれが、自己承認であった。「やはり、私は万能なんだ。」
周りを傷つけながら、何とか自分の居場所を見つけようと必死に生きていた。

圭だけは、異質な存在であった

圭は、去勢云々ではなく異常者であった。
潔癖すぎる彼は、女性に関しても潔癖であった。

普通の女性が受け入れられないのだ。そうした中、メイプルでリリア=麻由子に出会った。
圭は、リリアを「完璧なお人形のような存在」として捉えた。

しかし、付き合ってみると麻由子は、当たり前だが人形ではなく1人の人間であった。
トイレにも行くし、裸になれば下の毛も生えている。

そんな彼女にメイプルのリリアでいることを無理やり求めようとする。
ありのままの麻由子を受け入れることができず、リリアとして無理やりとどめようとしていた。

ありのままの現実が受け入れられないという圭は、多くの人の気持ちのオマージュだったのではないかと思う。現実をありのまま受け入れる度量がなく、無理やり現実を捻じ曲げようとする経験は誰にでもあると思う。

そういった意味では、「現実は全て自分の思い通りになる」という万能感に圭も憑りつかれているのかもしれない。

友美は、去勢されるところまで描かれていた

主人公である友美は、アイドルとして売れている理想の自分と現実とのギャップに苦しんでいた。現実では、アイドルのオーディションには受からず、メイド喫茶メイプルで売れないメイドとしてアルバイトをしていた。

このギャップを埋めるために、翔也に執着し、翔也の言うことを何でも聞いて翔也が帰ってくるということをだけで自己肯定をしていた。本当にアイドルとして売れるのかどうか、そんな不安を持ちながら日々を過ごしていた。

友美は、最後、残酷な現実に耐え切れなくなる爆発する。人を物理的に傷付けようとする。その段階になって、ひろやんが友美を助ける。

友美は、ようやく自分がありのままで良いんだということに気づき、物語は終了していく。

自分がありのままで良いということに気づき、それを受け入れることができた友美はまさに去勢されたと思う。なりたい自分とのGAPに苦しみながらも、現実を受け入れ、それでいいんだと友美は思うことができた。

そして、これには、ひろやんという存在、彼女のことをありのままでいいと認めてくれる存在が大きい。この存在に、気づけたときにようやく何も万能である必要はないんだと人は気づく。

この小説は、モモコさんの葛藤の歴史なのか

全体を通して、この小説はモモコさんの葛藤の歴史なのかとファンとしては邪推をしてしまった。

主人公の友美は、背が高く少し太めの女の子という設定だ。モモコさんと真逆。これは、これで体型に対するコンプレックスの表れなのかと思った。自分の体形という変えられない事実をどう受け入れ、前に進むか葛藤したのだろうか。

モモコさんも、自分なりの理想のアイドル像があったのだろうか。その状態を目指すけど、なることができない。そんなギャップに苦しんでいた時に、それでも応援する清掃員を見て、「あ、私清掃員に救われている」と思い、前向きになったのだろうか。

清掃員としては、多くのことを妄想させる小説だった。

BiSHのファンとしても楽しめたし、1人の読者として自分と重ね合わせながら読める本だった。

最後に

皆、現実を受け入れそれでも前を向いて生きていこうとすることで本当に大切なものに気づいていくのだと思う。

しかしながら、1つだけ去勢に対しては疑問に思うところがある。去勢することが本当にいいことなのか。私は、世の中を変えているのは去勢されていない人間だと思う。

世界を変えるサービスを出すような起業家は去勢されているだろうか。総理大臣になって国を変えようと思う人が、果たして去勢されていると言っていいのだろうか。

あまり突っ張りすぎても人を傷つけることもある。しかし、去勢されていない自分をどこかに持っておくことも大切なのではないだろうか。そのような自分が個性となり、自分のやりたいことをやる原動力となり世界を切り開いていく。

自分は、万能でないと理解しつつも、自分の中の尖った気持ちは守ることこれが自分らしく生きていくことではないのかなと感じる。

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読書感想文的なものは初めて書きました。
にしてもいい小説でした。

BiSH解散後になりそうな二作目にも期待です。


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