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双極性障害と診断され10年間寝たきりだったおばと、目を逸らし続けた僕の話

我が子のように可愛がってくれたおばさん 

これは僕と、おばのミーちゃんの話です。

ミーちゃんは父の弟の奥さんで、僕とは血は繋がっていません。若いころに婦人科系の病気をしており、子どもはいません。

けれど子どもは大好きなようで、小さいころから家に遊びに行くと

「よくきてくれたね!!」
と、大きな声で歓迎してくれました。

ことあるごとに嬉しそうに
「生まれた時からオムツをかえてあげたのよ」と話してくれ、

小学校の時は運動会のたびにお弁当を作ってきてくれました。

やたら巨大なタコさんウインナーが入ったお弁当は、豪快で明るいミーちゃんをよく表していました。

そんな優しくて面倒見の良いミーちゃんは、
2011年に双極性障害と診断されました。

診断のきっかけと経緯

きっかけは2009年、祖母の物忘れが増え、認知症と言われたことでした。祖母の世話は、義理の娘にあたるミーちゃんが中心となって行いました。

認知症は、一番近くにいて世話をしてくれる人に、強くあたることが多いと言われています。
祖母も、次第にミーちゃんにあたるようになりました。

「財布がない! あんた盗んだんでしょ!」
「あの子はダメね。私の分だけ料理作ってくれないの」

祖母からの言葉を、真面目なミーちゃんは受け流すことができなかったのだと思います。

ついに祖母が高齢者施設に入ることが決まったころには、ミーちゃんは疲れ切っていました。

そしてミーちゃんが精神科で薬をもらうようになったころには、僕は大学のため上京し、連絡を取ることは少なくなっていました。

僕が東京での大学生活に慣れかけたある時、
ミーちゃんから突然、電話がかかってきました。

「ずっと頑張ってきたけど、もう無理なの」

電話口で泣きながら話し、疲れ果てた様子でした。

かと思えば、別の日にはこんな電話がかかってきました。

「ちょっと聞いてくれる!?」
「この前の夏祭りでは、若い子たちに囲まれて歩いたのよ!」
「警察でもなんでもかかってこいって感じよ!!」

その後、ミーちゃんはうつ病ではなく、双極性障害と診断されました。双極性障害とは、落ち込み(うつ)と、ハッピー(躁)が極端に現れる病気です。

うつの時は、ベッドから起き上がれず1日を過ごし、躁の時は1日3時間程度しか寝なくても元気に活動できるようになります。

受診した病院では気分を落ち着かせるために強い薬が出されたようで、1日中布団で寝たきりの時間が増えました。

無意識に関わることを避けた10年間

ミーちゃんと会う機会は1年に1回、お正月だけになりました。

新年の挨拶に行くのですが、多くは寝たきりで、寝室から出てこられないこともありました。

調子がいい時はお年玉を手渡すために布団からゆっくりと出てきてくれ、

「いつもありがとうね」
「これからも元気でいてね」
「生まれてきてくれてありがとう」

と痩せた体で言ってくれました。

けれど、そんな時にも何故か気まずく、
僕はミーちゃんの顔をちゃんと見ることができませんでした。

いま思えば、何とかしてあげたい一方で、力になれない無力感から目を逸らしたかったのだと思います。

その後、僕は医学部に入り、医者になりました。

しかし、だからといってミーちゃんの病状について調べたりすることもなく、何となく関わらないようにしていました。

「せっかく医者になったんだから、ミーちゃんの病気について調べてみれば?」

と頭をよぎったことは何度もありましたが、特に行動を起こすこともなく、そのままにしていました。

そうして、僕からはほとんど話さないままに、10年が過ぎました。

僕は大学を卒業し、研修を終え、正式に医師として、メンタルクリニックで働き始めました。

はじめて自分から話を聞いてみた

2022年1月1日、例年のように正月の挨拶に行きました。

いつものように、少し顔を見せて、そのまま帰ってくるつもりでした。

家に着くと、ミーちゃんは布団に横になっていましたが、ゆっくりと起き上がって挨拶に来てくれました。

そして今年も
「いつもありがとうね。これからも元気でいてね」と言ってくれました。

これまでなら、
「ありがとう。ミーちゃんもね」
で済ませていたと思います。

今回もそのまま会話を終わらせようか迷いましたが、思い切って聞いてみました。

「最近の調子はどう?よく寝れてる?」

すると、ミーちゃんはポツポツと近況を話してくれました。

最近の体調について話を聞いて、生活習慣について少しのアドバイスをして、その日は家を後にしました。

数日後、体調が少し良くなったとLINEで報告がありました。

そして、「少し電話できない?」とメッセージが届きました。

その瞬間、なぜか僕の脳内では否定的な感情がパッと浮かびました。

「電話したら長い時間取られるよな」
「感情的に話されたら困るしな」
「どんどん依存関係になって、毎日のように連絡が来たらどうしよう」

いま思えばここでも「自分では力になれないのではないか」という不安があり、目を逸らすために断る理由を探していたのだと思います。

けれど、

「まあ1回、電話するだけしてみて、その後のことはまた考えよう」

なぜかそんな気になり、思い切って「大丈夫だよ」と返事をしました。

電話では、認知症の祖母のために身を削って尽くした話や、4週間に1回の電気療法は効果があるけど怖くてたまらないという話を聞きました。

どれも、これまでに聞いたことのある話でしたが、
「ミーちゃんの気持ちをちゃんと理解しよう」
と思って聞いたのは初めてのことでした。

電話する前は、電話すること自体がおっくうだったのですが、話を聞いている中で、生活習慣へのアドバイスや思考パターンの整理など、

「もしかしたら自分にもできることがあるかも?」

という気持ちになっていました。

むしろ、自分と彼女の信頼関係があるからこそ、薬で治療をする主治医の先生とは違った角度から、力になれるかもしれないと感じました。

そして、一歩、進んだ提案をしてみました。

二人三脚の日々とそこで起きた変化

まずは2週間に1回、1時間の電話をすることにしました。

・夜に深い眠りに入れるように、昼寝は30分までにしよう
・不安に襲われた時には、この本に書いてある方法を試してみよう
・気分の波は睡眠の乱れと連動してるかも。睡眠リズムをできるだけ一定にしよう
・甘いものが食べたくなったら、代わりにタンパク質の多いものにしてみよう
・忙しくしすぎないように、15時に豆乳タイムをとるようにしてみよう

ミーちゃんは、ゆっくりですが、安定していきました。

少しずつ、少しずつ変化を加え、寝たきりの状態から8ヶ月後には、

朝起きて散歩をし、朝ごはんを作って夫を仕事に見送り、日中は家事や読書をして、夕飯の準備をして夫を待つ。

そんな規則正しい生活ができるようになってきました。

彼女は「ここ10年の中で一番調子がいい」と話しており、一緒に住んでいる夫からもそのように見えているようでした。

そしていつの間にか、2週に1回のミーちゃんとの会話は、僕にとっても楽しみな時間になっていました。

最近では、病気のことについて話すよりも、雑談をする割合が増えてきています。

やる前には絶対に見えなかった3つのこと

「こんなことなら、もっと早く話を聞いていればよかったな」

それが率直な感想でした。

もし今回のことから学んだことが3つあるとすれば、

①関心がないフリをしていたのは、自分が無力だと思いたくないから

生まれた時から自分のことを大切に想ってくれていることを知っていながら、10年という長い間、その人が辛い状態にあっても見て見ぬふりをしていました。

見て見ぬふりをしていた理由はおそらく、力になれないことを直視するのが怖かったからだと思います。

もし本気で向き合ってみてそれでも無理だった場合、

「自分は力になれないんだ、自分では役に立てないんだ」
と無力を思い知ることになります。

けれど、向き合わないままでいれば、

「自分は無力じゃない!まだ可能性を残している!」

と思うことができます。

「まだ知識が十分じゃないし」
「自分も時間に余裕があるワケじゃないし」
「中途半端で間違っていることを言うワケにはいかないし」

向き合わないための言い訳は、山のように出てきました。

けれど実際は、順番が逆でした。

②何が相手のためになるかは、関わる中で見えてくる

自分では役に立てないかもしれない。

そう思い、長年関わりを避けていましたが、
実際には、どうやって役に立てるかは、関わった後にしかわかりませんでした。

今回であれば、
「病気や薬の詳しい知識がないと力になれない」とずっと思い込んでいました。

しかし、実際に必要だったのは、よく話を聞いて、生活習慣を1つずつ整えていくことでした。

それに、「この人の力になりたい」と思って接していると、
必要なことを自然と勉強するようになり、知識は後から身についていきました。

また、自分との関わりの中で元気になっていく彼女の姿を見て、
特別な事をしなくても、相手に精一杯の関心を向けて理解しようとすること自体が、
何かしら価値のあることなのではないかと感じました。

③自分の思考と行動は一致していないことがある

以前から、おばには感謝していましたし、
「あなたにとって大切な人を挙げてください」と言われたら
確実におばの名前を出していたと思います。

その一方で、学業や仕事の忙しさを言い訳にして、長いあいだ何も行動してきませんでした。

大切に想っているからといって、
そこに十分な時間を使っているとは限らないのだと気がつきました。

そんな不一致はきっと他にもたくさんあって、
きっとこのままいけば、死ぬ前に後悔するのだろうと思います。

自分にとって重要なものを整理した上で
重要なものから順番に時間とエネルギーを使っていきたい。
そう思いました。

あの時、一歩踏み出してみて

「彼女のために、自分にできることはあるかな?」という自問に、
確信はないけどYesと言ってみたところから、
予想以上に早いスピードで状況は変化してきました。

僕が生まれた時から大切に育ててくれ、
自分の体調が悪くても大切に想ってくれた人に対して

それを分かっていながら、
気づかないフリをし続けたことに今回やっと気がつきました。

あのお正月、毎年と同じように自分の気持ちをごまかしていたら、
今でも見て見ぬフリをしていたかもな、と思います。

初めは自分に何ができるのかわかりませんでしたが、
実際には、話を聞いてみるところから選択肢が見えてきました。

反対に、
ゴールまでの道筋が最初から見えることは絶対にない、
と思っておいた方がいいのかもしれません。

「能力があるから人を助けるのではなく
人を助けようとするから能力を授かる」

という考え方を、これからも体験を通して、自分に染み込ませていきたいと思います。

今後も、ミーちゃんの体調には波があると思います。

また落ち込みが強くなって寝込むこともあるかもしれません。

けれど、もしそうなった場合にも、
今後も変わらず関わっていきたいと感じている自分に、以前との変化を感じます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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