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自分のことしか考えていないひとばかり。


倫理観の企画参加します☆



#哲学問題私の答え  

AとBはどちらも、自分が利を得ようという卑怯な考えしか持っていなかった。

Aは、故意かどうか分からないが、自分のことを"信じていないのか"とBに強く聞いた。
それは、Bには脅しのようなものだった。復讐に意味を見出してはいなかったが、Aとの関係が壊れることを危惧して加担することを選んだ。

後の、Bの復讐計画に対するAの態度は一貫していた。Bとの関係が崩れることになっても復讐には加担しないということは、Aが以前、Bの良心を利用して加担させたのは故意であったといっても良いだろう。

良心を利用する者と、良心を見せて自分の立場を守ることしか頭にない者。
道理を利用する者と、正しさを見せて自分の立場を守ることしか頭にない者。

結局、どちらも自分のことしか考えていない。

この問題の中で、誰一人一度も、相手のために復讐を止めようという人はいない。
復讐をすることに消極的なのは、自分の立場のためだ。

自分の立場のことしか考えていない者たちが、倫理をわきまえているとは言い難い。


ここで倫理的であるというのは、相手との関係を壊してでも復讐を止めるために手を打つことだ。


周りに復讐を止めてくれる人がいなかったBは、倫理観を育む環境に恵まれなかった。それはBだけのせいじゃないだろう。
AがBの復讐に加担しなかったのは、Aのために復讐を止めようとしなかったBを情けなく思っていたかもしれない。もともと良心を利用した時点で下に見ていた。Bの復讐を止める義理はなかった。

AとBの関係は、薄っぺらい。薄っぺらい関係なのに復讐を計画し合う。

卑怯というより、相手を利用し合うことでしか関わる術を知らない。
それに長けているのはA、利用されてばかりなのはB。

力の差がありすぎて復讐を止めることができない相手なら、利用されるかされないかの中にいて、相手を利用するか無難な道を選ぶしかない現実もある。それは合理的という。

結論。この問題のAとBに倫理的な部分は一つもない。







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