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終わりと始まり。


なつきです。
今日も読んでくれてありがとう。


今、こうしてnoteに記事を書いている私は


このnoteを始めようと決意した時の私と全く同じ気持ちにはなれません。


ほとんど別人のようです。




思い返せば、確かに私の仕業だな。という記憶があって

そうそう、あの時は私のうちから湧き出てくる気持ちを言葉にするのに何日も取り憑かれたようになっていた。


くらいは思い出すんだけど、


それが3日前の私であっても懐かしい。


なぜか先祖を敬うような気持ちになる。


あの瞬間しか存在しなかった私。


もうここにはいない私。


先立って咲いて枯れていった私。


未来にいる私はいつも、過去の自分のせいで今ここにいると人は言う。


それなら、今の私は未来の私のいく末を握っているのだろうか?


いや、それもなんだか違う気がする。


今の私にできることは本当に少ない。


私は大きく広がった帯の上を後ろ向きに歩いている。

目前には、今までその上を歩いてきた帯がだんだんと細くなりながら続いている。


一番向こう、帯の始まりはただ1点。


後ろ向きに歩いているというのは、もしかすると錯覚なのかもしれない。


だんだんと細くなっていく帯の向こうは私の終わりで、


私の背後に広がる無数の漠然とした何かの中に私の始まりがあるのかもしれない。


私は後ろ向きに歩き踏みしめながら、それを思い出しているのかもしれない。


死は始まりで、産まれてきた日が終わりなのかもしれない。


そうだったらいいな。


私の終わりはもう決まっていて、馴染みのある景色や無我夢中になった記憶がそこにはたくさんある。


どんな始まり方をしていたとしても、終わり方が変わることはないんだ。


私は今、終わりを予言しているのではないかな。


こうして終わりに向かって想いを馳せると、それはだんだんと確実になっていく。


今、何をするかどこを踏みしめるか私は決めることができる。


それなら、終わりの私を最高に愛おしく誇らしく思えるような始まりを選びたい。


私は、私の終わりに向かって着実に歩んでいるのだ。


後悔や間違いなどはない。


過去にいる私が何をしでかしていようとも、その理由を作るのは今の私なのだ。


今の私が過去に想いを馳せたり、言葉に綴ったりすることで予言をすると、過去の私は色鮮やかに現実になる。


過去の私はこれからも増えていく。


それをいかに愛おしいとする未来を選び、愛おしいと感じる今を踏みしめる。


そして今の私がどんなことをしでかそうとも


未来の私はきっと、今日の私を愛おしいと思う理由を見つけてくれているだろう。


死ぬ時は無償の愛が目一杯で始まるんだ。


懐かしい景色が待っている終わりに向けて愛を使い果たして、


終わったら無に帰る。


私の終わりは決まっている。


始まりに無茶な幻想は抱かない。


終わりが終わりである理由を探すだけ。

なつき♡






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