アニメから思う王様ランキングについて

王様ランキングについて

ざっくりアニメの王様ランキングがどんな話か記載すると

個人最強の力を持つ王の第一王子だが身体的に不遇で、期待もされず見下されていた心優しい少年が理解者を得。才能を伸ばしてくれる師匠に出会い、チート級の強さを手に入れ母国が滅びるのを防ぎ、その優しさで犯人達も救済した話。

ではあるが、この作品の魅力は伝えられていないと思う方は多いだろうと思う。このnoteは、王様ランキングが高評価される理由をアニメの演出から感じ取った感想と考察である。基本的に作品を絶賛する記事や動画が多く、あまり好意的でないものもオブラートに包んだ抽象的で、どうして好意的でないのか?好みでない理由は何なのか?を私個人の見解とアニメの凄さを記述しています。

王様ランキング
原作のある作品のアニメ化として大成功・大正解な映像化だと思う。アニメ化する際、作品の全てを取りこぼしなく選択することは難しい、しかし作品の肝を取りこぼさず、映像化することで作品の魅力を増幅させているアニメ化作品はとても優れている。

さて、王様ランキングの魅力=肝とはなにか?
長じて 作品を好き・嫌い、合う・合わない そのポイントはどこか?

それは、主人公であるボッジそして主要登場人物を強烈に好きになれるかである。ただの好きではない、全肯定bot級の好感度・同情心である。全幅の肯定・許容ができなければ王様ランキングは楽しめない作品である。では、できない人達がどうしてなのか?
それは、主要人物がどこまで行っても私人感情のみで行動しているから。

下記引用

『王様ランキング』は、清々しいほど自分の気持ちに素直な人達の物語だったのです。

引用元様 https://anime.toki23.com/osama-ranking-ep23

基本的にボッジは優しく自己犠牲的で善良なキャラである。
偉大な王になりたい、それが彼の行動原理であるが彼のいう王=強い以外の具体性はなく、彼の行動はあくまでも私人であるボッジ少年の思考からでしかない。
私人、個人間での問題の終着として赦すということは寛大さであり、慈悲である。その判断に感動し同調賞賛しても問題はない。
…しかし彼らは国の王族であり国の中枢たちである。
第三者・国民・他国を巻き込んだ問題の犯人は裁かれなければならない。
でなければ、その国は法が効力を持たない独裁国であり、無法地帯と大差ないのではないか?この問いをボッジ達王族たちに存在しないかのようなストーリー展開であることが大きいのではないかと思う。こういう、アレちょっとおかしくない??という問題はボッジ達への好感度が高ければ気にならないようである。なぜだろう?と思いアニメをじっくり視聴してみた。

結果アニメは、好感・同情心をえげつなく生理的に湧き立たせるような演出が凄い。表情・音響・声優の演技その他諸々を以て、くどいほどに描写されているのが王様ランキングだと思う。実際私もぼんやり話半分に視聴していたときすら、なぜか話の詳細は把握していないのに泣き顔シーンで、涙が出てしまったことも度々あった。

なぜ王様ランキングはキャラクターに感情を同調させることに力を入れてるのか?ミラーリングの心理を利用するためではないかと思う。
”自分と似た人、または似たもの似た行動に対して好感を抱きやすい”という人間の心理を逆手に取り、キャラの感情に同調させ、キャラへの好感度を高めている。また原作ではここまで尺長くない一コマであっても、アニメは泣きのシーンや苦悩のシーンを基本分かりやすく結構な尺を使って演出している。
泣くという行為自体、ストレスを減少させ副交感神経を優位にしリラックス効果もある。つまり、王様ランキングはファンにとって気持ちよくさせてくれる作品なのである。
ここが肝=魅力なのである、そのためにアニメは全力で泣かせにようと、クドいぐらいに表現と演出しているのだ。

そして、主人公であるボッジも判官贔屓精神を奮い立たせ引き付けるキャラであり、さらに善良に振り切っており、幼い子供への生理的な庇護欲を掻き立てる容姿なので一層好感を持ちやすく、あまり思考を描かれないため同調しやすいキャラと思われる。

私のアニメに対しての感想は、上質な映像化(OPED、実写映画を彷彿とさせる環境光やカメラワーク、アニメならではのコミカル表現やアクションシーン、細かな動きの繊細さ、音楽、声優さんの演技、配役も隙が無い)過ぎて期待値が上がりすぎたため、ストーリーに対して不満が残るものの、作品への理解とそれを実行できる技術と知識とセンス。アニメ制作陣スゲェ…という感嘆が大きく占める。

とは言っても王様ランキングのファンに成れなかった人達の思う、この作品の問題点・ストーリーの粗とも言えるものを制作陣の方々も理解しているんだろうなと私が感じた演出があった。

この作品のキャラ達の泣くシーンは基本的にとても分かりやすく直感的に理解させるように表現されている。原作もそうであるからという意見もあるだろうが、1シーンだけ原作と異なる表現で察する余白を残した泣き顔の演出がされているのだ。
ep16、サトゥン王戦争時の傭兵に慰み者にされたギガンテスの幼子を殺した後のデスパーの発言からのデスハーの泣き顔は、原作では表情まで描かれているがアニメでは顔の下半分と零れた雫という、このアニメでは珍しく直接的ではない、抑制した泣きのシーンの描き方である。

ここに、デスハー王を安易なお涙頂戴で描くものかという意思を感じる。

デスハー王、王様ランキングのファンに成れない人ほど好きだろうキャラであり、作中最も理想的な王であり公人=王としての振舞い。ギガンテス達への己の判断にて認めたサトゥン王と同様の非道への責任から逃げず、また非道であるという認識も持ち、私を恨めと受け止め。罪人ギガンをボッジの仲間だからという安易な理由で釈放せず、しかしただの罪人として切り捨てるのでなく、騎士団への入隊という労働にて国への贖罪を行わせ、かつてのオウケンの言葉のように民として受け入れようとする。
原作13巻でも、弟を救いたいという個人的な欲ですら、己以外を巻き込まないように配慮して実行するという。力・統率力・質素・勤勉・人望を備え、慈悲の心、しかし必要ならば悪をもなすことができる出来た王。彼は基本ボッジに同調しない、公人として判断し行動するという異色のキャラ、他が描かれていないだけかもしれませんが、ボッジの国のキャラ達と比べ公人として人間が出来ている=同類ではない。アニメはデスハー王と他との演出の差別化は意識的に行われている。
制作陣は王様ランキングの肝を理解し、最大限に魅力的に表現しながらも作品を全肯定しているわけではなく、ストーリーを壊すわけでもなく、秘めることで表現しているような気がする。あえて表現しようとしたのではないかもしれませんが、しないという表現を選択した理由に、ストーリーの粗を理解し、良識も持ち合わせているのだという証左ではなかろうかと思う。

アンチコメでよく使われる言葉に感動ポルノという言葉がありますが、本来の意味というよりも字面のままに、
ポルノ「人間の生理・心理的性的興奮、抜けることを主目的とし、こまけぇことはいいんだよ!な娯楽作品」という認識からの発想で
「人間の生理・心理的効果をふんだんに用いて感動・泣けることを主目的とし、こまけぇことはいいんだよ!な娯楽作品」として王様ランキングに使用されてるのではないかと私はアンチコメを読んで感じます。また、ポルノという言葉はエロと同義ではないのです、例えばエロゲーと分類される作品であれ物語として素晴らしいものであればポルノと言われることはないのです。
この解釈では、アニメ王様ランキングは 感動ポルノ(造語)であると私は思います。故にアニメの戦略は作品性と一致し、何も間違っていないのです。映像化として大成功・大正解なのです。

娯楽・ある種の快楽のために消費される宿命を物語は持っています。画面いっぱいに描かれる泣き顔は、ポルノで言うなら抜き所。秘されたデスハー王の落涙シーンは、そう扱いたくないという意図を感じるのです。それが、原作を読み込んでいるだろう制作陣の美学であり良識の発露と感じられるのです。
…隙のない上質ハイクオリティ映像作品を作り上げた皆様なので無意識でやっていらっしゃるかもしれません。



終わりに

アニメを全話視聴・原作現状13巻刊行時点でこの作品が好きではないです。毛嫌いするほどではないが、好きか嫌いかの二択であれば好きではない。ストーリーに不満がある。
しかし、今後の展開によってはストーリー自体への評価が変わるかもしれないとも思っています。ボッジが己の選択を王として間違っていたと認識し、行動・言動を王として改めてゆき、偉大な王としての在るために具体的に行動する展開が来たら、第一部そしてアニメで描かれたストーリ-自体を再評価できると思っています。

こまけぇことはいいんだよ!で気持ちよく泣ければいいじゃない?と割り切るには、世界観やキャラ設定が魅力的過ぎるんですよね、泣けるだけでなく考えされられたり気付かされたりする素敵なジュブナイルファンタジー物語になる可能性が王様ランキングにはあると思っています。




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