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なにもできない春にやりたいこと

春から産休で、昨日にはいよいよ臨月に突入した。

ああ産休よ!
せっかく一人自由な時間が得られたのだから、それはもういろいろなことをはじめて、有意義に過ごそうと思っていたのだが、全く思い通りにいかない。
孕んだ体中がラストスパートとばかりに様々な異変を訴える。
突如、シミ・そばかすが大量発生したことには驚いた。妊娠中は増えやすいのだそうだ。
ヘビーなヒノキ花粉症なのに薬が飲めないしということで、屋外ならびに太陽とはしばらく縁遠く過ごすのが吉である。

シミ・そばかすなんてものはかわいいもので、対して眼中にない。
夜中はひどく腹が痛かったり寝苦しい事が多い。
浅くて短い睡眠を繰り返し、熟睡できずぐったり起きて。

向かいの家に巣があるのかスズメのチュンチュン声が明るい。
小学校低学年と思しき「いってきます」の声は全く擦れていない。
新しい朝が来る。彼らにとって、希望の朝なのだ。

家の掃除と洗濯をこなせば、ほら、たかがそれだけででかい腹に押された肺が喚く。
たかが日々の家事ごときで腹はすっかりまな板のようにカチカチに張る。

夜中、寝付けなくてついつい見てしまう妊娠中によくあるトラブルの記事を思い出して、
「ああ、時間もったいないなぁ」と思いつつ、少し横になる。
自己嫌悪が増すと、腹も少しずつやわやわとした感触に戻り始めるのはなぜなのだろうか。

少し落ち着いたら、朝昼兼用の食事をふらふら作りはじめる。
貧血にならないよう、栄養がとれるよう、栄養のあるものを摂取したいが全然調理する気にならない。
こんなに時間があるのになんなのだろうか。
春の昼間の日差しにシミ・そばかすが増やされるのもシャクで、昼ごはんごときを買いに外に出たくはない。

適当に冷凍ストックしてある玄米(せめてもの罪滅ぼしのようなものだ)をチンして、
納豆をのせて、その時、冷蔵庫にある野菜と卵を突っ込んだ味噌汁を食す。

窓からの紫外線を気にしているのでカーテンは閉めている。
天井からの光に包まれながらこういった、適当なものを一人で口にしているとき、孤独を感じる。
世間に置いていかれる不安。

不安にかられながら、油絵を描く。
絵で伝えたいことがあるはずなのに雑念まじりであんまり集中できない。
迷子になりながら無駄に色層を重ねているだけのような気がする。
変な態勢で描くから腰が痛くなる。ヨロヨロとしながら筆の手入れをし、手を洗いおわると大した時間描いたわけでもないくせに猛烈に腹が減っていることに気づく。

最近は「美味しいものを食べたい」とばかり考えている。
でも、なにが美味しいものか、よくわからなくなってきた。
なにか食べに行きたいけれど、どこで食べたいかわからない。

子供を育てるのってお金がいるみたいだし、第一今もよくわからない診察でバカスカお金が飛んでいる。
売れっ子芸術家ではない自分には、安心できるほどのお金なんてないから、贅沢はせいぜいスーパーでなにか買うくらい。

こんなグズグズの生活を繰り返すのが嫌で、きっと変わるきっかけになると思いながら買ったパイナップル。
果物って、たまらなく好きだ。
カットされた完熟!スイート!のラベルが貼られたカットパイナップルを持ち帰るときの多幸感。
しかしながらそれは、びっくりするほど美味しくなかった。
食べるとその酸っぱさに目の下がヒクヒクと痙攣する。

近所にやや高いけど、惣菜やら果物やら絶対美味しいものを扱うスーパーがある。
働いているときにお金いっぱい貯めたのかな、なんでかいつも老人で賑わっているスーパーだ。
ほんの数百円ケチって、そこで買わなかった自分のせいだ。

私はそもそも強い人間ではないけれど、妊娠中ってますますホルモンバランスやら思考回路がおかしくなるみたいで、
今思い出してもおかしいのだけれど、春の少し長くなってきた日没から夜にかけて、すっぱいパイナップルを食べながら、わんわん泣いてしまったのだった。

そういう、自分の愚かさを思い出して恥ずかしさでいたたまれなくなるので、夕方のスーパーには行かないようにしている。

昼に続き、夜も美味しいものを期待することをやめたのだった。
玄米と昼の残りの味噌汁と、しめじとかえのきを手でむしって出汁につっこんであんかけにしたものを豆腐にのせて。
何もかも、スプーンで掬って食べる。動物性タンパク質はヨーグルトで摂取する。
土井先生の一汁一菜のススメをまさに謳歌しているともいえるけど、不思議と心の栄養にならないんだな。

食後に軽いドローイングをし、運動不足とデブにならないようそこそこのエクササイズをこなして、お風呂に入って、ヨガ風のストレッチの動きをする、そんな繰り返しを毎日繰り返す。ヨガなのにひいひいしている頃、大体「今から帰宅する」の連絡。

新年度だからか、テレワークがなくなった夫。
彼の帰宅は遅いから、焦ることなくちんたらちんたら夕食の仕込みをする。
どうしてだろうか、これはとても楽しい。自分のためにはする気になれないのだけれど。
新しい朝ならぬ、新しい夜が来た。希望の夜がとうとう来た。

帰宅時間の逆算をしながら、食材に仕込みながら、読書しながらゆっくり過ごす。
昼間は触りたくもない玉ねぎや肉。刻んだり、炒めるのはどうしてこんなに楽しいのだろう。

帰宅した夫がお風呂からでたら、あつあつの夕食を出す。楽しい。
お布団に飛び込み、会話する。この上なくくだらない会話しかしない。楽しい。

楽しくてたまらないけれど、彼は一日働き詰めで、すっかりくたびれている。
私の身体を気遣ってくれたり、家事に対し感謝の言葉を述べたあと、すぐに深い眠りにつく。
疲れているのだろう、朝はぎりぎりまで眠る。昔っから朝ごはんは食べない。

寝息を聞くと、ああ、私の希望の夜は終わったと思う。
次はあと20何時間後くらいだろうと思いながら、朝くるまで浅くて短い睡眠を繰り返し、熟睡できずぐったり起きて。

スズメはチュンチュン鳴いているな。
そろそろ、小学校低学年生は元気に「いってきます」と言い出すのだろうか。
新しい朝が来る。また始まるのか。
私もそろそろ、新しい朝を迎えたいなと憂鬱な気持ちになった頃に、夫がふにゃふにゃ起き出す。

いつものことながら、すべての動きの効率が悪い。
なんの動作をするにも、ふにゃふにゃが挟まれていて、見ていると「なんて時間の無駄なのか」とイライラする。
朝の夫をあまり見ないために朝家事に勤しんでいるのだとすら思う。

しかし、それを傍目に朝から家事をするのもどうなんだとより一層イライラした。
見ないようにするためにスキンケアと日焼け止めをしっかり塗ったり、身支度を整えた。
身支度を整えると不思議なもので出歩きたくなるものである。
私も一緒に駅まで行くことにした。で、美味しいパン屋にいってみるか、きっとどこかでやっているであろうモーニングとか食べて、この生活を切り替えてやるんだ!と思った。

日焼け止めも塗っているし、人に合うわけでもない移動だからアウトドア用のつばの大きい帽子も装着できる。
花粉はどうしようもないが、シミ・そばかすもまあ、大丈夫であろう。

「精神衛生向上のために、モーニングを食してみようと思うから駅まで一緒に出発する」
「ん〜?そう。ふうん」私の壮大な覚悟を全く理解していない夫は、ふにゃふにゃと返事をする。

いざ出発。久々の朝、久々の太陽、久々の道である。
夫はまだふにゃふにゃ歩いている。曰く「職場についたらきりかわるから」

向かいの家のスズメ、見てみると結構いるなぁ。
ピョコピョコしながらチュンチュンしている。

「いってきます」
あの、朝の声の主はあの子だったのか。うちとお隣ってわけでもないのに聞こえるとかどんだけ大きな声だ。身体はすごく小さいのに。
見てくれだけでわかる。一年生だ。一緒にいるのはお兄さんだな。君はもう「いってきます」言わないのね。そういう年頃だもんね。うんうん。

ああ、あの木にとまっている緑色でかわいくて小さい鳥。
小さい頃、うぐいすだと信じてやまなかった鳥だ。
メジロだ。目の周りが白いから、メジロ。もう絶対間違えようがないよね。

朝からなにがそんなに楽しいのか、バスを待ちながら元気にしゃべる女子高生。
鏡を見ながら、前髪をいじる男子高校生。美意識高めだな。

玄米すら切れて、たまに昼ごはんを買いに行く近所のコンビニ。
昼の時間帯に必ずいるあの店員、朝から働いていたのか。

そうこうしているうちに駅につく。
改札で夫を見送る。まだふにゃふにゃしているけど始発駅だから座れる、よかったね。

ふと「もうちょっと歩きたいな」と思った。
なんでかすっかりご機嫌で、モーニングは別になくてもよくなった。

陽に当たりながら、ただ歩く。
なんと清々しいことよ。
太陽、なんて気持ちの良いことよ。

お腹が張らない程度の往復40分の散歩。
帰宅して、とりあえず洗濯機だけ回して、疲れたから横になる。
でも、あの絶望的な疲労ではなくて、どこか心地よさを感じる。
ふわふわっと眠りにつく。熟睡。

洗濯機がピーピー騒ぐ音で目が覚める。
なんて気持ちが良いのか。
そして、罪悪感のない二度寝だろうか。

深く寝れたのか身体の調子がとっても、いい。
ちょっと遅い洗濯なのでカーテンをあけて日があたる窓際に洗濯物を干す。(花粉が怖いので外干しはしない)

眩しい光が差し込み始めた頃、ぐうぐうお腹が空きはじめた。
いつもの量じゃ足りなくて途中、夫の夕食用の肉を少しだけ拝借。ゆでてポン酢。ベランダの小ネギをちらして、あら美味しい。

花粉と紫外線が嫌で最近はお構いしなかったベランダだけど、随分色々生えてきていることに気づいた。
カーテン全開で、ベランダをみながら食事をする。
何植えようかな、と思いながら。なんだか美味しい。

午後の制作も、なぜか捗った。
描いたあとに、腰がいたいのは変わらないけれど。

そんなかんじで希望の夜が来て、夫が眠りにつくときに、自分の中でなにかが変わり始める兆しを感じた。
でも、そう簡単には信用してたまるか、である。簡単に期待して裏切られるのは嫌だ。

また朝が来た。
次の日も、夫とともに出発してみた。
その次の日も、そのまた次の日も続いた。

お腹が痛くて行けない日もあった。
でもカーテンを開けて一日を過ごすと、太陽を感じたのか心が心が淀みづらくなる。

雨の日はちょっとうじうじしたりもした。

散歩かな?と思ったけど、ううん、多分、太陽ね。

肌に優しい日焼け止めを買い足した。
カーテンが空いていても、シミ・そばかすが増えないように。
ちょっと心が寂しいときは果物をつまむようにした。
まただ。酸っぱい。でもこの酸っぱいビタミンが私の心とお肌を守ってくれるような気がしてほっとする。
パイナップルの酸っぱさに涙した日を思い出す。

コロナだ妊婦だで、できないこと色々あるけれど、それはそれで仕方ない。
この春は、太陽を感じる、ただそれだけを始めてみようと思う。

きっとみんな、大層な「やりたいこと」を書いているから、ちょっと気後れするのだけれども。人様からみたら「なにもしていないじゃないか」にみえるのだろうけれど。

太陽を感じる。陽に当たる。カーテンを開く。
たったそれだけで、単純な私の心はいともたやすく、晴れ晴れとするのだから仕方がないじゃないか。

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