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矢部明洋のお蔵出し日記編 1999年12月

12月某日・アル中すすむ

  オニの飲酒癖が悪化して困っている。
 この1カ月、我が家で消費した酒を覚えてるだけ挙げてみても、ウイスキー3本、ラム酒3本、ワイン2本、焼酎1升という有り様だ。
 安かったので買ってみたジャック・ダニエルズなど、私が一杯飲んだだけで、3日後には空になっていた。
 先日などお土産を買ってきたとぬかすので、何を買ってきたのかと思えば、コーン・ウイスキーとズブロッカである。
 正直、ズブロッカのサイのラベルを見た時は暗然とした。西洋人ほどアルコールに強くない東洋人がこんな酒を家庭に置くようになってはおしまいだ。
 というわけで、オニには休日以外は禁酒を申し渡したのだが、守れるのかどうか。心配事の尽きぬ年の瀬である。
 


12月某日・ハットトリック

  我等がサッカーチームの第2戦が挙行された。いやサッカーじゃなかったフットサルだ。この日はインドアでコートも広めだったので、6人制の変則マッチとなった。
 ジャンケンで負けて、生まれて初めてゴールキーパーをおおせつかったのだが、当然のように要領が分からない。ボールを抱えて顔からころぶこと2度。唇は切れたうえにはれ上がり、2失点で交代となった。
 悪いことばかりは続かない。
 チーム一の年長者ということで運動量の少ない、ワントップの敵ゴール前という役得ポジションをもらった。要するにゴール前に張りついててくれればボールを集めるからシュートしてね、という役目なのだが、10分、10分、15分とゲームして3得点のハットトリック達成である。
 いやー、草サッカーとはいえ私の人生でハットトリックというものが実現するとは想像もしなかった。全く慶賀の念に耐えぬ年の瀬である。 


12月某日・極楽銭湯(京都編その1)

  正月休みに突入、2000年問題も放りだし実家のある京都に帰省した。
 家に着くと、餅つきをやっていた。
 私は腰痛があるので食うだけ。末弟とその友人がぺったんぺったんやり、甥や姪のチビっ子軍団が丸めておった。
 近頃は元旦からスーパーが営業するほどで、餅つきでもやらんと正月が来るという気分にならない。
 つきたての餅を食い、近所に手土産を持参したりしていて夕方となる。  家から一番近い銭湯に行く。
 京都の銭湯は充実している。
 この日出かけた風呂屋は、代金は340円で、サウナは2種あり、露天風呂まである。1時間、2時間はあっという間に経つ。最も誉めたいのは水風呂が実に冷たくて気持ちがよい点。しばらく入っていると体中冷え切って気が遠くなるほどだ。
 山口市内などなまじ温泉が出るせいで、銭湯ではないものの温泉浴場が600~1000円もする。高いくせに、肝心の水風呂が冷たくなくて面白くない。福岡市の銭湯も実に貧弱な所ばっかりだったし、東京はきれいだがサウナが無い所が多かった。
 私の実家の周りなど歩いて行ける距離に3軒も銭湯がある。どこも水風呂は冷たくサウナも快適で、まさに極楽である。
 大きな市場が近くにあるせいで、夕方4時過ぎには、朝の早い仕事のオッサンやじいさんが世間話に興じている。何となく、それを聞いているのも、また一興である。
 


12月某日・映画館の日(京都編その2)

  久方ぶりに八坂神社の向いにある祇園会館へ映画見物に行った。
 上映番組は『鉄道員(ぽっぽや)』『菊次郎の夏』の二本立て。つまり今では珍しくなった2番館である。目当ては『菊次郎の夏』だったが、どうでもいい出来だった。
 祇園会館へは学生時代、よく出かけた。特に高校生ともなると、単位をクリアするには何時間出席すればよいか、授業の出席時間数を見切ってしまうので、一旦は学校の校門をくぐるものの、退屈するとすぐ映画館へ行った。
 ロードショー公開が終わった映画がすぐ来るので、洋画はほとんどここで見た。昔の桟敷席のなごりが残る客席配置なども珍しい。ずっと残ってほしい劇場だ。
 祇園会館を出てから市内をづっと南下し東寺の脇のみなみ会館へ行く。  ジャッキー・チェンの『ゴージャス』とビンセント・ギャロの『バッファロー66』を見た。これまた、どうでもいい出来だった。
 みなみ会館は昔、ヤクザ映画とポルノばっかり上映していたが、今やミニシアター的なプログラムで、京都では若い映画ファンのメッカになっている。
 私は京一会館の閉館以後、京都には何の未練もなくなったのだが、家から自転車で10分の場所に名画座ちっくな劇場が復活し、また京都に愛着が湧いてきた。
 番組もいいが、通常の劇場だと上映開始前に「タバコを吸うな」とか「携帯電話の電源を切れ」とかいう放送を流すが、ここでは館員が座席最後部の後に立って、一回一回、声を張り上げ案内する。文字通り劇場側の肉声が伝わる、こういう工夫が観客の愛着を育む。残って欲しい映画館だ。 


12月某日・古都ランニング(京都編その3)

  車で京都御所まで行き、近辺をランニングした。
 コースは以下の通り。
 玉砂利を踏みしめて御所を横断し、今出川通りを東進。京都大学の前を通過して銀閣寺に突き当たる。そこから哲学の道に入って南下し、若王子神社で拍手を打ち東山の山道にとりかかる。ヒーヒー言いながら登りきると同志社大学を作って歴史の教科書にも載った新島襄の墓に着く。殊勝にもお祈りを捧げる。
 ここからまた南へ下る。山道を降りきると南禅寺である。再び車道に出て丸太町通りを西進し鴨川に出る。いつもだと鴨川沿いに北上するのだが、この日は少々ばて気味だったせいで直進して御所に戻った。
 これだけ走ると1時間10~20分かかる。なかなか渋いコースだと気に入っている。
 コースの長所は、神社が多いので給水箇所に事欠かない点。急な坂道のアップダウンなど山場もあり、いい練習になる。観光客などギャラリーも多く走ってて張りがある。また哲学の道沿いの法然院など静かで休憩に良い。ここの墓所には谷崎潤一郎の墓があり、墓石に「寂」と一文字だけ彫ってある。そばに一本立つ桜は、哲学の道の桜並木とは別種の赤い花をつけ、春にはなかなかの見物である。あたかも日本文学における谷崎のポジションを象徴するかのようだ。
 難点は私の実家から車で行かねばならぬほど遠いこと。かといってコースの近くに住んだりすると年がら年中、観光客がやかましい。この近くに勤めるのが良いのだろうが、シャワーのあるオフィスなどなかなか無いわなー。 


12月某日・鳩のじゅうたん(京都編その4)

  オニと実家のババが大掃除の真似事をするというので、みえぞうを連れ西本願寺へ散歩に行った。
 西本願寺へ行ったのは鳩がいっぱい居て、みえぞうが喜ぶだろうという親心である。
 案の定、みえぞうは気も狂わんばかりの喜びようで、鳩を追っかけていたが、鳩の方は「どんくさいガキめ」というクールな態度で、みえぞうをあしらっておった。
 しかし畜生の哀しさで、近所の酒屋で柿ピーを一袋買い、ばらまいてやると今度は鳩が狂ったように殺到してきた。みえぞうも脳味噌がまだ鳥並みなので、集ってくる鳩に喜びたおし、地面に群れ、じゅうたんのようになった鳩軍団に飛びのるは、踏むつぶそうとするわ。通常、鳩と幼児のツーショットからはのどかで微笑ましいイメージが想起されるものだが、実に凄惨な光景を有難いお寺の境内で展開する始末。
 とはいえ、西本願寺はなかなか好都合な子守りスポットである。 


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