死にたい、の最適解について
とあるウイルスのおかげでしばらく休校になっていて、学校に行かずに済んでいた。なのに、ゆるゆると学校が始まって、いつのまにか通常営業に戻っていた。典型的ないじめを受けている僕は、夏休みの終わりを目前にして、仕方なく、そして、必然的に「死」と向き合うことになった。
だからといって、首をつれそうなロープを用意する、とか、毒を入手するとかそんなことは当然できるはずもなくて、ネットで「楽な死に方」を探しながら、夜勤中の母の顔を頭に浮かべるだけだ。
ふと、なんとなく、おもむろに、広告から飛んだ匿名のチャットサイトに「死にたい」と飛ばしてみた。書き込み中、と表示されて、じっと画面を見つめる。ぽこん、とメッセージが届いた。
『なんて言って欲しい?』
え?なんて言って欲しい?何度読み返しても、相手は、なんて言って欲しい?と書いている。なんて言って欲しい?ゲシュタルト崩壊しそうになるくらい、じっと文字を見る。なんて言って欲しい…?僕は、なんて言って欲しいんだろうか。
「死なないで、とか」
送ってからすぐに、いや、言って欲しくない、と思い直した。知らない人に死なないで、って言われても、知らね〜という感想しか思い浮かばないし、それどころか僕のなに知ってんだよ、とムカつく可能性すらある。訂正しようと指を動かすと、相手が書き込み中、と表示されて、指を止める。
『死なないで』
『笑笑』
笑笑、ってなんだよ。絶対ふざけてんな、コイツ。死にたい、と言うとき、僕はなんて言って欲しいんだろうか。なにを求めて、死にたい、と言っているんだろうか。書き込み中、の文字を見ながら、色んな言葉が浮かんでは消えている。死なないで。いい事あるよ。今だけだよ。死ねば?勇気ないくせに。みんな悲しむよ。どれも、擦りに擦られた誰かの言葉だ。そんなのは、いらない。
『私はね、一緒に出かけてくれない?かな』
いっしょにでかけてくれない?
それは、何度も画面越しに聞いた言葉なのに、はじめて聞く言葉のようだった。死にたい、の正反対のような、世界が180度違う言葉。
『必要としてくれてる人が居たら良いのになっておもうから、現実的に必要として欲しい』
『そっちは?』
なるほどな。噛み合っていなかった「死にたい」との調和のよさに、僕は思わず感心する。たしかに僕も必要として欲しい。呼吸するだけで邪魔扱いされて、嫌そうな目で見られて。僕はいらないんだと、心の表面でそう思っている。だけど心の奥底では、必要として欲しい。あなたが必要、と言って欲しい。だけど、必要、と言われてもうるせえ、と思うから、一緒に出かけてくれない?なんだろう。理にかなっていて論理的な解だ。--僕は、たぶん、
「学校サボって話してよう」
「かな」
僕は学校を休んだことがない。どんな事があっても、逃げたくなくて休んでいない。だけど、誰かが理由を作ってくれたら。誰かが言い訳になってくれたら。どんな嘘でも付いて、すぐに休んで、逃げる。いつでもそう思っている。だから、こう言って欲しい。
「なにそれ笑」
画面には、書き込み中、が浮かんでいる。僕は構わず、指を滑らせる。
「一緒に出かけてくれない?」
『学校サボって話してよう』
ぽこんぽこん、とふたつの言葉が同時に並んだ。最適解は、たぶん、いまから始まる。
お読みいただきありがとうございます。あなたの指先一本、一度のスキで救われています。