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労働は趣味である。 -「何のために働いているんだろう?」の構造について-

労働は趣味である。
私たちに週5日8時間働く必要はない。現代社会は、週40時間労働をデフォルトとしているが、これは人間の本質的な幸福を無視した狂気の沙汰である。

これは、ラッセルの「怠惰への讃歌」やボードリヤールの「消費社会の神話と構造」の指摘を参考にしている。

現代の人は働きすぎだ。仕事に美徳があるという考えは誤りだと私は考える。では、なぜ皆、週5日8時間働くことが前提の社会を続けているのだろうか?

それは、皆が欲求に振り回されているからだ。私たちが欲求に基づいた消費をしないと、経済は回らない。例をあげよう。

  • 15年前のモデルの冷蔵庫やエアコンを使っていて、何か問題はあるだろうか?

  • プラズマクラスター搭載のエアコンや、スマホと連携した冷蔵庫がなかった時代の人は、それらの機能がない家電を使っていたことで困っていたのだろうか?

私の感想として、iPhoneはもうiPhone8くらいで完成していると思うが、

  • iPhone15でないと困る人がたくさん世の中にいるのだろうか?(今後、生成AI搭載のiPhoneの登場で状況が変わるかもしれないが、現状のiPhone8とiPhone15には、5倍の額を払うほどの差がない)

このような身近な商品を例に考えると、
私たちの消費社会では「商品の機能面は満たされているばかりに、付加価値という名の、本質的にどうでもいいものを追加した」新たな商品を生み出さないといけない。そうでないと会社は雇用が継続できなくなり、経済が回らない。

それゆえに私たちは消費社会を肯定するための価値観や労働観を持つ。「安い服はダサい」というイメージを植え付けられ、私たちはそのイメージに基づいて行動するが、それは「ダサいと承認欲求が満たされない」という問題の解決のために消費をしているだけだ。

服が高いか安いか、それ自体に本質的な価値はない。
ボードリヤールは、高い服はかっこいい(安い服はダサい)というような、大した意味のない、作られた価値を「記号」と呼んだ。

実際のところ、資本主義を回し続ける社会のほとんどの仕事は「穴を掘って、その穴を埋めるような大して意味のない仕事」である。
だからこそ「何のために働くんだろう?」と時々我に返る人もいるのだ。

人と比べた時に生じる満たされない欲求(誰々はハイブランドの服で、私はユニクロ)を埋めるために消費をし、
消費をするためには仕事をしてお金を稼ぐ、というのが現代人の典型的な行動様式だ。

それは、ブランドものの商品に限った話ではない。恋愛も社会的価値の交換である。現代人の楽しみとは、わくわくしながらショーウィンドウを眺めたり、買えるものはなんでも買うことだ。
そして誰もがそれと同じような目で人間を見ている。誰だって自分の買える中で最高の商品を買いたい。そんな感じで、商品を購入するように恋愛対象の相手を見定めている。

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冒頭の週5日8時間働く必要はないという意見に戻って、さらに語気を強めて私の意見を述べる。

「ほとんどの人は、生活保護になっても問題なく生きていけることを知らない。
それゆえに、働かなければいけないという強迫観念に従って、人生でもっとも大切なもの、時間をないがしろにして、どうでもいい消費のために、人生を切り売りしている」
こう言っても、決して言い過ぎではないと思う。

私は実際に生活保護になってみて「日本には憲法25条があり、絶対的貧困なんて存在しない(してはいけない)」「働くことは趣味であり、生きることが本質・美徳である」と、実体験ベースで確信した。

こう言うと「そんなことを言っても、1日4時間労働じゃ生きていけないじゃないか」「生活保護なんか結婚できない。私は結婚/子育てしたいんだ」のような反論もあるだろう。

しかし、これは完全な思い込みだ。生きていけないのではなく、単に欲望を満たせないだけだ。本当に必要なものは何か、必要性のあるものと贅沢なものを区別する目を持つべきだ。

結婚や子育ては愛情と相互理解が基盤であり、経済力だけで決まらない。むしろ、時間的余裕があれば、ストレスが少ない上に創造的な関係性を築ける可能性が高まる。

現代社会には、多数派は正しいという暗黙の了解があるように感じる。(それは誤った考えた方だが)
なので「生活保護は嫌だ、結婚/子育てできない」という意見は、圧倒的に支持されるだろう。

それこそが、先述の「誰もがショーウィンドウを眺めて商品を買う気持ちで、恋愛をしている」ことの証左だ。

さらに、「1日4時間労働じゃ生きていけない」に対してはこう言える。

週40時間労働は、産業革命時代の遺物であり、現代の生産性や技術進歩を考えれば明らかに過剰だ。

にもかかわらず、皆が、生産性を上げることよりも、本質的にどうでもいい欲求解消、どうでもいい仕事に注力しているから、私たちは週40時間働かないといけない。

長時間労働がもたらす健康への影響は恐ろしい。慢性的なストレスは、高血圧やうつ病のリスクを劇的に高める。睡眠不足は免疫系を弱め、がんのリスクすら増大させる。

タバコ一本で寿命が⚪︎分縮むというが、労働は1日8時間寿命を縮めるので、タバコよりも体に悪いかもしれない。

最も恐ろしいのは、長時間労働によって人生の貴重な時間が奪われ、取り返しのつかない後悔を生むことだ。死の床で「もっと働けばよかった」と言う人はいない。「もっと家族と過ごせばよかった」と言う人ばかりだ。

長時間労働の解決策に焦点を当てると、技術進歩によって私たちの労働時間が減れば嬉しいのに、実際は新たな技術によって新たな需要が生まれるので、結局、私たちの労働時間は減らない。
であれば、技術に期待するのはやめて、人間が勇気ある決断をするべきだ。

現実的な労働時間短縮のためのアプローチとして、まずは週4日勤務の導入から始めるべきだ。生産性向上のため、価値の低い労働にはAI活用を進め、不要な会議や形式的な残業を徹底的に排除する。

労働時間短縮は、個人の幸福度を向上させるだけでなく、社会全体にも多大な利益をもたらす。
人類史を概観するかぎり、人間が暇になると、新たな産業や芸術が生まれる可能性が高まる。

また、人々のストレス軽減は医療費の削減につながり、社会保障制度の持続可能性も高まるだろう。

結論として、週40時間労働は働きすぎだ。私たちは、長年積み上げた「労働は美徳」という勘違いがあり、生活保護レベルの収入でも十分に生きていけることを知らない。
現状そうでないとしたら、社会が向かう方向性が誤っていて、行き詰まっているからこそ、週40時間働いていないと不幸になるのだ。

そのため、私たちはどうでもいい消費のために人生を切り売りすることをやめ、本当に大切なもの、すなわち時間を取り戻す必要がある。
今こそ、この非人間的な労働観に疑問を呈するべきだ。

労働時間の短縮は、単なる理想ではない。
毎日4時間だけ働けばいい生活こそが、幸福である。

私たちは「幸福になりたい」からこそ、商品を買うことで、それを買う前よりも、買った後の方が幸福になれることを期待して、消費をするといえる。

そして、労働は幸福になるために行う手段でしかない。いわば、趣味だ。
あなたは好きでもない趣味を苦しみながらイヤイヤ続けている人を見たらどう思うだろうか?

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